第22話 大人になるということ


 れん花恋かれんの言葉を思い返していた。


蓮司れんじと別れた一番の理由はね、蓮司れんじのことを嫌いになりたくないって思ったからなんだ」


花恋かれんさんは今でも、蓮司れんじさんのことが好き」


「うん。嘘はつかないよ。だから別れた」


「……」


「私を守る、大好きだと言ってくれたけど、触れてはくれなかった。そんな蓮司れんじが夢を捨てると言った時……私は気付いたの。このままだといつか、蓮司れんじのことを嫌いになってしまうって」


「好きでいたいから別れた、そういうことですか」


「うん。距離を取ってる今、それが間違ってなかったと感じてる。おかげで今でも、私は蓮司れんじのことが好き」


 力なく笑う花恋かれんの横顔に、れんはどうしようもないやるせなさを感じた。


花恋かれんさんは言いました。蓮司れんじさんは女のことを、人形か何かと勘違いしてるって」


「え? う、うん。そうだね、そう言った」


花恋かれんさんも同じじゃないんですか?」


「……れんちゃん?」


「今の話を聞いて、そう感じました。花恋かれんさんだって蓮司れんじさんのこと、思い出の道具にしてる。

 確かに蓮司れんじさんと会わなければ、これ以上嫌な面を見なくて済みます。嫌な思い出だって、自分の中から消してしまえばいい。そうすれば花恋かれんさんの中で、蓮司れんじさんは最高の幼馴染、最高の初恋相手として残っていく」


「……」


「都合のいい相手として見ていた、それは蓮司れんじさんだけじゃなく、花恋かれんさんもじゃないんですか」


「……言われてみれば、そうなるのかもね。何も言い返せないよ」


「人と人が付き合っていく。それは楽しいことばかりじゃない。辛いことの方が多いかもしれない。でも、それでも……そこから逃げていたら、何も得られないんじゃないですか? 時に言い合って、ボロボロになるまでぶつかって、泣いて、苦しんで……それが絆を深めていくんだと思います。

 この世界に来て感じたことがあります。花恋かれんさんも蓮司れんじさんも、お互い綺麗なとこだけを見ようとして、嫌なことから目を背けてます。逃げてます。二人共、相手の本当を見ようとしてません」


れんちゃん……」


「私は10年経って、そんな寂しい大人になってるんですか? 相手を失いたくない、だから嫌なところを見ないようにする、気付かないふりをする。言いたいことも言わず、今の関係を壊さない様にしていく。それが私の未来なんですか」


「だって辛いじゃない、嫌なところに気付くのは。蓮司れんじだよ? 私たちの幼馴染だよ? 私にとって蓮司れんじは特別なの。世界で一番大切なの。自分の中の蓮司れんじが壊れていく、そんなの耐えられないのよ」


「だから距離を取った、そう言うんですか?」


「そうだよ。私は蓮司れんじが好きなんだ。蓮司れんじを傷つけたくないし、自分も傷つきたくないんだ」





 大人になるって、どういうことなんだろう。

 今の自分にはない価値観。

 傷つくことを恐れて、自分にとって最も大切な物さえ手放す。

 そうすることで、穏やかに生きていくことが出来る。

 心を殺して、偽りの仮面をかぶって生きていく。

 それが大人になるってことなの?

 例えこの社会で生きていけない、そう言われたとしても。

 子供じみた理想論だと言われても。

 自分には受け入れられない。

 れんくんが相手なら尚更だ。

 私はこれからもずっと、れんくんと生きていきたい。

 言いたいことも言い合って、幸せに向かっていきたいんだ。





れんくんは、その……隠し事とか、あるかな」


「隠し事?」


「うん。私はれんくんに対して、いつも真っ直ぐ向き合ってきたつもり。嘘や隠し事なんてしたくなかったし、不満があったらいつも言ってきたと思う」


「そうだね。それが時々、僕の心を問答無用でへし折ってきたけど」


 そう言ってれんが笑う。


「も、もぉーっ……茶化さないでよ」


「ははっ、ごめんごめん」


「私だって、言い過ぎたって反省することもあるんだからね」


「分かってるよ。れんはいつだって、僕に真正面からぶつかってくれる。厳しい言葉だって、僕を思ってのことなんだ」


「……その笑顔は反則だって」


 口をとがらせ、頬を染めてうつむく。


「それでどう? 隠してることとか、私に対して不満とかある?」


「……」


「少なくとも、この世界の私たちは隠し事だらけみたい」


「そうなんだ」


「二人共言いたいことも言わず、自分の中に閉じ込めたまま付き合ってきた。今の関係を守る為にね。でも馬鹿げてる。結局、それが原因で別れてるんだから」


「なるほどね」


「まあ、蓮司れんじさんの方は分かる気もする。だって蓮司れんじさん、と言うかれんくん、今でも思ってることをちゃんと言えてないし」


「……中々に手厳しい」


「でもね、花恋かれんさんもそんなことになってた。それが信じられないの。だってそうでしょ、私だよ? 言いたいことを言わないと死んでしまう私だよ?」


「自分で言っちゃうんだ、それ」


「な、何よ。反省してるって言ったでしょ」


「いやいや、咎めてる訳じゃないから」


「私、10年でそんなことになってるんだ……そう思ったらね、何だか哀しくなっちゃったの」


「大人になるって、そういうことなのかもね」


れんくん?」


「今の僕たちは、大人の庇護の元で生きている。勿論、僕たちのコミュニティにもルールはあるし、制限されてることだってある。でも、それでも大人に比べたら大したことないのかもしれない。

 この社会で生きていくには、それだけ縛られることが多いのかもしれないね」


「……」


「理想だけじゃ生きていけない。何より大人になったら、自分の力で生きていかないといけないんだ。自分を殺すことだって、今の僕たちの比じゃないのかもしれない」





 川面を見つめ、少し寂しげな目をしたれん

 れんは思った。

 この目。その少し陰りのある笑顔。

 蓮司れんじと似ていると。

 れんはもう、蓮司れんじになる準備が出来ている、そんな気がした。

 れんが言った「大人」に、彼は近付いている。

 私を残して。

 そう思い、胸が痛くなった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る