第14話 器


「小説をやめたっていうのは、本当なんですか」


 少し間を置いて、れんが気になっているもう一つの未来について尋ねた。

 声が少し震えていた。


「やっぱり気になるよね」


 蓮司れんじの表情が少し曇る。

 れんに話した時とは、明らかに雰囲気が違っていた。

 それは彼が言うように、過去の自分にまで強がらなくてもいい、そんな思いがあったからなのかもしれない。


「本当だよ。作家になる夢は諦めた」


「……そうですか」


 れんがうつむき、小さく息を吐いた。


「僕は……この未来を知ってしまった僕は、どうすればいいんでしょうか」


「それも含めて君の人生だよ、れんくん」


「……」


「君は今、普通ならありえないイベントに参加してる。ここでの経験は、間違いなく君の財産になる。そういう意味ではれんくん、自分の未来を知ってしまった君が、それを踏まえた上でどう行動するのか。その選択もまた、君の人生なんだよ」


「そう……ですね」


「理由は聞かないのかな」


「少しだけ……本当に少しだけですが、分かる気がします」


「聞かせてもらってもいいかな」


「……僕には才能がないと思います」


「だね」


「この二年間、これだけに費やしてきたと言っていいと思います。自分の時間も、情熱も……おかげで少しはましな物を書けるようになりました。れんなんか、恥ずかしくなるくらい褒めてくれて」


「そうだったね」


「でもこれじゃ駄目だ、ずっとそう思ってました。僕が創作を始めたきっかけは、自分に感動を与えてくれるものに出会えたからなんです。こんな感動を、自分が創った物で人に感じてもらいたい、そう思ってました。

 でもいざ始めると、自分の創作者としての器が、情けないぐらい小さいことが分かりました。この器は多分、生まれ持ったものだと思います。どれだけ努力しても、決して大きくなることのない器、才能です」


「うん……」


「人に感動を与えたい、夢中になってもらいたい。そう思って書きました。確かに書き続けることで、語彙や表現力はそこそこ上がったと思います。でも、僕が感動したたくさんの作品を前にしたら、当然足元にも及びません。そして多分……僕には書けないと思います」


「続けていく中で、スキルを上げていこうとは思わないのかな」


「思ってます。今もそう思いながら書いてます。でもどれだけ頑張っても、越えられない壁があるんだってことに、書けば書くほど気付かされてしまうんです」


 蓮司れんじが微笑み、グラスを手にして言った。


れんくん。君の話を聞いていて、やっぱり僕なんだなって思ったよ。同じ人間なんだから当然なんだけど、自分の考えと同じ人と話してて、何だかほっとするよ」


「……」


「どうするかは君次第。でも折角だ、僕がこの10年で感じたことを話そう」


「……お願いします」


「君は今、才能の話をした。器という表現で」


 そう言って、グラスをれんの前に進める。


「君の器を、仮にこのグラスだとしよう。本当に小さいし、すぐいっぱいになってしまう器だ」


「はい」


「才能を持って生まれた人、成功者。その人の器は……そうだな、このピッチャーだとしよう」


 と、麦茶の入ったピッチャーを指差した。


かないっこないよね、普通に考えたら」


「はい、そう思います」


「でもね、器の大きさは決まっていても、中に入る量までは決まってない。僕はそう思ってる」


「どういうことですか」


「このグラスになみなみと麦茶を注ぐ。するとほら、グラスは麦茶でいっぱいになる」


「でも、それ以上入れたら溢れますよね」


「それでいいんだよ」


「え?」


「言葉遊びになるかもしれないけど、溢れていいんだ。と言うか、溢れさせるべきなんだ。

 例え小さな器しか持ってなくても、常に器の中をいっぱいにしていく。それが努力。そしてその努力がずっと、途切れることなく溢れていく。それはね、ネガティブに感じる事じゃないんだ。それでいいんだ、そうなるように努力しよう、そう思うことが大事なんだ。

 逆にこのピッチャー。僕たちより大きな器を持った人でも、努力しなければ中身はどんどん減っていく。どれだけ器が大きくても、中身がなければ無意味なんだ。

 れんくん。僕たちは天才じゃない。でもね、彼らに立ち向かえないと諦めるにはまだ早い。何より君だって、まだこの器が溢れるだけの努力はしてない筈だ。

 器から溢れ出した時に、僕の言ってる意味が分かると思う」


 穏やかに語る蓮司れんじの言葉に、袋小路に入りつつあったれんは、一筋の光明を見出したような気がした。


「まずはそこまで頑張って見ないかな。折角の夢なんだ、やれることは全部してみようよ」


「そう、ですね……はい、もう少し頑張ってみます」


 蓮司れんじの瞳を真っ直ぐに見つめ、れんが笑った。

 しかし同時にれんの中に、一つの疑問が生まれていた。

 それでも結局、蓮司れんじさんは創作を諦めた。それにはまた、別の理由があるんじゃないかと。


「僕はね、れんくん。自分との誓いを破った男なんだ」


 れんの疑問を見透かしたように、蓮司れんじが言葉を続けた。


「今ここにいるのは君との誓い、そして……花恋かれんとの誓いを破った負け犬なんだ」


蓮司れんじさん……」





 蓮司れんじの真意が知りたい。そう思ったれんの脳内に、突然ミウの声が聞こえてきた。


「お取込み中のところごめんね、れんくん、蓮司れんじくん。れんちゃんなんだけど」


 蓮司れんじにも同じ言葉が伝わっているようだった。


「ああ、ミウだね。れんちゃんがどうかしたのかな」


「これは僕のミスなんだけど、れんくんを二時間ほど早く連れて来ちゃって。本当なら今ぐらいの時間に送る筈だったんだ。それでれんちゃん、ちょっとパニックになっちゃってて……ごめんね」


「いいよ、そんなことぐらい。どっちにしたって、僕たちが会うことに変わりはないんだから」


「ありがとう、蓮司れんじくん。でもれんちゃんの方が、今かられんくんに会うことに尻込みしちゃって。蓮司れんじくんとれんくんが、自分の知らない内に会ってた。どんな話をしてるのか、心配になってるみたいなんだ」


「なるほどね。それで?」


「うん。れんちゃん、今日はこっちの世界の花恋かれんちゃんの家に泊まるって言ってるんだ。今向かったところ」


「そうなんだね。分かった、じゃあれんくんは僕のところに泊めるとしよう」


「本当、ごめんね。気を使わせちゃって」


「いいよ、これくらい。昔の自分と語り合うなんていう、こんな面白い経験をさせてもらってるんだ。喜んで協力するよ」


「ありがとう。じゃあれんくんも、今日は蓮司れんじくんの所でゆっくり休んでね。多分明日、れんちゃんから連絡が行くと思うから」


「あ、はい、分かりました」


「それじゃあ、よい夜を」





「……」


 れんが少しほっとした表情を見せた。

 とりあえず、れんとの再会が先延ばしになった。

 勿論、何の解決にもなってない。明日には会わなくてはいけないのだ。

 それでもれんは、今感じている安堵感に身を任せようと思った。


「今の気持ち、よく分かるよ」


蓮司れんじさん」


「君がどういう選択をするのか、それは君の自由だ。花恋かれんとキスをしたあの時から、僕の人生も大きく変わってしまった。でもね、これは僕の人生だ。後悔はしてるけど、仕方ないとも思ってる。今の状況を受け入れてもいる。

 でも君は違う。君は僕が経験出来なかった、今この時を生きている。後悔してる僕を見ている。だから……しっかり悩むといい。そして君が後悔しない未来を、どうか見つけて欲しい」


蓮司れんじさん……はい、ありがとうございます」


「じゃあ布団、用意するね。今夜は男二人で語り合うとしよう」


 そう言って立ち上がると、れんに向かい手を差し出した。その手をれんが強く握る。


「頑張れよ、僕」


「はい、頑張ってみます。未来の僕」



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