第13話 同じ過去≠同じ未来


「……」

「……」


 話題を振れない二人が同じ空間にいると、こんな微妙な空気になるのかと蓮司れんじは思った。

 それが自分相手だと尚更だ。

 テーブルを挟んでうつむく二人。

 間が持たなくなると、互いに頭を掻く。


 こんな癖まで同じなんだな。

 いや、自分なんだから当然か。

 違っているのは髪形と年齢、それだけだ。


 ――何も変わってないんだな、僕は。


 蓮司れんじは少し哀し気な笑みを浮かべた。





 だが、いつまでもこうしている訳にはいかない。

 目の前の彼もまた、れんちゃんと同じく未来の自分たちを見に来たのだ。

 少し残念な未来を。

 でもせめて、未来に少しでもいい、希望を持ってもらいたい。

 それが自分に出来る、年長者としての責務だ。

 蓮司れんじは小さく息を吐き、落ち着いた口調で話し出した。


「君は……れんちゃんと付き合い出したばかりの僕、そういうことでいいのかな」


「あ、はい。それで合ってると思います」


れんちゃんのことが、好きで好きでたまらない」


「そ……そうです……」


 耳まで赤くしてうつむくれんに、蓮司れんじは少し懐かしさを感じた。


 今の自分は彼と比べて、世のことわりを多く知っている。

 この10年で、彼の知らない経験をたくさんしてきた。人とも多く関わってきた。

 彼に比べると、自分は10年分視野を広く持っていると言っていい。





 人生というものを、自分は高層マンションに例えてきた。

 生まれてから毎年、一階ずつ上に登っていく。

 若い頃はよく、大人のことを臆病だと思っていた。

 辛いことや理不尽な出来事に背を向けて、笑みを浮かべて自分を誤魔化し、流されるように生きていると。

 だがそれは間違っていた。年を重ねる内にそう感じていった。

 若い頃の自分は、言わば階層の低い場所から世界を見ている。

 当然見えている世界は狭い。

 年を重ね、上の階へと上がっていくと、これまで見えなかった景色が見えてくるのが分かった。

 そしてその度に、ああ、あの時の自分はここしか見えてなかったのか。だから極端な発想しか思いつかなかったんだ。

 今なら理解出来る。そんな僕を親父がたしなめた訳が。

 そう強く思った。


 目の前にいる自分は、17階から世界を見ている。僕は27階の住人。

 同じ黒木蓮司くろきれんじでも、見えている世界は全く違うのだろう、そう思った。


 ただ。

 少しだけ羨ましくも思った。

 視野を広げた代償として、失った物も多い。

 その中にはあの時、絶対に失いたくないと思っていた物もあった。

 彼はまだ、自分が捨てた宝物をたくさん持っている。

 あの頃に戻ってみたい……そんな気持ちが蓮司れんじの中に芽生え、少し心が痛んだ。


「僕の時間のれんとは、もう会ったんですよね」


「うん。色々と話すことが出来たよ。僕にとってもれんちゃん……花恋かれんと話すのは久しぶりだったからね。楽しかった」


「そう……ですか……」


「いいよ、れんくん。さっきも言ったけど、僕と君は年こそ違え、同じ黒木蓮司くろきれんじなんだ。緊張する必要もないし、言いたいことも言ってくれて構わない。多分こんな経験、二度とないだろうからね」


「確かに……そうですね。こんなこと、普通に生きてたら絶対起きないイベントですから」


「だろ? それにね、人生に無駄なイベントなんてないと思うんだ。こんな荒唐無稽な現象だって、僕らがこれから生きていく上で、意味があったと思える日がきっと来ると思うんだ。だかられんくん。今のこの状況、一緒に楽しんでみないかい?」


 蓮司れんじがそう言って微笑むと、れんもうなずいた。そしてしばらく考え込むと、緊張した面持ちで口を開いた。


「この時間軸で、蓮司れんじさんとれん……花恋かれんさんは別れてしまってる。それは本当なんですか」


「うん、間違いないよ」


「どうして」


れんちゃんにも聞かれたよ。どうして、どうしてなんですかって」


「……」


「その言葉、僕も君に聞いてみたいんだ」


「どういうことですか」


れんくんには心当たり、あるんじゃないかと思ってね」


「それは……」


「別れたのには、色んな要因があったと思う。それらが複雑に絡み合った結果、残念な結果になってしまった。それに……これはれんちゃんに言わなかったけど、恋愛である以上、お互いに責任はある。僕だけじゃない、花恋かれんの方にも原因はあった」


「……それは理解出来ます」


「ただ君は今、僕の問いに動揺した。心当たりがあるんじゃないかと聞かれて」


「……」


れんくん。君たちはどの時間から来たのかな」


「え……」


れんちゃんと話してる時も、少しだけ違和感を感じていたんだ。黒木蓮司くろきれんじのことが好きで好きで仕方がない。それは嬉しいんだけど、あのテンションに僕は覚えがあったんだ」


「……」


「付き合い出したばかりだ、そうれんちゃんは言っていた。でも、本当にそうなのかな」


「……お見通しなんですね、蓮司れんじさんには」


「ははっ。まあ、自分の過去だし」


「ですね」


「それで? どうなのかな、本当のところは」


「はい、その……実は僕たち、今日初めてキスしたんです」


「やっぱりね」


「はい。嘘ついてすいませんでした」


「いやいや、別に責めてる訳じゃないんだ。れんちゃんにしても、そこまで僕に言うのは恥ずかしかっただろうし。それに気付いてない筈だから。君の心の変化に」


「……」


 そう言われ、れんが小さくうなずいた。


「今の言葉で、少しは理解したんじゃないかな」


「はい、少しですが」


「あの時に感じたこと。あれは僕たちにとって、すごく大きな意味を持ったから」


「そう……ですね」


「今君の中にある思い。それが別れた理由の一つだと言っていい。勿論、それだけじゃないけど」


 蓮司れんじの言葉に、れんは哀しげな表情を浮かべてうつむいた。


「君が僕と同じ道を辿るのか、それは分からない。確かに僕たちは同じ黒木蓮司くろきれんじだ。でも、お互い独立した時間軸の上で生きている。それに君は、僕たちにはなかったこのイベントを経験している。れんちゃんもね」


「……」


「時間の概念には色んな解釈がある。昔は、過去を変えれば今も変わる、過去と未来は一本の道になっている、そう思われてきた。

 でも最近になって、世界は分岐していくという説が広まっていった。過去を変えても、今の世界には何の影響もない。そこから世界が分岐して、別の世界線が生まれるってやつだ」


「僕はそっちの方を信じてます」


「僕もなんだ。まあ当然か、同じ黒木蓮司くろきれんじなんだし」


「ははっ、そうですね」


「だったら尚のこと、落ち込んでる暇なんてないんじゃないかな。今君の中にある葛藤。それを解決しないまま生きていくと、10年後の君は僕になっている。まあ、それも選択の一つだけどね」


「そうですね」


「決めるのは君なんだよ、れんくん」


 れんは静かにうなずき、麦茶を口にした。



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