「私の商売を邪魔した者に相応しい最期を」……「ホント、さいって~」……「さあ何秒もつか皆で一緒に数えましょう」……「なんで赤い兎に乗ってんの?」

 本当だったら、もう今頃はミリタル商会に到着して武器を選んでいるはずだった。それなのに、今、俺たちの馬車は、郊外への道をひた走っている。馬車に乗っているのはアリーテ、侍女のルミ、俺。アリーテの護衛も、ケーシーたちもまかれてしまった。


 一言で言って、誘拐だ。何者かが御者を突き落とし、馬車を走らせている。走っている馬車の中からではろくに打つ手がない。


 馬車の中でアリーテがギリギリと歯ぎしりして、地の底から響くような怨嗟えんさの声を漏らした。


「お~の~れぇ……私の商売を邪魔しようというのね~~~!」

「いや、たぶんそういうことじゃないだろ」

「同じことよ! ケーシーからの売上で月間売上の記録更新を狙ってたのに!」

「ここここれからどうなっちゃうんでしょう……」


 おろおろするルミと対照的にアリーテの鼻息は荒い。


「どうもこうもないわ! 犯人の首級を上げて、その血の乾かないうちにリンブラ王宮前広場の杭に晒してやるのよ! ミリタル商会の売上を邪魔した者にどんな運命がふりかかったか、ティルト王国の民に知らしめる! 私の商売を邪魔した者に相応しい最期を迎えさせてあげるわ!」

「恐ろしく血なまぐさいお姫様だねこりゃ」

「とにかく、この馬車を止めなくては。今すぐ!」

「そそそそんなこと言っても、無理ですよぅ」


 ルミは泣きべそをかきながら、御者台に通じる小窓をちらと見た。


「さっき話しかけても、わけわかんないことばっかり言って話にならなかったじゃないですかあ。私たちはこのまま星の彼方に連れ去られるんですよぅ。そして星座になるんです。ああ……お母様。お父様。ロ=ミルアを加護しめす神々よ。私は、私は星幽界の彼方から、皆様を見守っております」


 延々続くお祈りを聞き流しつつ、御者台に通じる小窓を見る。蓋をずらす引き戸になっていて、手をようやく突っ込めるかどうかといった小ささだ。普通ならたしかに打つ手がなさそうだが……待てよ。


「試してみたい手がある。もしも馬車が止まったら、アリーテとルミは思いっきり、馬車の来た方へ走って。きっとケーシーたちが追ってきてるはずだから、合流できれば助かるはず。御者台のあいつは、俺が足止めする」


 走る準備だろうか、アリーテはマントを脱いで身軽になると、ルミに何かささやいている。俺は靴屋でクロに買ってもらったマントを羽織った。意識を集中すれば効果が発動し、気配を隠してくれる。Q袋に手を突っ込んで、こないだQ術師カザンに作ってもらった煙Qを四、五個、取り出す。走っている馬車の上では煙は流されてしまうかもしれない――が、うまく視界を奪えたら誘拐犯も馬車を止めざるを得ないだろう。気配を消したまま煙に紛れて相手に近づけば、不意打ちができるかもしれない。俺でも少しは勝ち目がある。


「いくぞ! 馬車を出たら息を止めて走れ」


 俺は小窓の引き戸を開けると、煙Qを放り込んだ。


 カザンの煙Qは、想像以上だった。


 御者台に転がったQがぼわん! ぶしゅーーー! と音を立てて、巨大な煙を吐き出した。馬車が走っているから煙は流されているはずだが、Qから吹き出す猛烈な煙は、御者台を完全に覆ってしまった。御者台で咳き込む声がする。ほどなく、馬のいななきが聞こえて、馬車は止まった。すかさずドアを蹴り開け、まず俺がとび出して、残った煙Qを周囲に叩きつけ、全部使い切る。とにかく誘拐犯の視界を奪わないといけない。俺の後ろからアリーテとルミがとび出して走る。


 俺は息を止めたまま、煙の向こうをうかがった。魔布のマントの力でこちらの気配は消せているはず。ちらと馬車の来た方角を見ると、マントを羽織ったアリーテが遠ざかるのが煙の向こうにちらりと見えた。俺は、誘拐犯に後を追わせないために、馬車の後方にじりじりと下がりながら、誘拐犯の姿を探す……いた。


 すらっとした誘拐犯は、ゲホゲホ咳き込みながら、馬車の扉に近づいていた。なんか咳き込みながらブツブツ独り言を言ってる。


「もう! 何なのよこの煙ゴホゴホ。ホント、さいって~~~ゲホッゴホッ。やだやだ、もう早く済ませておうちに帰りたいっゲホッぐはっゲホッ」


 ……煙の中なんだから黙ってた方がいいと思うけど。


 馬車の中を確認したいのだろう。じりじりと扉に近づいていく。俺の目の前にいるが、魔布のマントのおかげでこちらには気づかないようだ。俺は短剣を抜くと、背後からとびかかって首に短剣を押し当てようとした。


 だが、落ちていた小枝を踏んでしまった(せっかく靴を買い替えたのに!)。誘拐犯は振り返ることさえしなかった。それどころか、一瞬で俺の視界から消え失せた。俺は嫌な予感がして、とっさに馬車の横に身を投げ出して転がる。背後からの誘拐犯の一撃を危うくかわす。俺は心底びびった。どうやって背後にまわった? こいつの動きがまったく見えない。クロより速い。


 一度見つかってしまうと魔布のマントは役に立たない。俺は転がりながらマントを素早く脱ぎ捨て、立ち上がった。


 状況は、全然良くない。というか、だいぶヤバイ。俺じゃこいつを何秒も食い止められないだろう。速すぎる。


「何よあんた! もう! ダイナは忙しいんだから邪魔しないで!」


 一瞬で間合いに入られた。防ぐ暇もなく、手に持った短い靴下のようなものでがつんと横殴りに殴られ、俺は倒れた。だめだ、まるで動きが見えない。頭がくらくらしてうまく起き上がれない。誘拐犯は俺を無視して馬車の来た方を見た。


「むー逃げたわねー! ダイナ、走って追いついちゃうんだから!」


 なんとかこいつを食い止めないと。アリーテとルミを追わせるわけにいかない。


 その時、俺と誘拐犯の間にアリーテが忽然と現れて、剣で誘拐犯を横薙ぎにした。アリーテの羽織ったマントが地面に落ちる。俺がさっき脱ぎ捨てた魔布のマントだ。完全な奇襲だったはずだが、それさえ誘拐犯はかわして距離をとる。


「アリーテ!」

「今のをかわすとはなかなかやるわね」

「逃げたはずじゃなかったのかよ」

「ルミにわたしのマントを着せて走らせたのよ。私は煙に紛れて馬車の下に隠れてね。あなたのマントを借りたわ。うまく不意をつけると思ったんだけどな」

「ナニソレ! お姫様なのに剣を持ち歩いてるの? 変だよそれ!」

「はい、よくぞ訊いてくださいました! これぞミリタル商会の貴人向け商品の一つ、『馬車の下に隠せる剣』でーす! いざという時の備えは貴族の嗜み」


 アリーテの体格に合わせたのか、少し短い剣を、ぴたりと誘拐犯に向けて構える。


「へー! 面白いねそれ。意外と構えも様になってんじゃん」

「広告塔が剣も持てないではお話にならないでしょ?」

「でもねダイナってめちゃくちゃ素速いんだから! お姫様だからって手加減しないよ!」


 誘拐犯の一撃がアリーテを狙う。アリーテもうまく牽制したが、かわしきれず肩に一撃をくらって倒れ込む。そのまま誘拐犯に取り押さえられてしまった。


「ほらね! ダイナが本気出したらおちゃのこさいさい! すーぐ捕まえちゃうんだからあ!」


 捕まって逆上するかと思ったアリーテは意外にも落ち着き払っている。


「あら、でも最初の私の牽制を避けたということは、あなたも怪我は避けたいということ。つまり怪我はさせることができる、ということでしょ?」

いたッ」


 誘拐犯が小さく声を上げた途端、アリーテは誘拐犯を振り払って地面を転がり、自分の剣を取り戻した。


 誘拐犯の手に赤い傷が見える。深手とは言えないが、結構痛そうだ。アリーテは手の中で何かをキラリと光らせた。小さな刃物のようだ。


「ね、ほら油断大敵。ミリタル商会の護身用極小短剣でーす。ドレスの袖にも隠せて便利。あなたのように自分に自信を持ってる相手にはこれに限るわね」

「さっきはわざと捕まったのね!」

「もちろん剣で勝てればよかったけど。でもあなたの速さじゃ、当てられそうにないのはわかってたし」

「本ッ気で怒ったんだから! 今度こそ、絶対絶対捕まえるよ!」

「さて、それはどうかしら? ヒグマなら十歩は動けるって聞いたけど、あなたはどう?」

「え?」


 誘拐犯の手がぴくっと引きつって、震えが始まった。


「ザンヌ草の根やガルキッタの毒針を混ぜた即効性のしびれ薬よ。さあ何秒もつか皆で一緒に数えましょう。広告に載せるわ。いーち、にーい、さーん」


 誘拐犯はあきれ顔になった。


「あなたお姫様でしょう? しびれ薬とかって、マジ?」

「ククク……勝てば良かろうなのですわ!」

「アリーテ……広告塔がそんな悪役令嬢でいいの……」

「はい、皆様ご唱和ください。ミリタル商会のしびれ薬は品質長持ち、効果は抜群だ!」

「いやそれも広告商品なのね……店ぐるみヤバイ」


 その時、馬車を飛び越えてきたクロがアリーテの横に着地した。いや、登場の仕方がおかしくない? 道のない方から来たでしょ今。森を突っ切って来たとしか思えない。


「アリーテ様、ジャック様、大丈夫ですか」


 続いてケーシーが着地する。巨大な、赤い兎に乗って。


「赤い兎?」

「やけに赤いわね」


 傲岸不遜といったふてぶてしい顔をしている。いやケーシーじゃなくて兎の方だ。短い角が一本、額のところに生えている。いやケーシーじゃなくて兎の方だ。 馬ほどもあるずんぐりした体躯。いやケーシーじゃなくて(略)


「なんで赤い兎に乗ってんの?」

「だって移動用の獣魔のうちでこれが最速だって聞いたかるぁっ」


 ケーシーが言い終わるのを待たず、赤い兎は瞬発力を発揮し、アリーテにつかみかかろうとした誘拐犯を防いだ。速い! 誘拐犯と互角に見える。この巨体でなんという脚力。ケーシーは絶対舌噛んだ。


「もーーーーーーーーー! 次は絶対許さないんだからーーーーーー!」


 誘拐犯もさすがに分が悪いと悟ったらしい。恐ろしい速さで消えた。しびれ薬が効く前に、ということだろう。


「こらー! 逃げるな卑怯者! 逃げるなァァ! 待て! 待ちなさい!」


 アリーテが頭上で剣をぶんぶん振り回しながら叫ぶ。


「ミリタル商会の製品には暗殺者や卑怯者向け、隠密行動用品も多数取り揃えてますからね! 買いに来なさいよ~!」

「いや、買いに来ねえだろ!」


 いかん、思わずツッコんでしまった。


「ちょっと、失礼ね。ミリタル商会の隠密製品は某国特務組織の皆様にも大人気で」

「じゃなくて! あいつが買いに来たら売るのかよ!」

「売るわ! 商売はね、敵を作らないのが鉄則よ」

「作るもなにも、はじめっから敵だろ!」

「『汝の敵を客にせよ』これはロ=ミルア王家の始祖ロムルス一世の残した言葉よ。彼は国境に攻めてきたウゾ族にバンバン武器を売りつけて、しまいには自軍の武器がなくなって降参したという伝説の持ち主」

「伝説で既に負けてるじゃねーか!」

「でもその商魂に呆れたウゾ族と講和が成立して、両国の絆が深まり、ロ=ミルア王国は栄えたのよ」

「めちゃくちゃな国だな」

「それに、ミリタル商会の商品だったら、私、全部弱点がわかるから、かえって有利。あいつが買った後で捕まえてボコボコにすればいいでしょ。そんでその首級をリンブラ王宮前広場の杭に晒す、と」

「その設定忘れてねえんだ。えげつねえ」

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