筋肉話その1 【勇騎視点】

 突如起こったこの目の前の異常事態に、俺は言葉を失っていた。



 筋肉んはというと……まるでパパ活の待ち合わせで実の娘がやって来てしまった時のお父さんのような、動揺が隠しきれない表情のままその場で微動だにせず固まっている。


 敵側のエッチなお姉さんは当然その秘密を最初から知っていたんだろう、特に驚いた様子もなく涼しげな表情のまま状況を見守っているが……他のみんなは俺と同様に固唾を呑んでこの状況を見守っていた。


 ……とりあえず、なぜこんな状況になってしまったのかを把握するべくまずは周囲に視線を巡らせて見る。

 すると筋肉んのその秘密を必死に守り抜いてきたであろうあの大工さん御用達ヘルメットが早速目に入ってきた。

 なんとヘルメットは、白い刀のその刃先にゴム紐を突き刺された状態で、壁にぶら下がっていたのだ。


 ……な、なるほどね。

 つまり筋肉んが刀をかろうじて避けたあの時に、上手い事ヘルメットのゴム紐が切れてしまいそのまま刃先に引っかかったまま、勢いよく壁まで持っていかれた……と言う事か。

 うん、こうなってしまった原因は分かった。けど、俺はこの後どうすればいいんだ……っ!?


 なんとも言えない居心地の悪さと空気感がこの場を支配していく中、俺はドゥルやお爺さんにアイコンタクトで助けを求めるが……二人供全力で首を横に振る。


 ダメか……まぁそうだよな。

 例えば授業中もの凄く熱く教鞭を取っていた先生の頭のカツラがふいにズレ落ちてしまい、それに気付いてしまった時の生徒達に一体何が出来るって言うのだろうか?


 だがしかし、状況は更に悪化する事になる。


 ようやく意識がはっきりしたのか、もしくは秘密を見られてしまったというその現実を受け入れてしまったのか、筋肉んが次第にそのたくましい体を小刻みに震わせ始めて……



「……み……見るな。……オレの……オレの頭を……オレの頭を見るなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」



 そう叫びながらその場に崩れ落ちたのだ。


 最早隠すことなど無意味となってしまった自身のコンプレックスであろうその頭を、だけど両手で必死に隠すように抱え込みながら……まるで産まれたての子鹿のように弱々しく震えだす筋肉ん。


 ……おぉ、神よ。

 俺達は一体、彼になんて声をかけてあげるのが正解なんでしょうか?


 そんな答えの解らない超難問にぶち当たり、長考を余儀なくされた俺達は結局……ただその場に立ち尽くす事しか出来なかった。


         〜〜


 一体、どれくらいこの場に立ち尽くしていただろうか?


 いつのまにか筋肉んのすすり泣く声は止んでいて、物音ひとつしない圧倒的な静寂がこの場を支配していた。


 ……だが程なくして、彼自身がその空気に耐えられなくなったのか、筋肉んのほうからポツポツと語り始めてくれた。


「……は、ははは、笑っちまうだろこの散らかり具合よぉ? 風が強い日なんかはよ……もう本当に凄いんだぜ? 本当もう、波平さんの事笑えねぇよな……はっ、ははは……」


 自虐的に笑う筋肉んだったが、俺達は誰一人として笑う事などできなかった。

 もしこの状況で笑える奴がいるのだとしたら、そいつはきっと空気が読めないただの馬鹿か、良心のかけらもないクズ野郎だろう。

 ひたすら黙り続ける事しか出来ないそんな俺達を前に、筋肉んは目を閉じて懐かしむように話を続ける。


「これでも昔は髪の毛フッサフサでよぉ、体もいい感じにソフトマッチョで、結構モテてたんだぜオレ? ……でもいつ頃からだろうな、少しずつだけど段々と気になるレベルで薄くなってきてよ。そんで徐々に危機感を感じ始めたオレは、必死に対策を打ち始めたよ。良く効くと噂されていた伝説の育毛剤を探して古代遺跡や高難度のダンジョンを潜ったりしてよ。……でもそのせいか勝手に体が鍛えられちまって、いつの間にかこの通りむきむきになっちまったって訳よ……」


 ……な、なるほど。だからあの時、俺の予測は外れてしまったのか。

 そう、筋肉んのこの筋肉はではなくまさにだったのだから。


「しかも、その頃にはもうかなりの速さで進行も進んできててよ。だからよくSNSで『なんかダンジョン探索してたらむきむきな落武者出てきたんですけどww』的な画像がうpされたりして。……これがまた結構『いいね』されてんだよ、っクソが……」


 あ、この世界SNSとかもあるんだ。なんか俺のイメージしてた異世界と随分違うな。


「……そして、そんな努力も虚しくオレの頭は今もどんどん抜け続けている。昔、オレに群がっていた女共は今じゃすっかり手のひらクルクルクルーテオ伯爵よ。はっ、本当なんなんだよアイツらは、テメェらはオレの髪の毛に恋してたのかよってさ……本当毎晩ずっと、悔し涙で枕を濡らしちまったもんだぜ」


 どこか遠くの方を見つめながら、自身の陰惨な過去を語り続ける筋肉ん。

 だが俺達は未だに誰一人としてその口を頑なに開こうとしない。

 その結果、筋肉んは延々と一人で愚痴り続けるしかなかったのである。


 自分の心を、守る為に……。


「……あっ、そう言えばこんな事もあったぜ? あれは確か……仲間と遊びに行った時だったか。オレが頑張って貯金して買った自慢のオープンカーでよ、ヤリモクで海へ向かってたのさ。そんで、信号待ちで止まってたまさにその時よ。いきなり対向車からギャル系の女が降りて来て、こっちに近づいて来て……」


 ん、何この今から筋肉んの回想シーンでも始まりそうな感じは……?


 そんなまさに俺の予想通りに……筋肉んの回想シーンが始まったのである。



          *



「このっ、ハゲェェェェェェェェッッ!!」



 今にも燃えそうなくらいの灼熱の日差しが照りつける中、オレの車のボンネットをギャル系女が激しく叩きまくって来やがった。

 まるでオレに親でも殺されたのかのような鬼気迫る表情に、そん時のオレはちょっとだけヒヨっちまったのよ。


「……は? あ、いや……オレ、なんかやっちゃいました? 普通に運転してただけ……」


「ちーがーうーだろーっ! 違うだろーっっ!!」


 は、違う? え、何が……?

 本当に全く何が違うのかさっぱり妖精だったオレは、多分自然と変人でも見るような目つきになっちまってたんだろうよ。

 だからなのか、そんなオレの顔を見た女は更に感情を高ぶらせながらオレに殴りかかってきやがった。


「えっ、ちょ、ちょっ……殴るのはちょっとっ」


「違うだろーっっ!!」


「は、え? ……あの」


「お前のその後退したデコッパチがさぁっ! 太陽光反射してうちらの車ガンガン照らしてくるからさぁ、前が見えねぇんだっつーのっ!!」


 罵声をオレに浴びせながらもひたすら叩き続けてくるギャル子を前に、オレはどうしていいのか全くもって分からねぇ。

 しかし女を殴るなんて事したら後々確実にオレが不利になる事は明白だし、オレはその理不尽な暴力にひたすら耐えるしかなかった。


「ちょっ、ほんとサーセン。マジで頭叩くのだけはちょっ……」


「お前はどれだけ私の心を叩いてるっ!!」


「ちょっ、は、え?」


「お前はどれだけ私の心を叩いてるっっ!!」


 オレはいっそ怒りを露わにしてぶん殴ってやりたい気持ちを必死に押し殺し、とにかく相手の怒りが収まるまで謝るしかねぇとショップ店員ばりにひたすら頭を下げ続けた。


「サーセンっ、本当サーセンっ……!」



「ったくよぉ、これ以上うちらの車照らすなよっ! このハゲッ!!」



          *



「……なーんて事もあってよ。はっ、なにが「私の心を叩いている」、だっつーの。意味不明過ぎて笑うしかねぇだろ? なぁ、先生よぉ?」


 いや、そんな助けを求めるような純粋な眼差しで俺を見つめないでくれ。

 いや、確かにかなり理不尽な話だとは思うが……。


「……そんでもってその一件以降よ。オレが仲間達から徐々にハブられ始めたのは……」


         〜〜


「……悪ぃサタン。お前といるとナンパの成功率が下がっちまうんだわ。だから今回はちょっちオレらだけで行ってくっから」


「……お、おぅ、ま、しゃーねぇわな」



「……悪ぃサタン。オレらこれから彼女達と遊びに行くんだわ。だからまた今度な」


「……お、おぅ、また今度な」



「……悪ぃサタン。オレら全員結婚してもう子供もいるんだわ。だからめっちゃ忙しくてよ? お前みたいにヒマじゃねぇんだわ。……だから悪ぃけど、もう誘わないでくれや」


「…………」



         〜〜


「……まぁそんな感じで、それまでつるんでいた仲間達も次第に離れていき、そしていつの間にかオレは髪の毛どころか仲間達まで失っちまったのさ。……ははは、ハゲってだけで全てを失うなんて、何なんだよこの世界はよ? ハゲには人権なんて無ぇって事か? ハゲには居場所なんか無ぇって事なのか? なぁ、教えてくれよ先生……」


 ……くっ、そんな捨て猫のような少しうるうる潤んだ悲しそうな瞳で、俺を見ないでくれっ。


 確かに俺は元教師で、生徒達に教える立場の人間だった訳だけど、だからと言って全ての答えを持ち合わせてなんかない。

 長い時間を生きてきた経験豊富な人生の先輩って訳でもないし、何より最後の方はただのニートだったのだから。

 そんな半人前どころか大人としても失格な俺が、そんなコンプレックスによって引き起こる差別や迫害に対しての解決策なんて、提示できるはずがない。


「…………」


「……ふ、だんまりか。まぁそうだよな。たかが人間の教師に、髪の毛フサフサ野郎に、オレのこの苦しみがわかる訳ねぇよな。……ま、それからの毎日は本当に何の意味もねぇ退屈な日々だったさ。自分の部屋に引きこもって独りでゲームやったり、独りでくだらないテレビ観て飯食ってよ。誰とも喋らず、誰とも出会わず、ずっと独りで……。本当に夢も希望もなんにもねぇ、ただそこに生きてるってだけの……なんの意味もねぇ人生だった……」


 酷く辛そうに過去の境遇を語る筋肉ん。

 その心情に、俺は少なからず共感を覚える。理由は違えど俺も、彼と似たような境遇を辿って来たのだから。


「……なぁ先生、オレが一体何をやったっていうんだ? そりゃあ色々ヤンチャはして来たかも知んねぇよ? でも、それでも、そんな仕打ちってあんまりじゃねぇかよ? ……そんな、そんな理不尽な事が許されてたまるかよっ!」


 筋肉んはその理不尽な現実に怒り、思いを拳に乗せて激しく地面に叩きつける。


「……クソっ。なんで、なんでオレはハゲちまったんだって、なんでオレがって……そんな風にオレは自分の人生を呪い、世界を呪った。だからオレはちょっとでもこの糞みたいな世界に仕返しをしてやるつもりでよ…… 神々の黄昏ラグナロク後もこっそりと地上の街に出ては、幸せそうな奴らを片っ端から脅して金を巻き上げ始めた。そんでもってその金で美味いもん食いまくって、ゲーセンで独りで遊んで、金が無くなったらまた脅して……とまぁ、そんなまさに誰からも嫌われるようなDQN悪魔に成り下がっていったよ」


「……筋肉ん」


 ここまではずっと、この理不尽な世界への憎しみや怨みを言葉に乗せて語ってきた筋肉ん。


 ……だけど、



「……でもよ、そんなオレを……ハゲでクズで最悪なこんなオレをよ……は、、必要だって言ってくれたのさ……」



 不意にその顔を上げ、これまでの負の感情とは全く別の……まるで大切なものが入った宝箱でも開ける時のように、とても嬉しそうな表情で、筋肉んは優しげに語り始めた。

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