果実への道のり 【勇蘭視点】

「……っはぁ、はぁ、これで、終わりっと……」


 辺りは既にとても綺麗な茜色に染まっていて、萌愛ちゃんやおじいちゃんと別れたあの後……僕はいつも通り山頂に登り訓練メニューをこなし、その疲れ果てた体を休める為に手頃な石に腰を下ろしてゆっくりと息を整える。


 鞄からタオルと水を出し、汗を拭い水分補給をしながら既に見慣れた周囲の光景を眺める。


 山の頂上であるその場所は特に整備もされておらずだだっ広いさら地が広がっていて、その所々には黒焦げた木々の残骸や破損した大岩などが乱雑に散らばっている。

 また全面に渡り大量の錆びた剣や壊れた槍なども突き刺さっていて、まるでそこで何か大規模な戦闘でもあったかのようにとてもすさんだ場所と化していた。


「……『神々の黄昏ラグナロク』、か……」


 神々の黄昏ラグナロク……それは十七年前に魔王と呼ばれ魔界を支配していた神の一人、『炎神スルト』が突如反乱を起こし、僕達の住むこの地上に『ヴァルハラ落とし』を行った事による世界規模の大災害の事だ。


 地上を守護する『蒼の戦乙女ヴァルキュリア』によって何とかその直撃は避けられたものの、それでもヴァルハラの巨大破片は世界各地に落下し多大な被害をこうむる事になった。


 勿論、この日本でもその被害は甚大じんだいだったけど、この国の場合はもっとまで落ちて来てしまい、更に大変だったらしい。


 『破壊神オーディン』……神族の長であり最高神オーディンが闇に染まった成れの果てで、超巨大な化け物だったとか。


 そいつが落ちて来たのがまさにという訳で……けど、運がいいのか悪いのか、この日本には僕の父さんがいた。


 地上最強の剣士の称号を持ち、戦いの天才とも称された父さんは神界で魔王を倒した後……その化け物を食い止める為にすぐさま地上に降りて来て勇敢に戦い、『伝説の聖剣』を持ってして何とかこの場所に破壊神を封印した。


 僕は前方を見据える。

 目線の先に見えるのは、山頂の丁度中心に位置する場所にそびえ立つ一番大きな岩。

 そこに夕焼けの光を受けてとても神々しく輝く、一本の剣が突き刺さっている。



 聖剣『祝福の女神リィンヴェル



 だけど、この剣を使ったせいで父さんは……。



 ……そこで僕は考える事をやめ、勢いよく立ち上がり体を伸ばす。

 先程までとても綺麗に輝いていた夕陽は徐々に沈んでいき辺り一面を黒く染め始め、遥か遠くに見える超巨大な大樹をも漆黒に染め上げていく。


 そんな『世界樹ユグドラシル』や更に遥か向こうの上空の、蒼く光り輝く地球や白く輝く月を背に、僕は下山を始めた。


         〜〜


 もう何度も走り込んで来た、勝手知ったる他人の山のように僕は帰り道を歩いて行く。


 けど、そろそろ山の中腹くらいに差し掛かろうとしていたまさにそんな時。

 一瞬左の方から突然柔らかな風が吹き抜けていき、目の前に無数の桜の花びらが舞い落ちて来た。


 ……ん? 街中でもないのに、桜の花びら?


 今まで幾度となく鍛錬の為にこの緑生い茂る山中に入って来たけど、こんな事は初めてだった。


 ……うーん、この山に桜の木なんて確か一本も生えていないはずだし、それに街に近い入り口付近ならまだしも、こんな中腹まで花びらが飛んでくるなんて流石に考えにくいし……。


 舞い散る花びらを見つめながら、僕はこの現象が何故か妙に気になってしまう。


「……ま、行ってみれば分かる事だよね」


 湧き上がる好奇心に即座に負けてしまい、辺りは既に暗くなり始めていたにも関わらず、桜の花びらが飛んで来た方向へと向けて僕は歩き始める。


 その先に、僕の運命を劇的に変えてしまう出会いが待ち構えているとも知らずに……。



          ☆



「……す、凄い、こんな場所があったなんて……」



 今、僕の目の前にはとても美しく、幻想的で、まばゆい月灯りによって照らされた満開の桜の森が広がっていた。


 辺り一面見渡して見ると、その景色が永遠に続いているかのようにさえ錯覚させるほどに桜の木々が立ち並んでいて、足元には桃色の絨毯じゅうたんでも敷いたかのように大量の桜の花びらが敷き詰められている。


 とてもSNS映えしそうな、そんな神秘的な光景に僕は一瞬にして心を鷲掴みにされていた。


「……はぁ、こんなにも綺麗な景色、僕一人で堪能するのは勿体ないってレベルじゃないよこれ。母さんやおじいちゃんも、あ、いや、まずはやっぱり萌愛ちゃんと一緒に……そうだよ、そしてこの綺麗な景色の中で僕と萌愛ちゃんの距離はどんどん縮まってさ? ……それで、それで……ふ、ふふふ」


 僕の脳内が次第に萌愛ちゃんとのピンク色な妄想に染まり始める。

 だけど、そんな僕の幻想をぶち壊すかのように突如物凄い強風が一面を吹き抜けて行く。


「うわっ……!?」


 地面の花びら達がまるで津波のように一斉に僕に襲いかかり、僕は咄嗟に両腕で顔を庇いながらなんとか踏み止まり花びら達の猛撃をやり過ごす。

 するとすぐに風は止み、ゆっくりと視界を開けながら……僕はふと思った。


 もしかしたらこの強風は、神様が僕に繰り出して来た……運命のいたずらなんじゃないかと。


 例えばもしこの強風が無ければ、この桃色の海原が荒波をたてる事も無かっただろうし、もしそうだったとしたら……この海の底にずっと隠されていたであろう目の前のを、僕が見つけるなんて事は無かったのだから。



 散りばめられた桜の世界で一際目立つ、金色に光輝くセミロングの美しい髪。


 天使のようにとてもきめ細やかで、透き通るような白い肌。


 そしてその美肌を惜しげもなくさらすように、一切何も身に纏っていない綺麗な体。



 そんな……俗に言うの状態でもまるで平気だとでも言わんばかりに、安らかに寝息を立てて熟睡しているとても可愛いらしい……



 まるで女神様のような、その女の子を。




 ………………………………ん?


 ……え、


 え、いやいやいや……ちょ、ちょっと待って?


 の女の子が、桜の木の下で熟睡している?


 ……ど、どう言う状況なのこれっ!?

 いやだってさっ? こんな山奥で女の子が全裸で桜の花びらを布団替わりに寝ているなんて、普通じゃ有り得ないシチュエーションだよねっ!?

 も、もしかして誰かのイタズラっ? ドッキリっ?


 僕は挙動不審にキョロキョロと周囲を確認し始める。


 ……う、うーん、パッと見た感じカメラとかは無さそうだけど……いや、でも今はポテチの袋の中に小型テレビなんかも隠せる時代だし、上手いこと巧妙に隠されてるのかも知れない。

 もしそうだったとしたら……それはつまりこの光景がどこかで第三者の厳しい目に晒されているかも知れないという事で、しかも録画までされている可能性もある……って事っ!?

 つまりこの後の僕の行動次第では、自ら不利な証拠を相手に与えてしまうかも知れないって事だっ!


 ……い、いや、ちょっと待って。

 一旦落ち着こう勇蘭? 落ち着いて、そして考えるんだ。この危機的状況から脱出する方法をっ!


 はい、ひっひっふー、ひっひっふー。


 ……よしっ!


 すると突然、まるで助け船でも出してくれたかのように僕の脳内で軽快な音と共に選択肢が現れた。



 →[とりあえず胸を揉む]

  [せっかくなんで胸を揉む]

  [是が非でも胸を揉む]



 ちょっと待ってっっ!!?


 どうなってるのさ僕の脳内はっ?

 全部[胸を揉む]じゃ、全く選択肢の意味がないじゃないかっ!!?

 そ、それに寝ているのをいい事に女の子のむ、胸を揉むなんてそ、そんな事……。


 でも謎の選択肢のせいでつい意識してしまい、女の子の豊かなお山に目がいってしまう。

 ゴクりんこっ……と高鳴る僕の喉。


 ………………い、いや、でもちょっと待って?


 確かに……僕の今日までの人生において同世代の女の子との接触イベントはほぼ皆無。

 異性と手を繋いだ経験なんて母さんくらいなものだし……だから、これはもしかしたらそんな哀れな僕に神様が与えてくれた、最後のアタックチャンスなのかも知れない。


 僕は脳内で必死に自身の正当性を訴えながら、一歩づつ彼女に近づいて行く。


 だけど、ふとそこで僕の脳裏に一人の美少女の姿が思い浮かぶ。

 黒のセーラー服に身を包み、菫色の綺麗な髪をなびかせた一人の女の子の姿が……。


 ……も、萌愛ちゃん。


 僕は踏み止まり、今日あった出来事を思い出した。


 ……そうだ。

 こんな童貞の僕にだって今日、ようやく春が来たんだったじゃないか。

 うん、そうだよ。だからこんな所でそんなリスクを冒す必要なんて全く無いんだ。

 このまま指一本触れずに家に帰って、ご飯を食べてお風呂に入って、あったかい布団で寝て、そのままここでの出来事は全部忘れて、そして明日から萌愛ちゃんと健全なお付き合いを始めて仲を深めてそれから胸を揉む……それだよ、うん、それが正解なんだ。



 ………………いや、いやでもちょっと待って?


 僕は今日の事を更に思い返す。


 そ、そういえば僕ってまだ、ちゃんと返事を返せてなかったんじゃなかったっけ?

 そ、それにもし今晩にでも萌愛ちゃんの気持ちが心変わりしてしまったら? だってあんなにも可愛いんだから選り取り見取りだろうし、それに他の男から声を掛けられた事もあったみたいだし……。


 ……そうだよ。

 いくら萌愛ちゃんから告白されたからといって、まだ確実に胸を揉めるとは限らないんだ。だ、だったらやっぱりこんなチャンスをみすみす見過ごすなんて愚の骨頂なんじゃ……それに確か、据え膳食わぬは男の恥だっておじいちゃんも言ってたし……。


 ……いやでも、もしここで僕がこの子の胸を揉もうとした瞬間に、万が一この子が目を覚ましてしまったら?

 その時、僕は何て言い訳すればいい?

 「何もしないなら帰れ」とか言って家に帰らせる?


 ……駄目だ。

 まず間違いなく僕は警察に捕まってしまう。そして全国的に顔が知られ、きっとSNSで『メンバー』なんて称号をつけられて、永遠にさげすまれる事になってしまうんだ。


 ……それだけは、絶対に駄目だっ!



 →[ん~、ならもしもおっぱいを揉んでる最中に彼女が目覚めたら、「あ、大丈夫ですか? 実は君の意識がなかったんで心臓マッサージしてたんですけど、無事に目覚めてくれてよかった~」って感じで言い訳すればイケそうじゃない?」



 ……え? あ、あぁ……心臓マッサージか、うん、なるほどね。

 確かにそれならいけそう…………ん?


 って言うか何で脳内選択肢にこんなに親身にアドバイスされてるんだろう? 僕は。

 あと、何でそんな可愛らしいボイス付きなのさ?


 →[ほらほら、さくっと行って一回揉んでみなさいよ勇蘭君? そうやって大人の階段を一歩ずつ登りながらみんなシンデレラになっていくのよ?]


 ……いやシンデレラって、僕男だし。ってそうじゃなくて、いやちょっと待ってよっ?

 まだこれが誰かが仕掛けたドッキリって可能性が残ってるんだよっ。も、もしも本当にそうだったとして、僕が揉んだ瞬間をバッチリ録画されてしまったりなんかしたら……。

 しかもそれをネタに大金なんか要求されたりしちゃったら、僕は確実に殺人犯になってしまって火曜サスペンスみたいに崖の端で説教される事になるじゃないかっ。

 そ、それによくよく考えたら、こんな桜の木の下で全裸で眠ってる女の子なんだよ? もしドッキリとか脅迫じゃなかったとしても、なんか別の危ない事件とかに関わっているのかも知れないし。それならやっぱり下手に関わらない方がいいんじゃ……。


 →[……ふーん。なら[女の子には関わらず静かにこの場を離れる]……これでいいの?]


 あ、うん。そう、それだよっ!

 やっぱりその選択肢が正解なんだと思うんだ。


 →[……本当にいいの? それで……]


 ……え、い、いいに決まってるじゃないか。

 触らぬ神に祟りなしって言うし、厄介ごとにわざわざ首を突っ込んでもいい事なんてきっとないよ。


 →[ふーん。まぁ、そうね。でももしも、もしもこの子が悪い奴らから逃げて来てたんだったとしたら? それで何とか命からがら逃げ切って、必死にここに身を潜めてたんだとしたら?]


 ……え?


 →[それでも君は、「僕には関係のない人間だから」って、「自分に被害が及ぶのは嫌だから」って、この子がどんなに困っていたとしても放置して、それで全部無かった事にするの? この後もしこの子になにかあったとしても……自分は無関係な顔をして、平然と生きていけるの?]


 ……そ、それは……。


 脳内選択肢ちゃんからのその鋭い指摘に、僕は何も言い返せない。

 なぜならその問いの答えなんて……考えるまでもない事だからだ。



 僕にはそんな事、きっと出来ない。



 ……脳内選択肢ちゃんの言う通りだ。

 このままこの子を置いて行ったとしたら、僕はきっと必ず後悔する。

 あの子はどうなっただろう?

 悪い奴らに襲われてないかな?

 暖かくなってきたとはいえ夜はまだ肌寒いし、やっぱり例えリスクを負ってでも関わっておくべきだったんじゃないかって……。



 そう、答えは最初から決まっていたんだ。



 ……ごめん、脳内選択肢ちゃん。

 僕はいつのまにか自分の保身の事ばかり考えて、この子の心配なんてまるでしていなかったよ。

 けど、君のお陰で目が覚めた。あぁ、そうさ。この状況でこの子を見捨てて行くなんて選択肢、僕の中にあるはずが無いんだっ!


 →[ふふ、そうね。ならここからどうしたらいいかは、もう分かるでしょ?]


 ……うん、もう大丈夫。

 本当にありがとう、脳内選択肢ちゃん。


 僕は脳内選択肢ちゃんに最大級の感謝を告げ、同時に自分の表情を強く引き締め、そして再び女の子に向けて歩を進める。


 僕はもう、迷わないっ。


 強固な意志を心に纏い一歩一歩確実に女の子に近づいていき、そしてようやく辿り着いたその綺麗な裸体を前に片膝をつく。

 自身の両手に神経を全集中させながら、ゆっくりと、でも確実に、目的地である二つのお山へとその手を伸ばす。


 あと、二十センチ。


 近づくにつれて激しく高鳴る僕の鼓動は今にもはち切れそうなほどに振動を繰り返す。


 あと、十センチ。


 ここまで来ると集中力は最大限に高まり、僅かなズレも許さないほどの正確な照準で近づいていく。



 だけど、その時。



「……ん」



 あと残り僅か五センチといった所まで来ていた、まさにその時だった。


 彼女の可愛らしい唇が少し開き、その隙間から出てきた可愛らしい吐息と共に、綺麗に整ったまつ毛が微かに震えたのは……。


 そしてその透き通るように美しい蒼い瞳ブルーアイズ


 ゆっくりと開き始めてーー



 僕と彼女の視線は交わった。

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