第13話・釈迦堂
相模国に長く横たわる海岸から
「越後守の使いにございます。
左様にございます、そう返したところ男と僧は頭を下げて、叡尊を鎌倉へと迎え入れた。
「大層なものを賜りまして、越後守殿に何と御礼を申し上げればよいものか」
はてな、とする使いに対し、僧には思い当たるものがあって、堪らず叡尊に話しかけた。
「南宋より取り寄せたる
そのやり取りを耳にして、使いはあれかと思い出した。昨年末、実時は叡尊に
このうち一巻を、二度目の遣いに託していた。叡尊は深く感謝し、さっそく西大寺にて一切経を使った説法を行った。
もう一巻は
叡尊はというと、期待に目を輝かせる迎えの僧に、困ったような笑みを浮かべた。忍性の説法では物足りないのか、と思わずにはいられない。
「良観房は、如何にしておる」
「布教と救済に日々邁進しておられます」
立派な方だ、そう手に取るように感じられる口ぶりだった。しかし叡尊はというと、先の言葉が耳から離れず長い眉を怪訝にひそめる。
「越後守がお待ちです、お疲れかと存じますが先を急ぎましょう」
ふたりに促された叡尊は、実時が待つ鎌倉へと向かっていった。
普段は冷静沈着で、影で冷徹と揶揄される実時だったが、叡尊を迎えるこのときばかりは年甲斐もなく胸を躍らせていた。はじめの使者から受け取った手紙どおりの熱意であり、疑っていたわけではないが、これが実時の真意だと叡尊は改めて感銘を受けた。
「今宵は、母の縁ある天野の邸を手配してございます。我が所領、
すると突然、叡尊の表情が雲を帯びた。非礼に気づいて陰りを払うが、日差しが差し込む気配はない。
「称名寺という名から察するに念仏の寺でございましょう。拙僧のため念仏を停止するなど、
これには実時、堪らず顔をしかめてしまった。叡尊をそばに置き、心ゆくまで説法を聞きたい、しかし所領の金沢には息のかかった寺しかない、希望が
ならばここ鎌倉で、そう考えたものの北条の息がかからぬ寺などあるだろうか。幕府に欠かせぬ実時の智慧も、この要望を聞き入れるのは困難を極めた。
「一族郎党挙げて無縁の寺を探します故、お待ちくだされ」
と、平伏して天野の屋敷に金沢の一族を集め、どこがよいかと考えを巡らせたものの、そうやすやすとは見つからない。
その事態を聞きつけたのか悟ったのか、施粥を終えた忍性が恐れながらと訪れた。誰もが背中を丸めて腕を組み、眉をひそめて唸っているので、忍性は額を床に擦りつけて叡尊の我儘をひたすら詫びた。
「西大寺の流儀にございます故、
そういえば忍性も鎌倉入りした際に開口一番、無縁の寺を求めてきたと思い出し、迂闊だったと実時は顔をしかめた。しかし今は、それを悔やむ暇などない。
「招いたのは、この越後守だ。面を上げよ、良観房。それより寺を手配せねばならぬのだが、妙案はなかろうか」
これに責を感じた忍性は、言いかけては噤むを繰り返した末、口惜しそうに歪めた口をおずおずと開いた。
「新清凉寺釈迦堂を無縁の寺とし譲りましょう」
実時はこれに驚き、膝を立てて
すると忍性は意を決した顔をして、晴れやかに策を述べた。
「拙僧は一旦、常陸三村寺に身を寄せます。鎌倉も永くなりました、常陸が如何なる様か気がかりにございます故」
実時は苦悩を唸りに変えて、忍性の真正面へとにじり寄った。ただならぬ覚悟が立ち上っている様は、火炎を背負う不動明王のごときであった。
「金沢称名寺の釈迦堂にて風待ちをせよ。そして必ず、この鎌倉に戻ってくるのだ」
忍性は林のように鎮まると、気をかけた実時に頭を下げた。永く永く伏せた顔は、苦痛と恥辱に歪んでいた。
私は
今の私には、叡尊に合わせる顔などない。鎌倉を
悶々として迎えた翌朝、荷をまとめて扇ヶ谷を去る忍性を迎えたのは実時だった。静かで重たい足取りは、山吹色の朝日を浴びても闇の中にあるようだった。
六浦道に歩みを進め、朝夷奈に向けて茂みが濃く、通りが狭くなった頃、実時もまた意を決して唇を噛む忍性に声を掛けた。
「寄りたいところがある、よいか」
「急ぐ旅ではございません、越後守殿の思し召しのままに」
それから実時は目的の場所に着くまでの間、何ひとつ言葉を発しなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます