第14話・蒲里谷
幾度となく通った道で、手を加えられていない山を越えるよりは容易いものの、切通しはやはり険しい。往来と守りを兼ねているのだと、改めて気づかされる。
実時と忍性は黙々と歩みを進め、長い朝夷奈を越えていった。それから
六浦道を往来するたび目についていたものの、醸し出される近寄り難い雰囲気と、実時が足早に立ち去ったので、忍性は今まで触れずにいた。
その館の前に、今はいる。
実時は硬い表情を一切崩さず、中の使いの者を呼び出した。そばの忍性も緊張して、舌の根までもが乾いてしまう。
「これは……」
慎重にほんの少しだけ扉が開くと、迎えた使いが目を見張り、それから沈痛な顔をして、感謝と労いを込めて深く頭を下げていた。
「
「任せてしまって、すまぬ。恩に着る」
使いは、何も言わずにふたりを中へと導いた。するとすぐさま苦悶に歪む唸り声と、それを必死に抑え込む吐息が聞こえた。
奥へと進む実時、そして忍性はそれぞれの覚悟を決めて、固く閉ざされた
が、破裂音を伴って襖が倒れた。使いが慌ててそれを押さえて脇へと寄せる。
その襖には引っ掻き傷が無数に走り、残った上貼りは汚されて、ただならぬ異臭を放っていた。
「板戸にせよと申したであろう」
「申し訳ございません。それでは……お館様の爪が剥がれてしまいます故」
実時の叱責も使いの弁明も、忍性の耳に届かなかった。解き放たれた光景に言葉を失い硬直してしまっている。
実時は向き直り、忍性の目に映る光景を見て、呼吸を整えてから強く短く言い放った。
「父だ」
布団を剥いで唸りを上げる
「いけませぬ、古傷に触れてはいけませぬ」
我を失った実泰は、渾身の力で痩せ細った四肢を暴れさせていた。それからは意志も思考も感じられず、ただ本能に任せているのみである。
堪らなくなった忍性は汚れた床を踏み鳴らし、実泰の胸ぐらに飛びついた。そしてすぐさま、矢を受けた馬のように暴れ狂った両の手首を押さえ込む。
「危のうございます、
身を案じながらもオロオロとするだけの使いをよそに、忍性は目の焦点を失った実泰を真正面に捉えていた。
「大事ない、案ずることはございませんぞ、息をゆるりと吐いてみなされ」
実泰の呼吸を掴んだ忍性は、時間をかけて息を吐き出す。それを耳にした実泰は、吐息の調子を忍性に委ねた。
そうするうちに落ち着きを取り戻した実泰は、木偶のように力なく布団に身体を沈めていった。
ころりと首が転がって、目についたのは嫡男の実時。虚ろな瞼がくわっと開くと布団から跳ね、安堵していた忍性は
「越後……」
使いの者がそう言いかけたとき、実時の襟首には実泰が掴みかかっていた。殺される、そう思い急いで引き剥がそうとしたものの、実泰は激しく震えて涙をこぼした。
もう聞き取ることの叶わない、うわ言のように繰り返される実時の幼名。それに実時は胸をえぐられ、ふいと目を背けてしまう。
実時はその横顔に母の面影を見て、襟にかけた手をわなわなと離し、すべてを歪めて嗚咽した。「母上、何故」と切れ切れに漏らした声が自身の身体に浅く、幾重にも刻みつけられていく。
その隙に使いの者が引き剥がし、みっともなく顔を濡らす実泰を布団に寝かせて
「恐れながら、お側におられますと障ります故、今日のところはお引き取りください」
実時は謝罪も労いも発せずに、忍性を伴い部屋を出た。閉ざした襖の前に立ち、目を伏せて忍性と向かい合う。
忍性は実時の頼みを悟り、表情を凍らせたまま膝をつき、両手をついて頭を下げた。
「これまでの働きをご覧頂き、お父上を救えると白羽の矢を立ててくださったと存じます。しかしながら……」
「わかっておる、すまなかった」
口惜しく見上げると、寂寞とした笑みが浮かんでいた。息子だとわかってくれただけ、まだよいとでも言っているようでもあった。
忍性は床に拳を突き立てて、襖の正面へと向き直った。法衣を整え、
「即席で申し訳ございません。お父上の病が少しでも癒えるよう、祈祷をさせて頂きます」
実時は、忍性から一歩ほど離れて同じように腰を下ろした。
「すまぬ、良観房」
「いえ、これしきのことしか出来ませぬ故」
医者にも、実時の蔵書を
襖の向こうのうめき声はそのうち
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