四場 偽りの応酬

 王仙羽ワンシェンユーが外の牢で目を覚ましたのは、その日の夜のことだった。土を掘って固めただけの半地下の牢は外から丸見えで、雨風を防ぐ手段もあってないようなものだ。天井も低く、背を伸ばして立つこともままならない。むしろを敷いただけの地面は乾いてはいたが、一睡もできそうにないほどカチカチに踏み固められている。どこを取っても粗末な牢だった。


 村の中心の広場では宴会が開かれているらしく、人々の笑いさざめく声がここまで聞こえてくる。その中に混じって陳芹チェンチンの訛りの強い大声と、ふわりと天に昇ってしまいそうな例の匂いが風に乗って王仙羽のところにまで流れてきた。やはり陳芹は、あの毒酒で良からぬことを企んでいるのだ。確証を得るためには仕方がないとは言え、自分の目の前であらぬ悲劇が起きようとしているのに、牢の中で手も足も出せないのがもどかしい。牢の中で悶々としていると、良く知った気配が牢の前に現れた。

「王仙羽!」

 牢の前にしゃがんでいるのは凛冰子リンビンズだ。王仙羽はぱっと顔を上げると、「凛先生!」と答えた。

「万事手筈どおりですか」

「当たり前だ。あの爺さんを撒くのは骨だったがな……ずっと観察していたが、やはり爺さんが一番やり手だ。例の二人組も強いことは強いが、大した手合いではない。反乱軍も大半は村の外の者で、例の棍術も習いたてだ」

 凛冰子は小声で言うと、木組みの格子に腕を入れて手巾の包みを差し出した。

「食べろ。厨房から頂いてきたものだ。連中も食べているから問題ない」

 まだ熱いそれを受け取って布をめくると、中にもう一つ木の葉の包みがあった。紐を解いて包みを開くと、山菜と米を握って蒸したものが入っている。祝いの席で食べる料理に王仙羽が首を傾げていると、凛冰子が言った。

明朝みょうちょうに出発して、ここから一番近い役場を襲うそうだ。今晩はそのための宴会だと」

 王仙羽はそうですかと頷くと、粽を一口かじった。村の女衆が丹精込めて作ったものなのだろうが、彼女たちもこれを食べる男衆も、皆陳芹に騙されているのかと思うとやるせない気分が増していく。

「……奴は、村の人々に何と言っているのですか?」

 王仙羽が尋ねると、凛冰子はため息をついて首を振った。

「例の酒を飲めば、二度と斃れることのない最強の兵士になれると。皆飲んでも何ともないあたりを見ると、あいつめ、やはり一甲子の間に改良を重ねたな」

 凛冰子リンビンズの言葉からは淀みのような怒りがにじみ出ていた。二度と斃れない兵士というのは、死んだら陳芹の配下に成り下がるということに他ならない。王仙羽は言葉少なに粽を食べると、手巾と木の葉を凛冰子に返した。

「そういえば、私がここにいることについて、陳芹チェンチンは知っているのですか? 何か動きはありましたか」

 王仙羽が尋ねると、凛冰子は「分からぬ」と答えて水筒を手渡した。

「だが、爺さんが話していてもおかしくない。そうなると、奴も寝首を掻きにくるだろうな……そうだ、陳芹といえば、奴も明朝、軍と共に村を出るようだぞ」

「そうですか……ということは、今ここで我々に構っている暇は奴にはないのですね?」

 王仙羽ワンシェンユーの脳裏に、ふとあることが閃いた。その様子に首を傾げた凛冰子は、王仙羽の次の一言で天地がひっくり返らんばかりに驚いた。

「先生、その着物の裏地は白ですか?」




***




 宴も終わり、皆がすっかり寝静まった深夜。村の隅の牢に、闇に紛れて近付く影があった。

 ひょうたんを傾け、鼻歌を歌いながら歩いているその影は陳芹チェンチンだ。足を止め、暗闇に沈んだ牢に目をやると、地面に横たわる純白の影がぼんやり浮かんで見えている。

「元気そうやな、道長」

 小馬鹿にしたような笑みを浮かべて陳芹は呟いた。あの後、陰霊城に残した仲間から凛冰子リンビンズが王仙羽を連れ出したとは聞いていたが、二人してここまでやって来たということは、あの偽鬼神が息を吹き返させたらしい。

「上手いこと行かんもんやなあ。けど、わしかてあれだけが手札やないで。わしもあんたも、しぶとさではどっこいどっこいや」

 そう言って懐から取り出したのは、よく砥がれた匕首だった。暗く光る刃にはもちろん毒が塗ってある——素質もない身で中年を過ぎてから死霊術を修めるのは骨だったが、それまでに身に着けた毒と暗器の術は実力の不足を補ってあまりあるものだ。昔取った何とやら、蠱毒の壺で生き残るには手段は選んでいられない。

 陳芹は狙いを定めると、こちらに背を向けて眠る影に匕首を放った。鈍い音とともに刃が肌に食い込めば、白い影は苦しそうにもがき、息を詰まらせながらのたうち回る。だが、それも次第に弱くなり、ついには弱々しく痙攣するばかりになった。陳芹は満足げにほくそ笑むと、さっさとその場を立ち去った。



(行ったか)

 凛冰子リンビンズはそっと背後に目をやると、喉元に集めた毒を地面に吐き捨てた。着物の裏が白かと聞かれたときは驚きのあまり卒倒するかと思ったが、王仙羽の策のとおり、陳芹は蝋燭の一本も携えず、暗闇の中に横たわる白い影だけで中にいるのが王仙羽だと判断した。着物を裏返して髪を全て結い上げ、下着の端を細く割いた間に合わせの一字巾を締めれば、あとは顔さえ見せなければ入れ替わりには気付かれない——昔なら断固として断っていたが、こんな単純な細工が功を奏したというのはなかなか気持ちが良い。

 王仙羽はすでに脱出し、森に潜んで翌朝の出立に備えている。あとは隙を見て逃げ出すのみだ。

(一甲子の恨み、必ず晴らしてやる)

 凛冰子は眉をひそめると、袖で口元をぐいと拭った。

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