三場 甘言の利害

 酒鬼を李知恩に任せ、荘家の主に別れを告げて、王仙羽ワンシェンユー凛冰子リンビンズは道を急いだ。李知恩が吐かせた陳芹チェンチンの居場所は、この山間の盆地の中でも長江流域に広がる農村地帯だった。中原全土に広がりつつある反乱の勢いを受けて周辺の農民が集まって官軍を相手に反乱を企てており、陳芹はそのただ中に単身乗り込んでいったというのだ。もちろん、民を苦しめる愚帝の手先に目にもの見せてやろうなどという大義があっての行動ではない——せいぜいが火事場泥棒か、もしくは例の毒酒を使ったたちの悪い計画でも立てているのだろう。そして、もしも後者であるのなら、陳芹がもたらす損害ははかり知れない。農民でも官吏でも、いかなる身分の者であれ、死霊術の餌食にしてしまうわけにはいかないのだ。



 二人がたどり着いたのは、チャオ家村という小さな村だった。しかしこの村は小さいながらも一端の勢力を誇っており、家伝の武術を頼みに自警団まで組織しているという敵に回すと厄介な手合いだ。最近ではその自警団が中心となって周辺の村々から志を同じくする者を集め、朝廷に楯突く一勢力に育ちつつあるという話を二人は道中何度も耳にした。


 それもあってか、のどかな田園風景の広がる中、村の領域に入ったあたりからピリピリと殺気だった空気が流れだした。青々と茂った稲の影からはあからさまなほどの警戒心が漂ってくる。王仙羽と凛冰子はそれに気付かないふりをして、悠々とあぜ道を歩き続けた。

「所詮は自警団上がりだな。得体もしれない侵入者に隠れ場所を見破られているようではどうしようもない」

 凛冰子が扇子の影で耳打ちする。ちらりと視線を向けた先の稲が不自然に蠢いたのを、当然王仙羽も見逃さなかった。

「確かに、警戒心が強すぎますね。これでは敵に自分の場所を教えているようなものだ……だからこそ、我々が危害を加えるような真似はしたくありませんが」

 王仙羽がささやき返すと、凛冰子はフンと鼻を鳴らした。

「連中が陳芹チェンチンをかばっているなら話は別だぞ。そうなれば私は容赦せぬ。命は取らずとも、腕を一本折られるくらいの覚悟はしてもらわねば」



 村の入り口では、背の低い老人と、その脇を固めるように若い男が二人、連れ立って王仙羽たちを待っていた。さすがにこの三人、特に中央の老人は稲穂の中にいたのとは格が違うと、王仙羽も凛冰子も即座に感じ取った。おそらくこの老人が趙家の村長にして、チャオ家の武術の師範代なのだろう。両脇の二人は、さしずめその直弟子といったところだろうか。

 王仙羽と凛冰子は三人の手前で足を止めると、揃って拱手して一礼した。

「道士様。遠路はるばるよう来られた。我が趙家村に、どのような用がおありかな」

 礼を返すこともせず、老人が静かに言う。王仙羽は

「村長直々の出迎え、感謝いたします」

 と答えると、頭を上げて言葉を継いだ。

「私は碧雲観へきうんかんより参りました、王仙羽ワンシェンユーと申します。この村に蒼生にあだなす下法の術師が隠れていると聞き、こちらのリン兄とともに参上した次第にございます」

 老人も、左右に控える若者も、眉一つ動かさずに王仙羽たちを見つめている。老人は長い白髭を撫でると、ふむと呟いて言った。

「方術師なら、たしかに今一人逗留を許しておるが。それが其方らの探す下法の術師だと、断定された根拠は何かな?」

「道中のうわさ話にございます。ここに来るまでに通った村や宿屋の者は皆、この村に不死長生の秘薬を持ったチェンという方術師がいると言っておりました。よろしければ、その方術師に直接会って話を聞きたいのですが」

 王仙羽が答えると、老人の右隣の若者の頬がピクリと動いた。凛冰子リンビンズがすかさず若者に目をやったが、若者はすぐにもとの仏頂面に戻っている。

(やはり、ここにいるな)

 凛冰子はそう確信すると、王仙羽を小突いてその青年に目線をくれた。王仙羽は小さく頷くと、老人に向き直って言った。

「もしも私どもが聞いたうわさが嘘偽りであると分かったなら、即刻村から立ち去ることをお約束します。ですが、本来不死長生を可能にする丹薬は、各々が修行の中で苦心して生み出すもの。そのようなものを売り歩いているというのは、何か裏があると思うのです。長居はいたしません。どうか、その者と会って話せないものでしょうか?」

 老人は考え込むように長く息を吐くと、両隣の若者に目配せし、手を軽く払って何やら合図した。二人が退くと、老人は王仙羽たちに向き直って言った。

ワン道長のお心がけ、侠の一字に相応しいものと心得た。ついて参られよ」




***




 老人の案内で入った村では、誰もが戦の準備で忙しくしていた——帷子の手入れをする女性に、何やら話し込みながら兵糧を作っている娘たち。村の中央では、長い棒を持った男たちが鍛錬に励んでいる。痺れるような緊張感が漂う中、老人に連れられた二人は、村の奥の一番大きな家に通された。村長一家の住まいなのだろう、老人が通ると誰もが「大爺」と頭を下げる。廊下を渡った先の一室に、先ほどの二人組は控えていた。

 老人が手を伸ばし、部屋に入るよう合図する。王仙羽と凛冰子は、昼間なのに薄暗いその部屋に一歩踏み込んだ。

陳芹チェンチン殿、客人ですぞ」

 老人が外から呼びかける。すると、間髪入れずに部屋の隅の寝台から空を切って何かが飛んできた。とっさに左右に分かれると、頬を殺気がかすめるとともにタンッと軽い音がする——振り返ると、二人の背後の壁に鏢が刺さっていた。

 声を上げる暇もなく、王仙羽と凛冰子それぞれにめがけて鏢が放たれる。身を翻して鏢を避けた王仙羽ワンシェンユーは、その直後に飛んできた小さな玉を反射的に手刀で叩き落とした。


 その瞬間、玉が割れて大量の粉塵が部屋中にまき散らされた。王仙羽はとっさに袖で口を覆ったが、それでも少し吸い込んでしまった。

「罠だ!」

 凛冰子リンビンズが一言叫ぶ。視界が効かず、喉の違和感に咳き込む王仙羽に接近する。ブゥンと空を切って振り下ろされたのは棍だろう、半身になって避けると、つい先ほどまで足があった場所に堅いものが落とされてガンと音を立てる。もう一方からも棍を振りかぶる気配がして、王仙羽はまたくるりと身を翻した。左右両側から息もつかせぬ猛攻を仕掛けてくるこの相手は、例の二人組の若者で間違いないだろう。三人の動きに粉塵が巻き上げられて視界は余計に悪くなり、王仙羽はひたすら逃げに徹することしかできない——というよりも、王仙羽はあえて逃げに徹していた。二人一組での棍の攻撃はたしかに強力だが、よく観察すれば同じ套路を二人で順番をずらして演じているだけだ。武術の知識に乏しい農民や下級兵士には通用するかもしれないが、その道一筋の侠客や、武芸に長けた猛将が相手となるとすぐに見破られてしまうだろう。


 王仙羽ワンシェンユーは適当に攻撃を受けたり流したりしながら、くるくると舞うように逃げ続ける。すると、粉塵の中を気配が一つ横切った。一拍置いて老人が「逃げたぞ!」と鋭く叫ぶ——計画成功だ。陳芹を手元に置きたがる奴らに中に通されたところでろくなことにはならないだろうと、王仙羽と凛冰子は事前に手筈を整えていた。襲撃を受けた場合には王仙羽が残ってあえて捕まり、神出鬼没の凛冰子がその場を離れて村の中を探る。そして今、老人の一言で、王仙羽には凛冰子がこの場から消えたことを読み取った。

 老人の声で若者二人が外に注意を向けた隙に、王仙羽は一人の鼻を思い切り叩いた。パン! と鋭い音がして、くぐもった呻き声とともに一人がよろめいて後退する。もう一人はすぐさま反撃に出て、王仙羽の首筋めがけて棍を振り下ろした。王仙羽はわざとその懐に入り込み、胸を打つと見せかけてうなじに一撃を受ける。この短時間で何度も繰り出された型だったが、実際に受けると思ったよりも強烈な衝撃が全身を襲った。目の前を星が飛び、王仙羽はうーんと呻いてその場に倒れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る