からかい好きな小悪魔後輩が、防御力ゼロだったとしたら。

音無 蓮 Ren Otonashi

からかい好きな小悪魔後輩が、防御力ゼロだったとしたら

 真夏の昼間は、学校の屋上にある給水塔の陰が過ごしやすかった。

 涼しい風に撫でつけられると、汗をかいたワイシャツがよく冷える。

 キンキンに冷えた麦茶を喉に通すとなおよし。

 僕、弦巻秋斗は、昼休みの一時間を誰よりも快適に過ごしている自信があった。


「秋斗センパイ! 今日もここにいたんですねっ! おとなりお邪魔します!」


 ――隣に生意気な後輩がひっついてくる点を除けば。

 給水塔の影がふいに伸びた。麦茶を飲み干しながら、逆さになった目線が合う。ベージュのショートカット、色白な肌、蠱惑的な笑み。昼休みの災厄はなんの前触れもなく訪れて、許可もなしに僕の隣に居座った。


「ふふ、センパイったら、毎日ここで一人ご飯してて寂しくないんですかぁ?」

「お前と違って友達が少ないからしな。エアコンが効いている部屋で一人飯よりも、快適なんだよ。戦略的撤退ってヤツ」

「繕ってもぼっち飯じゃないですか」

「いいか、藤代。君はオブラートに包むことを覚えたまえ」

「秋斗センパイ限定ですよ、こんな雑な扱いできるの」

「上目遣いで見るな。あざとさが透けて見えてるぞ」


 わざとらしいウインクで返した、この女こそ僕にとっての昼休みの災厄だ。


 名を藤代遥、という。学年は僕の一個下なので、高校一年生。小柄な小動物系の見た目で、活発的な性格だ。男女構わず別け隔てなく接する無邪気な一面があって、よく異性から勘違いを受けることがあるらしい。小悪魔様様である。


 藤代遥という後輩が、屋上の給水塔というベストスポットを訪れるようになって、一ヶ月が経とうとしていた。むろん、彼女は最初からこのようなクソあざとい小悪魔女だった、というわけではなかった。が、どうしてこんなにも距離が近くなったのだろう。


「ふふ、本当は寂しくて仕方がないんですよね?」

「やかましいよりはマシだよ」

「だったら私がにぎやかにしてあげますね、センパイ」


 人の嫌がることをやるなと親に習わなかったのだろうか、この女は。

 とはいえ、言ったところで聞かないのは既に知っているので無視することにした。

 昼食。銀ホイルで巻いたおにぎり二つ。手製。その片方を剥いていただく。

 ちなみに具はどちらも梅だ。


「毎日それですよね、梅おにぎり二個。飽きないんですか?」

「イチローと同じ理論だよ。日々のルーティンをこなすことがパフォーマンス向上につながるんだ」

「でも、イチローのマネをしている割には運動がからきしじゃないですか。この前の体力テストだって……」

「どうして後輩である君が僕の体力テストの結果を知っているかはさておき」

「おかず作るのが面倒くさいって認めればいいのに。強がるセンパイもいじり甲斐がありって好きなんですけどね」


 彼女の軽率な「好き」は僕をガツンと揺さぶるには覿面だった。そういうのは本当に好きな人にしか言っちゃいけないんだぞ。

 藤代はというと、屋上の欄干から足を投げ出してぶらぶらさせていた。手元には二段組の弁当箱。蓋を開けてみれば、そこにはソーセージに卵焼きなど、可愛らしいおかずが目白押し。


「……それ、藤代が作ったのか?」

「ふふん、そう! 私の手作りですっ。普段はお母さんに作ってもらってるんですけど、今日は特別に作ってきました!」


 彼女はずいぶんと上機嫌のようで、ふんふんと高らかな鼻歌を口ずさんでいる。毎日こうして昼休みにご飯をともにしていると、嫌でも変化には気づくもので、……特に彼女の両手指に巻かれた絆創膏が彼女の努力を物語っていた。


「というか、秋斗センパイ。よく私が作ったって見抜けましたね? どうして気づいたんですか?」

「普段の弁当よりおかずの数が少なすぎる」

「痛いところを指摘された!? ……でもでも、センパイよりはマシじゃないですか!」

「それは否定できない。おかず作ってる暇があったら寝ていたいからな」

「むぅ……。そんなだから私にからかわれちゃうんですよ?」

「からかわなくていいだろ」

「からかう隙を与えるからいけないんですぅー」


 ぱたぱた、と足をばたつかせる藤代。

 あんまりばたつかせると向かいにある教科棟から下着を覗かれてしまいそうだ。

 などと、危惧していたら突如、真下からぶわ、と風が吹き付けた。

 藤代の驚いたような横顔と、舞い上がるプリーツスカートがくっきりと映る。

 僕は咄嗟に顔を反らした。

 ただ、白い布切れが微かに視界の隅に映ってしまった気がする。

 突発的な風はすぐに止んで、また平穏の屋上が戻ってくる。


「藤代、大丈夫か?」

「……んー? 何がですか?」

「その、……スカート。めくれてたから」


 憎たらしい後輩とはいえ、中身は女性。

 ともなれば、最低限の礼節を弁えるのが僕なりのポリシーだった。


「センパイ、私のスカートの中、見えました?」

「……白、だったらすまん」

「正直に話してくれるの、センパイらしいですね。目、もうそらさなくて大丈夫ですよ」


 おずおずと振り返れば、彼女のスカートはきっちり元通りだった。内心ホッとした。安心しきったことで、僕は自分の手元からおにぎりがすっぽ抜けていることに気づく。


「おにぎり、転がっちゃっていますね……」


 藤代が指した方向には、食べかけのおにぎり。

 ちょうどアルミホイルを剥いた面が接地しているので、食べないほうがいいだろう。

 転がっていたそれを拾って、包み直す。その様子を藤代はじっと見つめてきた。そして、クス、と微笑むと、


「咄嗟に目に入った下着のことを正直に報告してくるセンパイには、ご褒美をあげなくてはいけませんね?」


 そう言って、彼女は弁当箱から一切れの卵焼きを箸ですくって、こちらに向けてきた。


「い、いいのかよ、最後の一切れじゃないか」

「センパイの背中がちょっと悲しそうだったので、後輩は慰めてあげたいのですっ」

「いちいち上から目線だな!」

「で、いるんですか、いらないんですか~?」


 ほいほい、と卵焼きを摘んだ箸を寄せてくる藤代。しかし、この構図は「あーんっ」ではないか。ラブコメのど定番イベント。バカップルのバカップルによるバカップルのための餌付け行為。箸の先が濡れているのは、さっきまで彼女が口に含んでいたからだろう。


 意識したら顔が熱くなってきた。夏のせいにするには、給水塔の陰は涼しすぎる。

 確かに梅おにぎりしかない昼食に飽きが回ってきた頃だったけれども! 

 おかずが一品あるだけで昼食への満足度は跳ね上がるけれども!


「あれ~? センパイ、もしかして私にあーんっ、されるのが恥ずかしいんですかぁ?」

「そ、そんなわけないだろ!? 君はただの後輩。決して恋愛対象ではない。それに君の振る舞いはラブコメのお約束である以前に、僕を慰めようとした心優しき行為であり、拒否をするということは、君の思いを踏みにじることで――」

「あーもう、センパイって慌てるとすぐに難しく考えるんだから! いいから食べなさいって。ほらっ!」


 しびれを切らした箸が僕の口に突っ込まれる。うぎゃ。

 僕は咄嗟に、口を閉じて箸の進行を阻止する。

 口の奥に運ばれた卵焼きはほんのり甘くて、優しい味だった。


「どうですか、私の手作りは?」

「……ひゃいほうです」

「ふふん、当然ですね。だって、私がセンパイのために作ったんですから」


 僕のために? 藤代自身のためではなくて?

 どういうことなのか、聞き返そうとしたが、彼女はそっぽを向きながら、僕の肩に寄りかかってきた。ふわ、と柑橘系の香りが鼻腔に立ち込め、意識がくらっとする。

 普段、教室で日陰者をしている僕にとって、彼女は危険因子だ。距離が近すぎる。

 この女は、普段も男女ともども見境なくこの距離感で接しているのだろうか。 

 少なくとも、僕は自分を思春期男子の一般的なサンプルだと思っているが、その知見からしてみると、この距離感は猛毒だ。勘違いが止まらなくなるのも無理はない。

 いい匂い、高めの体温、蠱惑的な笑み、汗ばんだ肌。その全てをゼロ距離で浴びるのだから、めちゃくちゃになるのも道理のはず。

 切実に我が理性を褒め称えたい。

 たった一人の後輩のせいで、僕の性癖はもうぐちゃぐちゃだ。


「ねえ、センパイ」

「……なんだよ、」

「ちょっと暑いので、ボタン外しますね」

「!?」


 ボタン? なんのボタンだ。そんなのは分かっている。二人の間にぷち、ぷち、と微かに、しかし、確かにボタンが外れる音が流れていく。ワイシャツだろうか。

 いくらなんでも無防備すぎる。

 僕だって男だ。

 挑発がエスカレートすれば何をしでかすかわからない。

 彼女の一挙手一投足が心臓の音を激しくする。頭に血を巡らせる。良からぬ妄想をはかどらせる。視界の端に写った、白くて細い腕だけで彼女の肢体を脳内補完してしまう。

 高校生ってそういう生きものだ。破廉恥にめっぽう弱い。

 ただし、経験豊富な場合を除く。

 胸騒ぎを落ち着かせたくて、目をつぶり、耳をふさいだ。

 視覚と聴覚で破廉恥な情報を摂取しているならば、情報源を遮断すればいい。

 僕は何も見ていない、聞いていない。だから興奮する理由はない。

 我ながら完璧な論法。ただ一つ、欠陥があるとしたら興奮冷めないことだ。

 どうしよう。


「……セーンパイっ♪」


 狼狽しているうちに、藤代が僕の手のひらごしに耳元にささやきかけてきた。直に吐息があたっていたら変な声が出ていたはず。九死に一生を得たな。


「目を開けてくださいって。ほらほら、涼んでる後輩が目と鼻の先ですよ~」

「嫌だね、僕は見ないっ。開けてるボタンの数が多すぎるからな。君が許したとしても、僕の理性が断固として許さない!」


 ぷち。


「ほらまたボタン開けた」

「なーに鼻息荒くして言っちゃってるんですか、説得力ないですよぅ」ケラケラと小馬鹿にするような笑いが聞こえた。「それに……ちゃんと見てくださいよ。私、ボタン一個も外してませんし」

「そんあことあるわけ――っ!」

「ふうん。秋斗センパイは私の言うことを信じないんですか?」


 そう言われると引けなくなるだろうが! この女、分かって言っていやがる。こちらに罪悪感を着せることで要望を通そうとする、強者の交渉術。飼いならされた犬はお手を命令されたら、お手を差し出さなければならない。

 彼女の犬になった覚えはないけれど……近いうちになってしまいそう。


「分かったよ。藤代のことを信じる。信じるから、あまり心臓に悪いことをするな」

「うーん。心臓に悪いかどうかはセンパイ次第ですよね。センパイの強心臓に期待☆」


 肝心なところを包み隠すのもいやらしい。しかし、彼女を信じると言った手前、逃げ出すのは僕自身のポリシーに反する。僕は、一、二と勢いづけて、三の合図を心のなかで唱えて、目を開いた。


「へ、あ、……はああああ」


 このため息は安堵だ。

 彼女はこれでも嘘はつかない人間だった。

 だから、たしかにワイシャツの胸元のボタンを一つも外していなかった。

 代わりに袖のボタンが全部開いている。彼女は夏場でも長袖のワイシャツを着ていた。日焼け対策らしい。きっと、僕の動揺を誘うためにわざわざ胸元の近くでボタンを外していたのだろう。

 代わりにスカートから出したワイシャツの裾をぱたぱたと仰いでいた。彼女の地肌は見えない。白のキャミソールで覆われた臀部は心臓にこそ悪いけれど、生で見るよりは全然マシだ。


「ふふ、くふふ……」


 ついに堪えきれなくなった藤代は腹の底から笑いだした。


「あはははっ! センパイ顔真っ赤ですよ。そんなに私の胸が気になるんですかぁ~、へんたいセンパイっ♡」


 曇りなき笑顔は見ている分には絵になる。笑っている理由は腹立たしいものだが。


「……お前なぁ」

「だって、センパイの反応が可愛らしいんですもん。からかい甲斐があるんですよ~」

「僕じゃなくても反応は同じだろうよ。思春期男子はこういうので大抵くらっと堕ちるんだ。きっと、僕よりも反応が良いやつなんてたんまりいるさ」

「それじゃあ、意味がないんですよ。私だって、からかう人は選びますから」

「勝手に選ばれた僕の身にもなれ」

「じゃあさっさと私に興味を持たれないセンパイになることですねー。ふふん、まだまだうぶなセンパイには無理でしょうけどね!」


 カチンときた。僕は負けず嫌いだ。負けず嫌いは、生意気な後輩から『無理』と決めつけられると躍起になるものだった。

 この先も藤代遥のからかい担当になるのか? 冗談じゃない。

 このまま負け続きなんて釈然としない。

 勝ちたい。打倒したい。

 僕は運動こそからっきしでも、勉学は誰よりもできる自負があった。 

 これでも一応、学年主席だ。

 それに中間・期末テストで一位の座を譲ったことはない。

 策略を練るのは得意だ。生意気な後輩を術中に嵌めるのは朝飯前だ。

 ――ねじ伏せなければ楽しくない。負けず嫌いの精神がとぐろを巻く。

 どうすれば、藤代遥を負かすことができるか。

 この憎たらしい後輩の悔しげな、あるいは恥ずかしげな表情を拝めるか。


「そもそも、秋斗センパイも私に興味津々じゃないですか。じゃなければ、わざわざここにからかわれに来ないと思うんですよ~」


 別に藤代に会うために来ているわけではない。

 もともと給水塔の陰は僕の聖地だったのだから。

 しかし、今後も彼女のからかい係が続くとなると、昼休みを快適に過ごせる場所がなくなる。まことに由々しき事態。

 頼れるのは、自分の堅物ながら性能が少しばかりマシな脳。

 考えろ、考えるんだ。

 問題、彼女はからかうことで何を得ているのか。

 ――僕が慌てふためき狼狽する姿か。

 思春期男子の性癖がぐちゃぐちゃになる姿か。それとも……。


「……っ!」

「ど、どうしたんですか、いきなり目をぱっちりさせて!?」

「なんてことない。君を打ち負かす策が浮かんだだけだ」


 ――天啓が降りた。口元がむず痒くなる。


 彼女は、おそらく僕のペースを崩すことに楽しみを覚えている。それでいて、僕が反撃を仕掛けないことをいいことに、からかいの猛攻をしているのだ。

 攻撃こそ最大の防御の理念こそ、彼女のスタンス。

 ならば、その戦法を逆手に取るのが得策だ。

 すなわち、彼女のからかいに対して素直に応じるということだ。

 彼女の過度なスキンシップは裏を返せば、気を許されている証拠とも取れる。気を許されているからこそ、グイグイくるのだろう。裏を返せば、僕を安く値踏みしているとも取れる。彼女にとって、僕は取るに足らない雑魚キャラ。反撃をしてこない、体のいいサンドバッグだと思われているはずだ。

 ならば、むしろ好機かもしれない。どんなボクサーもサンドバッグにいきなり腕が生えたら怖いだろうしな。ホラー的な意味で。同様に反撃をしてこない心優しき先輩にいきなり詰め寄られたとしたら、彼女はパニックになるだろう。

 サディストが案外マゾヒストだったなんてエロ小説ではありがちの展開だしな。

 ……それにしても学年一位のブレインが考えたとは思えない砂糖漬けの策略だな。

 きっと、後輩の甘々な術中にはまりかけているせいで僕の思考も甘々に侵されているのだろう。藤代の胸が腕やら背中やらに当たるたびIQがダダ下がりしていたのだから仕方ない。おっぱいは男子高校生を馬鹿にするのだ。


「……センパイ? 大丈夫ですか、ぼうっとしちゃって。熱中症ですか?」

「確かに熱中症かもしれないな。頭がくらくらする。でも、ちょっと違うな。普通に僕は元気だとも。ただ、藤代のことをぼーっと見ていただけで」

「……っ!? へ、へえ。センパイが、私のことを、ですかぁ~」


 藤代がわずかにびくっと震えたが、すぐさまニヤケ顔になって詰め寄ってくる。


「もしかして、私に見とれちゃったんですか?」

「――ああ、見とれちゃったな、可愛すぎて」

「ひえ……!?」


 オーバーすぎるリアクション。効果てきめんのようだ。藤代はこほん、と咳き込むと。動揺を悟られないようにニヤリと不敵に笑ってみせた。

 その額に流れる滝のような汗と耳まで真っ赤になった顔は隠せていないようだが。


「そ、それもそうですよね、これだけ私と密着していれば、さすがのセンパイも落ちちゃいますよねぇ」


 あくまで冷静を装うスタンスらしい。そっちがその気なら僕にも考えがある。


「ほんっと、センパイって私のこと、大好きなんですから――」


 照れくさそうに彼女は髪の毛をいじりはじめる。――今だ。

 僕は彼女の肩をがっしり捕らえた。今までにないくらい、藤代が飛び跳ねた。

 この際捨て身だ。逃げ道は奪ったので、僕は努めて、ゆっくりと、声たかだかに、


「ああそうだとも、好きだよ! 大好きだっ! 僕は藤代のことが好きだ! 君がここに来てからずっと君しか見えないとも!」


 彼女の挑発をそっくりそのまま飲み込んで、素直に吐き出した。

 鼻と鼻が触れ合うくらいの近距離に藤代の顔がある。

 目をまん丸く開いている彼女は、しばらくこちらに気圧されていたようだが、はっと我に返ると、すぐにその顔を赤くして、「あ……、」とか「う……、」とか言葉にならない言葉をつぶやきはじめた。

 なるほど。これは気持ちがいい。

 素直になるっていうのはここまで清々しいものなのか! 口火を切ってしまえば羞恥心もなんのその。一気に肩の荷が降りたところで、僕は激しくスパートをかける。

 奥義、褒め殺しだ。


「藤代っ! 聞いてくれ、僕から見た君の良いところを!」

「ふえ、ちょ、待ってセンパ」

「待たないっ! ひとつめ! ぱっちりした瞳が可愛い! 吸い込まれそう!」

「うぎゃ」

「二つ目、ぼっちなセンパイを気にかけて毎日昼休みにご飯を食べてくれる優しい一面! やかましいけど今じゃ君のやかましさがないと逆に落ち着かない!」

「ふげっ!?!?」

「三つ目、絆創膏を何本も巻きながら作ってきたお弁当を食べさせてくれること! でも、正直藤代の綺麗な手が傷だらけになるのは見ていて辛いので今度は僕が弁当作って君に食べさせてあげます! そっちの方がセンパイらしいしな」

「はえ……!?!?」

「四つめ、」

「ちょ、もうお腹いっぱい! やめ、やめてって~!!」

「僕はやめないからな、今までの分の仕返しだ! なんなら愛おしすぎて今すぐにでも抱きしめたいくらいなのを頑張って耐えているくらいなんだ。いっぱい褒めるのくらい許してくれてもバチは当たらないよな!」

「センパイがおかしくなった!? ご、ごめんなさい~!! 許してください~~!!」


 学校の屋上。給水塔の陰。

 男女二人。汗ばんだ肌をくっつけながら、片方がもう片方のことを今までにないくらいの熱量で褒め称え、もう片方はその賞賛を真正面から受けて、キャパオーバーでお目々をぐるぐるさせている。

 素直になるというのはとても気分がいいことらしい。

 普段溜め込んでいたストレスが解消されたし、何より、なぜか褒められ慣れしていなさそうな藤代の慌てふためき照れまくる姿が見られた。からかってくる彼女よりもよほど愛くるしいし、なんならお昼休みに限らず、ライフワークにしたいくらいだ。

 僕の後輩の照れ顔、プライスレス。

 精一杯褒めちぎったあとで、藤代は僕のお膝もとでびくびくと痙攣していた。しかし、その顔には、反撃された悔しさとかは微塵もなく、ただ恍惚とした表情が浮かんでいるのみだった。彼女の悔しげな顔が見られなかったのは残念だが、それよりもいい顔が見られたので良しとする。

 今日ほど、自分の負けず嫌いな性格を喜べた日はない。


 とりあえず、明日のお昼はおかずを作って屋上に行こうと思った。

 彼女に反撃するための文句とはいえ、嘘を吐くのはポリシーに反するからな。



 ※ ※ ※



「で、……夜明け前から苦手な料理づくりに勤しんでいたら初めて遅刻しちゃったと」


 翌日、金曜日の昼休み。両手にびっしりと絆創膏を巻きつけた僕と、その手元にちょこんと置かれた弁当箱とを交互に見て、藤代は呆れた様子でため息をついた。


「はは。面目ない。弁当もあまり格好がいいものにならなかった」

「私の絆創膏の数よりも多いじゃないですか……無理しすぎですって」

「でも、嘘はつきたくないからな。正直者の後輩には正直に向き合う。僕のポリシーだ」

「頑固すぎです。生きるの大変そう」

「そりゃ、藤代のような後輩に付きまとわれるくらいだから大変なんだろうな、嫌ではないけどさ。……嘘、本当は藤代がいると毎日が楽しい」


 素直に言い直すと、藤代はぷい、と顔を背けて、しおらしくなった。


「もう。昨日の今日で素直になりすぎじゃないですか? 熱中症で頭おかしくなったんじゃ……」

「そう言ってるヤツには、せっかく作った卵焼きあげないぞ」

「う……、それは嫌なので発言を撤回します」


 そう言って彼女は、僕の弁当箱から卵焼きを一切れ、箸でつまんで口に運ぶ。弁当は初めて作ったので、至らない点がないか、ドキドキしながら、彼女の感想を待った。

 よく噛んで飲み込んだ藤代は、ふんふんと上機嫌な様子でもう一度、僕の弁当に箸を戻す。なんの躊躇もなく二切れ目を引き抜いた。


「僕の分まで食べるなよ」

「代わりに私の分をあげますよ。それでプラマイゼロですよね? むしろ、私の手作りが食べられるんだから、プラマイプラかも?」

「一理あるな。いっそプラプラプラかもしれない」

「秋斗センパイって、ホント私のこと好きすぎなんですね……」

「で……、味は?」


 二切れ目を頬張った彼女は、幸せそうにふるふる震えて、飲み込むとともにピースをこちらに向けてきた。


「正直、私の方が上手いですね」

「負けちまったか……」

「でも、私はセンパイが作った卵焼きの方が好きですよ?」


 ふにゃ、と。今まで見せたことがない柔らかい微笑を彼女は見せてくれた。胸の奥が、じんと温まるような心地だった。

 上手さでは彼女が一枚上手だったようだが、満足はしてもらえたらしい。

 ならば初めてにしては上出来、なんだろうか。


「――でも負けたのは悔しいな」

「いいじゃないですか。これからは私におかずを任せておけば。私ももっと勉強しますから。これから日々美味しくなっていくお昼ごはんを食べられますよ? 

 ふふっ、センパイってば、幸せ者ですね」

「確かに幸せだな。でも、僕は君に全部を丸投げできるほど不真面目じゃない」


 僕は彼女のお膝元に置かれた弁当から卵焼きを摘んで口に入れた。

 昨日より美味しい。


「君に負担ばかりかけるのは嫌なんだ。それに……苦労は分かち合えた方がいい」

「センパイ、それは……本気の言葉ですか?」

「僕はいつだって本気だ。本気でからかわれに行くし、本気で褒めているし、本気で……僕を大事にしてくれる後輩を大事にしたいと思っている」

「……もう。そういう、包み隠さずはっきり言い切っちゃうところ、ホント馬鹿」

「僕は馬鹿じゃないぞ。学年一位の頭脳。すなわち、客観的に頭がいいってことだ」

「そういうところが馬鹿っぽいんですよ。ホント、馬鹿真面目の堅物なんですから」


 なぜか呆れ笑いされた。でも、彼女の綻んだ顔を見ていると心が安らぐ気がしたので、僕は何も言い返さなかった。代わりに、


「負けっぱなしも嫌だし、できるならもっと美味しいものを藤代には食べさせてやりたいからな……どうだ、週末にでも、僕の料理の練習に付き合ってくれないか?」

「むぐ!?」


 おかずを飲み込んだばかりの彼女がむせ返った。すかさず、背中を叩いてやる。

 なんとか無事に飲み込んだ藤代は涙目になりながら、おずおずと聞き直してくる。


「それは、週末におうちデートってことですか? いきなりすぎません!!?」

「む、確かにな。今日の明日では予定を開けてもらうのも難しいか。すまない、無理を言った」

「いや予定は空けられますけど!? 空いてなくても空けますけど! そうじゃなくて!今まで外に遊びに行くこともなかったのにいきなり実家はハードルが……!」

「あっ」


 我に返る。

 確かに……! よくよく考えなくて分かるだろ。僕が今やろうとしていたのはいわゆる連れ込みってやつで。しかも異性の後輩と実家に行くなんて、親から勘違いの集中砲火を受ける始末だ。

 気づいてしまうと、こっちの顔が熱くなる。昨日までの威勢の良さはどこへやら、正気に戻ってしまうと、素直な発言がすべて黒歴史に聞こえて恥ずか死にそう……。


「も、もう。センパイが私のことを好きなのは分かりましたから。いつかは覚悟きめますから……段階踏んでいきましょう、ね?」


 僕も彼女もお互いにかかり気味だった。

 おかしいな、僕らそもそも付き合ってすらいないのに。


「じゃあ、取り急ぎ、二人でどこか出かけてみるか」

「ふふ。それくらいがいいですね。ちょっと大きなショッピングモールで料理の本を探したり、調理器具や食器を選んだりするところから始めましょうか」


 藤代が僕の肩にもたれた。相変わらず柑橘系のいい香りは僕の心臓に悪い。

 出会ってまだ一ヶ月の僕らは、きっと真夏の暑さにうかれていた。

 でも、浮かれているくらいがちょうどよかった。

 きっと冷静になったら恥ずかしいことだらけでも、勢いと君さえいれば、いつか振り返っても、「悪くないな」って思えるだろうから。


 まだまだ始まったばかりの夏は、僕らの触れた耳の熱さより涼しく感じられた。


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