そして優しい死神は僕を殺した

金石みずき

そして優しい死神は僕を殺した。

 雪がしんしんと降り続けている。今年一番の大雪になるらしい。

 窓から視線を外し、ベッドで穏やかに眠る少女――結奈ゆいなへと目を向けた。快活そうに焼けていた肌は雪のように白くなり、病衣の襟から覗く首筋はすっかり痩せてしまった。規則的に上下する胸だけが、その儚い生を必死に訴えていた。


『本当はこんなこと、啓介けいすけくんに話すべきじゃないんだけど……』


 そんな前置きをしつつ、結奈の両親は僕に病状を話し「暇なときでいいから顔を見せてやって欲しい」と付け加えた。そんなことを聞かされなくても必ず来るつもりだったけれど、「はい」と頷いて決意を固くしたのはつい先日のことだ。


 しかしせっかく会いに来ても、面会を断れられる日が増えてきた。僕はその度に何も出来ない自分を歯痒く思ったが、出来ることと言ったら黙って拳を握りしめることくらいだった。


「…………んぅ……」


 結奈の瞼が震えた。長い睫毛がゆっくりと持ち上げられていく。僕は傍に寄り、そっと声を掛けた。


「おはよう、結奈」

「……あ、啓……ちゃん? ……おはよ」


 夢見がちな表情で結奈はへにゃりと笑んだ。結奈がその表情を見せるのは彼女の両親と僕くらいで、それが僕を心の底から信頼してくれている証のようでどこかくすぐったい。


「来てたんだ? ごめんね、退屈させちゃったでしょ」

「別に。結奈の顔を見ていたら退屈しなかったよ」

「……うわぁ。どう反応すればいいんだろ。不細工じゃなかった? 涎とか垂らしてなかったよね?」

「全然。綺麗だったよ」


 結奈は顔を赤らめて目を反らした。


「啓ちゃん最近変わったよね。昔はそういうこと全然言わなかったじゃん。いつか刺されるよ?」

「素直になっただけだよ。それに大丈夫。結奈にしか言ってないから」

「なら……いいけど。――いいのかなぁ?」


 以前から結奈のことを好きだったのだが、ずっと着かず離れずの幼馴染をやってきた。先が長くないと知ってからようやく気持ちを吐き出せるようになったなんて、僕はとんでもない大馬鹿者だ。しかもまだ肝心な想いことだけは言えていないんだから、輪をかけて救いようがない。しかし今それを伝えることが正解なのか、僕には判断が付かなかった。


 僕の拙い話に結奈は小さく反応しつつ、静かに聞いている。

 話題はその日にあった出来事を中心に選んでいる。修学旅行など未来を感じさせることを話すと、寂しそうにしている気がするのだ。病状について詳しく聞かされていないらしいが、何か悟っているのかもしれない。


 やがて疲れが出たのか、結奈はうつらうつらと舟を漕ぎ始めた。


「もう帰るから、眠りなよ」と僕が言うと、結奈は「ん、そうする」と身体を横たえた。


 閉じられていく瞼に「おやすみ、結奈」と囁くと、とろんとした声で「おやすみ……啓ちゃん」と返され、また規則正しい寝顔に戻った。


 僕はもう一度「おやすみ」と告げ、病室を去った。



 外は一層白く染まっていた。どこか幻想的なその景色は、世界の終わりを錯覚させた。少し浸りたい気分だったが、びゅうと吹いた風が身体を震わせる。心のありようがどうであれ、身体は生を渇望している。実感し、自嘲気味に笑った。


「帰るか……」


 そう零して歩き出したときのことだった。

 突然、視界の先に少女が現れた。声が出そうになるのをすんでのところで堪える。間違いなくさっきまではいなかったのだ。


 不思議な少女だった。


 季節不相応に薄い雪と見紛う真っ白のフード付きワンピースに、黒のハーフブーツを合わせている。だが何よりも目を惹くのは、その異質に黒い髪と目だ。

 日本人ならば珍しくないはずの黒髪黒目。だが彼女のように闇に呑まれそうなほどの黒は見たことがない。しかも外に立っているにも関わらず、なぜかその身には全く雪が積もっていない。


 背筋が震えた。まるで見てはいけないものを見てしまったかのような――。


 少女は雪の上を不自然なほど音もなく歩き、近づいてくる。そして硬直する僕の前まで来て――そのまま横を通り過ぎて行った。

 拍子抜けするとともに身体から力が抜け、どっと汗が吹き出した。


 こっそり振り返ると、少女はやはり静かに病院の中へと入っていった。なぜか無性に気になってしまった僕は、こっそりとその後をつけた。そして少女はとある病室まで来ると、すり抜けるように中へと入って行った。


 結奈の病室だった。


 咄嗟に駆けだした。

 何か悪いことが起こる気がしてならなかった。そして扉に手をかけると、一気に開け放った。


 およそ一五分ぶりに訪れた病室で、結奈は変わらず穏やかに眠り続けている。隣には少女がぽつねんと、ただ立っていた。表情からは何も窺えない。

 なんと声を掛ければいいのか。


 君は誰?


 ここで何をしているの?


 どれも正解に思えるし、不正解にも思える。迷った末に、僕は一つの質問を選んだ。未だこちらを見ようともしない少女に向けて、声をかける。


「君、名前はなんていうの?」


 少女はこちらを見た。光を感じさせない瞳が微かに揺れ動く。初めて感情が見えた気がした。


……私が見えてるの?」


 突然呼ばれた名前に、心臓が跳ねた。落ち着いて息を吐き、動揺を抑える。


「ごめん、どこかで会ったことあったかな」

「ううん。さっき一方的に知ってるだけで、会ったことはないよ。それよりさ――」


 少女は再度瞳を揺らす。何かを期待しているような、不思議に思っているような、動揺しているような、どうとでもとれる表情だった。


「どうして私のことが見えているの?」


 真っすぐな視線をぶつけてきた。どうやら僕が少女を認識しているのは異常らしい。


 何と答えるべきか迷った。不思議と緊張や恐怖はなかった。少女の存在は異質なものなのだろうが、こうして相対してみるとなぜか普通の少女にしか思えなかった。


「君がそこにいるからじゃないかな」


 気づいたら僕はそんなことを言っていた。

 少女はそこにいる。僕はそれがわかる。これ以上に何が必要なのだろうか。


「そっか。啓ちゃんはそんなふうに答えるんだね」


 少女は心持ち嬉しそうに頷いた。

 安堵する。悪い答えではなかったようだ。


「君の名前を訊いていい?」

「名前……」首を傾げた少女は「啓ちゃんがつけてよ」と言った。

「つけてよ……って?」

「私の名前、ずっと呼ばれてないの。だから見つけてくれた記念に、つけてもらいたいな」


 呼ばれていない。それが何を意味しているのかわからないが、とてもさみしいことだ。

 とはいえ、僕には子供がいるわけもなく、ペットすら飼ったこともない。名付け初心者だ。すぐに名前なんて出てこない。手がかりを求めて辺りを見回すと、窓を通して雪が映った。

 

「じゃあ雪――いや、六花りっかはどうかな」

「りっか?」

「六花だよ。雪の結晶って六角形をしてるだろ? だから花に見立てて六花と呼ばれるんだ。今年一番の大雪の日に出会ったから、雪にちなんで六花。安直かな?」

「六花……六花……。ううん、ありがとう。素敵な名前だね」


 噛みしめるように反芻した六花は、蕾開くように微笑んだ。

 その名前はとても似合っていた。


 僕は「そろそろ聞いてもいいかな」と前置きし、最も気になっていたことを訊ねた。


「それで、六花は何者なの?」


 六花はほんの少し逡巡し、ぽつりと零した。


「――死神だよ」


 想像の範疇ではあったものの、とても似合わない答えだった。


「死神?」

「うん」

「おとぎ話なんかで見る、あの死神?」


 六花が頷いた。


 ひどく現実味がない。口調がまるで世間話をするように穏やかだからだろうか。


 僕がそう思っているのが伝わったのだろうか。

 六花は「これを見たら信じられるかな?」と、どこからか背丈ほどもある大鎌を取り出した。

 つい固まってしまった僕に、六花は言う。


「迂闊に触らないでね。この鎌、魂を切り取るから」


 僕はこくこくと壊れた機械人形のように頷いた。

 話題を変えるように言う。


「それで、ここへは何しに?」

「……もうあまり長くないようだから」


 六花は結奈の方を見る。


 ――結奈の命を奪いにきたのか?


 聞きたいが、聞けない。もし「そうだよ」と言われてしまったらと思うと怖い。結奈を失いたくない。

 そんな僕の心情を慮ってか、六花はゆっくりと首を振った。


「今日はただの様子見。結奈の寿命が尽きるのはもう少し先のことだから」

「そっか……」


 安堵の息を吐いた。

 嘘はついていないと、なぜか確信できたから。


「じゃあ、僕はそろそろ帰るよ」

「いいの? 死神を残したりして」

「さっき言ってたろ? 様子見だって」

「気が変わって命を奪っちゃうかもしれないよ? 何せ私は死神なんだから」


 繊月のように笑う六花に「そうは思えないよ」と言い残し、僕は病室を後にした。



 次の日学校帰りに病室へ行くと、珍しく結奈が起きていた。

 僕に気が付いた結奈は暢気に「あ、啓ちゃん」と手を振った。


「今日、体調はどう?」

「うん、調子いい。……このまま治っちゃうかも」


 そう悪戯っぽく笑う結奈だったが、やはりどこか弱々しい。

 僕は涙が出そうになるのをぐっと堪えながら「そうかもね」と答えることしか出来なかった。


 それから何でもない会話をしていると、一時間ほど経ったところで結奈は眼を擦り始めた。


「……ごめん。眠くなってきちゃった」

「いっぱい話したから疲れが出たんだよ。しっかり休んで、また話そう。無理したらまた会えなくなっちゃうよ」

「うん……そうだね。じゃあ、もう寝ようかな。――おやすみ、啓ちゃん」

「おやすみ、結奈」


 無理をしていたのだろう。ベッドへ横になった結奈は、すぐに寝息をたてはじめた。僕は足元の布団をひっぱり、身体にかけてやった。


「さて――と」


 僕がこの病室を訪れるよりも前から結奈の傍に黙って佇んでいた存在に声をかける。


「こんばんは、六花。今日も来てたんだね」

「こんばんは、啓ちゃん」

「起こしたら悪いし、部屋を出て話そうか」

「……そうだね。私、いいところ知ってるよ。着いてきて」


 連れて行かれた先は三階にある展望スペースだった。大きな窓は病院の正面に面しており、きっと昼間ならばいい景色が見えるのではないかと想像出来た。あいにく今は夜なので、反射した姿映っていないが。

 ここなら人目につかず、病室からも遠い。話していても誰の迷惑にもならない。

 なるほど。六花が僕をここに連れてきたのも頷ける。


「いいところを知ってるね」

「病院は死の気配が強いから。自然と詳しくなるの。――それで、何?」

「何って?」

「何か聞きたいことがあったんじゃないの?」

「いや? 結奈も眠ったことだし、そこに知ってる人がいたら話そうと思うのは普通のことだろ?」

「人じゃなくて死神だって」

「そこ、区別した方がいいの?」

「……変な人」



 その日も、その次の日も……一か月経っても、僕が結奈のお見舞いに訪れると六花は必ずいた。そして結奈が眠った後には、色々なことを話した。僕が訊ねれば、大抵のことを教えてくれた。


「六花は生まれたときから死神だったの?」

「ううん、死神として生まれてくる人なんていない。死神はみんな、生きている人が死神に頼んで死神にしてもらうの」

「頼んで?」

「そう。私の場合はね、元々寿命が短かったみたいなの。健康だったからなぜかはわからないけど、死ぬのは間違いないみたいだった。そんなとき、死神が現れて言ったの『死神になる気はあるか?』って。私はその手を取っただけ。それが数年前かな」

「へぇ。そんな簡単になれるんだ」

「まぁ、簡単って言えばそうかも。大鎌で魂を切り離すだけだし」

「結構物騒な話だった。――じゃあ死神になってから、うんと長い間生きているわけじゃない?」

「そうだね。ほら、この姿を見たらわかるでしょ? 私、啓ちゃんとそんなに歳変わらないよ」

「死神も歳をとるんだ」


 またあるときはこんなことを話してくれた。


「その人はね、死にたがってた。でもね、もうそれが言えないくらい弱ってたの。家族にだって負担をかけたくなかったみたい。だから私はその願いを叶えた。だってそれは私にしか出来ないことだったから」


 六花は淡々と語るけれど、そういう話をするときは決まって少し表情にかげりがさした。そうでなくても普段は感情が見えるのに、こういうときだけ決まって無表情になるのだから、全然隠せていなかった。きっと本当はどんな命であれ、奪いたくないのだ。たとえ本人がそれを望んでいたとしても。


「優しいんだね」


 僕の言葉に六花は一瞬くしゃりと顔を歪めたが、すぐにまた無感情な表情に戻る。


「勘違いしないで。私は死神の力を使う自分を正統化しているだけ。どんな理由であれ、人を殺す存在が優しいはずがないの。そうやって他人の寿命を奪う自分を正当化したいだけ。身勝手でしょ?」


 僕は首を振り――


「それでも僕は、君のことを優しいと思うよ」

「そう……」


 六花は顔を背けて黙り込んでしまい、それ以上言葉を発しなかった。けれどその背中は微かに震えていた。


 思えば僕はこの頃から六花に少しずつ惹かれ始めていたのだと思う。


 馬鹿なことだ。六花が理由もなく、毎日結奈の元へと来るはずがないのだから。



 そしてついにその日がやってきた。

 六花と出会ってから三か月ほど経った日のことだ。


 結奈と会える時間は日に日に少なくなっていた。会えたとしてもわずかに顔を見られるくらいで、言葉を交わすことはほとんどなくなっていた。


「とうとう今日みたい」

「え?」


 病室に入ることを許されず、それでもと病棟の待合いスペースに座っていると、唐突に六花が言った。

 直後、廊下の先の方からバタバタと人が駆けてくる音が聞こえてきた。その姿に胸騒ぎを覚え、僕も立ち上がり、走った。


「おじさん! おばさん!」

「……啓介くん。その……すまん! 家族だけにしてくれ!」


 おじさんがそう告げ、慌ただしく病室へと入っていく。おばさんも何も言わずそれに続く。


 ただの幼馴染。家族でも、恋人ですらない僕にその病室へ入る権利はなかった。


 その場で立ち尽くす僕を憐れんだのか、六花が「啓ちゃん……」と声をかけてきた。

 僕は「仕方ないさ」と返すと、黙って病棟を後にした。


 辿りついた先は三階の展望スペースだった。

 六花は乱暴に椅子に腰かけた僕の隣に立って気遣わしげな目でこちらを見ていたが、正直放っておいてほしかった。


「啓ちゃん」

「今だけはっといてくれないか」

「えっとね……」

「だから放っといてって「結奈は助かるよ」


 怒りが湧き上がった。

 僕は感情に任せたまま、ここが病院だと言うことも忘れてがなり立てた。


「適当なこと言うなよ! こんな時に気休めなんていらないんだよ!」


 僕の咆哮と言えるほどの叫びを受けた六花は、しかし優しい春の花のような笑みを僕に向けた。


「……ううん、適当なんかじゃない。結奈は助かる」


 聞き分けのない子供に言い含ませるような言い方に、さすがの僕も少しは落ち着きを取り戻した。


「……説明してもらってもいい?」

「うん」六花は頷き「結奈は助かる。病気だって治る。だって私はこのときのために毎日ここに来てた」と言った。

「……六花が何かするの?」

「私は死神だよ? そのくらいのことは出来る」


 おかしい。何がおかしいかはわからないが、何かがおかしい。

 淡々と語る六花が、返って不気味に思えた。


「……具体的には何をするの?」

「私の魂を分け与える。それで結奈は寿命を取り戻せる」

「魂を分け与えるって……」


 つまり六花の寿命を分けるということ? そんなことが可能なのか? いや、そうであれば六花がここまで引っ張った理由がわからない。きっと何か――


「……代償は?」


 六花の肩がびくりと震えた。


「別にない。結奈の病気は治って、ハッピーエンド。ただそれだけ」


 六花の表情はまるで能面を張り付けたかのようだった。何かを隠しているのは明白だった。


「本当に代償は何もないの? 僕にはとてもそうは思えない」


 まっすぐに強く六花を見つめる。目に動揺が浮かんだ。

 そのまま視線を強めると、六花は深く深く溜息をついた。


「……代償は私の魂。私は消失し、忘れられ、元から存在しなかったことになる。――ね? 大したことないでしょ?」

「なっ――」


 想像よりもなお重い話に、言葉を失った。

 だが六花はそんな僕を置いてきぼりにして話を進めていく。


「死神なんていなくなったところで何か起こるわけじゃない。啓ちゃんはなぜか私のことが見えるようだけど、その啓ちゃんは私のことを忘れる。ほら、何の問題もない」

「問題ないわけ――「結奈を助けたくないの?」


 あるか! と叫びかけるが、六花に遮られた。僕は何も言い返せずに黙ってしまった。


「元々啓ちゃんの意見を訊いて変える気はない。もう決めたから」


 六花は頑なな態度を崩さない。


 わからない。そもそも六花はなぜ、そんなことをしようとしているのか。


「六花にとって結奈は赤の他人だろ」

「でも、啓ちゃんの大切な人だから」

「――え?」


 六花は滔々と語る。


「嬉しかったんだよ。あの日尽きかけている魂にふらふらと近付いた私を、啓ちゃんが見つけてくれた。六花って名前をつけてくれた。呼んでくれた。いつも話しかけてくれた。この三か月ずっと幸せだった」


 大切な思い出を抱くように六花は胸に手を重ね、目を閉じた。


「死神になって、ずっと寂しかった。誰とも話せない。誰にも見つけてもらえない。もう諦めてた。このまま孤独に生きていくんだなって思ってた。でも啓ちゃんが全部吹き飛ばしてくれた」


 そして表情を引き締め、強い決意を持って僕の方を向いた。


「だから啓ちゃんの大切な人を守りたい。こんなに嬉しい想いをくれた人に報いたい。これは私のエゴだから、絶対、誰にも邪魔なんてさせない」


 僕はたじろぎ、苦し紛れに言った。


「……代わりに僕の魂は使えないのか?」

「使えるけど、そのまま啓ちゃんは消滅する。そんなこと絶対にさせない」

「……他に方法はないの?」

「ない。尽きるはずの命を救う方法が、そういくつもあるわけない。そもそも結奈に魂を割り込ませるのだって、命が尽きかけてるこのタイミングしかないんだから」


 押し黙るしかなかった。

 考えろ。きっと何かあるはずだ。この三か月間、僕は六花といろいろなことを話した。死神のことだって聞いた。だからきっと何かある。どちらかじゃなく、どちらも死なない方法が、きっと――。


「あ…………」

「な、何?」

「六花、これから僕の言うことが可能か不可能かで教えてほしい。いい?」

「う、うん」


 突然剣呑になった僕の雰囲気に押されてか、六花は戸惑いつつ頷いてくれた。


「僕を死神にしろ。その後で僕の魂を切り取って結奈に与えるんだ」

「え――」


 六花が目を丸くした。何を言っているかわからないとでも言いたげだ。


「以前に君は言った。魂を切り離せば死神に出来ると。そして死神の鎌は魂を切り取るとも。それなら僕を死神にした上で魂を切り取って結奈に与えれば、少なくとも結奈の寿命を延ばすことは出来るんじゃないか?」

「そんなこと……「可能か不可能かで教えてくれ」

「……っ! ――可能……かわからない。失敗したら啓ちゃんは消滅するかもしれない。でも結奈の寿命を延ばすことだけは出来る……と思う」

「可能性はあるってことか……」


 六花は焦るように言った。


「でもそんなの……啓ちゃんが死んじゃうんだよ!」

「結奈を助けるんだ。そのくらいの代償は払う」


 そもそもこれは僕の問題だ。六花に背負わせることは元から間違っている。


「だってそんな……啓ちゃんは結奈のことが好きなんでしょ?」

「そうだよ。結奈のことが好きだ。だから助けたいと思ってる」

「もう二度と会えなくなるんだよ? ――ううん、会えるけど結奈には認識してもらえなくなる。わかってる?」

「わかってる」

「啓ちゃんが何もしなくても私の魂を使えば結奈は助かるんだよ? 自分で自分に鎌を振るうことは出来ないから全部の寿命を差し出すしかないけど……それでも結奈は確実に助かる。それじゃダメなの?」

「ダメだ。結奈のために六花を犠牲にすることは出来ない」

「…………私は元々啓ちゃんの世界にいなかった。私が消えても何も変わらない。啓ちゃんも忘れる。それでも……ダメ?」


 六花が懇願するような視線を向けてくる。僕に死んでほしくない。自分が犠牲になればいい。そんな思いが聞こえてくるようだ。

 だから僕は――言わなくちゃいけない。


「……かっこつかないから言いたくなかったんだけどさ」


 僕は頭の後ろをがしがしと掻いた。


「僕は六花のことも好きなんだよ。その……二番目に。一番は結奈だけど、次に好きなのは君だ。だから君のことは放っておけない。それじゃダメかな」


 僕の身勝手な言い分を聞いた六花は目を丸くして、けれどくすくすと笑った。


「ふふ。最低な告白だね。でもなんでかな……どうしようもなく嬉しい。例え二番目でも、好きって言ってくれたことが何よりも嬉しいよ、啓ちゃん」


 六花は表情を引き締めた。そして右手を横に広げると、いつか見た大鎌が姿を現した。


「――わかった。私も腹を括る……覚悟はいい?」

「……ああ」


 六花の振るった鎌を目を瞑って受けた僕の意識は、闇の深いところまで落ちていった。




「……ちゃん! 啓ちゃん!」

「――はっ」

「よかった……! うまくいった……! 消えなかった……消えなかったよ!」

「何も変わらないようだけど……」


 黙って左を指さす六花。

 その指の示す大きな窓には、姿

 振り返って後ろを見ると、僕と同じ服を着た男が倒れている。現実感がない。

 そしてハッと気が付いた。確認しなければならないことがある。


「――結奈っ!」

「待って!」


 病室へ到着すると、慌ただしく医師や看護師が出入りしていた。しかし処置は行われておらず、全員が目を丸くして結奈を見ている。傍らのモニターに表示された心電図やバイタルは安定しており、少なくとも結奈が今どうこうなる健康状態ではないことを示していた。

 そして六花が追い付いてきた。息を切らしている。けれど、今の僕には六花に構う余裕はなかった。


「結奈……」


 近づこうとした。しかしそのとき、一人の医師が僕の背中から突き抜けていき、我に返った。

 茫然としていると、頬を何かが伝っていった。触覚はあるのに温度を感じなかったため、それが何であるか、なかなかわからなかった。――涙だった。


「――ぐっ……」

「啓ちゃん……」


 結奈は助かった。よかった。嬉しい。嬉しいはずなのに、もう結奈と話せない。触れられない。そのことが悲しくて仕方がない。覚悟したのに。したはずだったのに。


 後から後から決壊したダムみたいに涙は溢れてきて、止まってくれる気配なんてちっともなかった。僕はまるで子供のように泣き続けた。

 六花はそんな僕をぎゅっと抱きしめた。温度なんて感じないのに……なぜだろう。とても暖かい気がした。


「ごめんね、ごめんね……啓ちゃん」

「なんで六花が謝るんだよ……。六花は何も悪くないのに……。君と生きていくって決めたのは……その上でこんな最低な涙を流しているのは僕なのに……」

「うん……うん……それでも、ごめんね」


 いつの間にか六花も泣いていた。僕たちは誰にも聞こえない泣き声を雑踏の中で流し続けた。



「結奈! 早く行こっ!」

「待ってよー」


 体育に備えて着替えるべく、結奈が友人に手を引っ張られて駆けていく。長期の入院がたたってか少しもたついたが、それでも足取りは軽い。もう少しで元通りの運動能力を取り戻せそうだった。


 着替えを終えた生徒が運動場に集まってくる。

 教師が「今日は持久走だ」と言うと、そこら中から抗議の声があがる。結奈も友達に混じり文句を言っているが、どことなく楽しそうだ。

 入院生活ですっかり白くなった肌も少しずつ焼けてきており、捲れ上がった袖の部分には境界線が現れ始めている。


 その様子を僕たち二人はじっと眺めていた。


「そろそろ行こうか」

「もういいの?」

「ああ。もう充分見たよ」


 僕は六花の手を取ると、踵を返して歩き出した。

 六花も強く握り返してくれた。


 この身体になった利点としては、この炎天下でも暑さを感じないことだ。六花は出会ったころの白いフード付きのワンピースのまま過ごしている。僕らは汚れないから着替えの必要なんてない。着替えだって手に入らない。


 正直に言って、完全に割り切れてはいない。

 僕はまだ結奈が好きなままだ。

 結奈が僕のことをどう思っていたのかはわからないが、退院した後に僕の家で手を合わせてくれたときには見ていられないくらい号泣していた。

 悪いことをしたと思ってはいるが、それでも後悔はない。


 結奈は生きている。そして僕は死んだ。

 徐々に僕のことは忘れていくだろう。それで充分だ。


 傍らを歩く少女を見る。

 先ほどとはまた違う愛おしさが込み上げてくる。

 あのときは二番目と言ったが、一番になるのはきっと時間の問題だ。

 そのときはしっかりと告げよう。

 いつまでも不安にさせたままだといけないから。


 僕は僕を殺した優しい死神とこれからを歩いていく。もう後ろを振り返ったりはしない。

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そして優しい死神は僕を殺した 金石みずき @mizuki_kanaiwa

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