わるい人

 ズキン、と。頭の痛みに呼び起こされた俺は、意識を取り戻して最初に目に入った光景に眉をひそめた。


「なんだよ、これ」


 じっとこちらを見つめる目が、二つ、四つ、八つ。俺を取り囲むように立ち尽くす、グレーのワンピースの女の子たち。光を失ったその眼差しに、俺は見覚えがあった。


(何人いるんだ……)


 俺は椅子に座らされ、手足をロープで固定されている。


「おや、お目覚めかな。みんな少し避けてくれるかい」


 静かな声を受け、一斉に壁際に避ける女の子たち。その奥から歩み寄る、ひとりの男。


「ゴロウさん……」

「覚えて頂いていたとは、光栄ですね。シロウが余計なことをしなければ、今頃あなたは僕の右腕になっていただろうに」


 白いスーツに身を包むゴロウ。その手には、日本刀が握られている。


「可愛いでしょう、この子たち。腕に黒いバンドをしているのが『十和子とわこ』で、ピンクのバンドをしているのが『百々子ももこ』です」

「……全員、同じ名なんですか」

「そうです。十和子は十人探せば一人は見つかるそれなりに可愛い女の子。百々子は百人に一人の美少女」

「じゃあ千世子は」

「お察しの通り。あなたが知り合った千世子は、千人に一人の逸材でした」


 ゴロウは日本刀を抜くと、さやを放った。


「僕が手塩にかけて育てているんです。大事なクライアントに贈るための商品。それをたかが十和子風情が千世子をそそのかしましてね。不覚、逃げられてしまいました」

「千世子は今どこに」

「ふふっ。気になりますか? なりますよねえ、随分ご酔心したでしょう? あれは類を見ない最高傑作でしたから。でもまさか、あれを誘き寄せる餌があなただったとは、盲点」


 奥の扉が開く。その懐かしい顔に、俺はグッと固唾を飲んだ。


「あなたがここにいると知って、戻ってきました。感謝しますよ」


 グレーのワンピース。そこから伸びる手足は白く、最後に見た時より遥かに痩せ細っていた。


「罰を与えているんです。悪いことをしたら罰を受ける、当然のルールですよね。だから最後に、とっておきの絶望を与えてあげようと思います。十和子に百々子、あなたたちもよく見ておきなさい。僕に逆らうとこうなるのです」


 ゴロウは刀を構え、俺に向かって一気に振り上げた。


 ——が。その刃先は俺に届かない。


 血管を浮かばせ眼球が揺れたと思えば、溺れるほどに込み上げた口内の血液を、ゴロウは一気に吐き出した。

 

「千世、子……」

 

 両手に握りしめたナイフ。その小さな身体で、なんども、なんども、なんども。千世子はゴロウの背中に刺したナイフを引き抜いてはまた、突き刺す。


「おまえは、わるい人」

「な、なにを……」

「ひみかんじは、いい人」

「やめろっ」

「ひみかんじは! 氷見寛治はぜったいに殺させない! お前が死ねえ!」


 不意を突かれたゴロウ。その日本刀を振る腕はくうを切り、その腕に振り回された身体が半回転してよろめくも、腰を刺されたゴロウに踏ん張る力はない。


 そのまま顔面から床に沈んだゴロウに、千世子は馬乗りになって掴みかかった。


「とわこを返せ」


 ずっと光を通さなかった千世子の瞳。その瞳が今、殺意というエネルギーを得て初めて輝いている。


「わたしを返せ!」


 千世子の叫びに、気を失ったゴロウは反応できない。


「千世子……やめてくれ」


 当然、俺の呼びかけなど届くはずもなく。ただ縛られてなす術のない状態で、俺は拳を振るわせるしかなかった。

 

 ああ……俺はなんてことをしてしまったんだろう。何も知らなければ、何も気づかなければ。千世子はこんな絶望を知ることもなかったはずなのに。

 

 ごめんな。何もしてやれなくて。

 ごめんな。助けてやれなくて。

 ごめんな。君をひとりにして。

 

「こんな世界でごめん。千世子」

 

 血飛沫ちしぶきを受けた千世子の横顔を。

 涙に濡れ詰まる悲痛に割れた声を。

 俺は二度と忘れないよう、目に焼き付けた。

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