ハレの日

もちもち

ハレの日

 山が枯れた。

 ホマレは、最後の花が音もなく花弁を散らす様を無力にただ見つめていることしか出来なかった。


「ここはケガレてしまった」


 大人たちが小さく呟くのを、幼いホマレは耳ざとく拾った。大人の声は子どもに聞かせないように潜められているのではない。

 山を枯らした『カレ』に聞こえないように。その声は酷く怯えていた。


「ここを捨てる。ハレはまだ来ないようだ」


 ホマレの手から花弁が落ちてから間もなく、族長は白い髭を揺らして重く告げた。

 彼らはナガレモノだ。土地に根を下ろす民ではなく、恵みを求めて移ろう人々。土地が枯れればまた山を渡るだけだ。


「ハレが来れば、お山はまた色づくの」


 幼いホマレは父と母へ尋ねた。小さなホマレの頭を、父の大きくかさついた手が撫でた。「そうだ」と優しく父は頷く。


「早くハレが来ればいいのにね」


 無邪気なホマレは残念そうに言う。だが、父はただ微笑むだけで今度は頷きはしなかった。

 ナガレモノは土着ではない。土地の山へ畏怖はあれど愛着はない。

 彼らはたまに山を汚すことがある。例えば今、まさに。

 禁忌を侵したわけではない。禁忌と言うならば彼ら自身を指す。

 ナガレモノは「日常」ではない。非常な者の群れ。土着からすれば、彼らが『カレ』を運び土着が紡ぐ『ケ』を枯らしてしまう存在だった。

『ハレ』は、『カレ』によってケガレた『ケ』をもとに戻すものだった。少なくとも、土着の人々から見れば。

「ハレがまだ来ない」と行った族長の声は深い無念と、同時にその奥底に安堵があったことを父は聞き取っていた。


 ホマレたちは少しばかりの時間で旅立つ準備を整え、隊列を組む。隊の中腹にホマレはいた。前後を父と母に挟まれ、何かから隠すように麻の布を被せられている。

 皆が歩き出してしばらく。

 向かう先から何か音が聞こえてきた。─── 音楽だ。

 耳の良いホマレがハッと顔を上げ隊列から顔を出した。だが、まだ遠いようでその形が見えない。

 先頭の誰かが声を上げた。


「頭を下げろ」「顔を伏せて」「


 父と母はしゃがみ込むように頭を垂れ、ホマレに被せた布をグイッと下に引っ張ることで小さな頭を覆い隠した。

 ホマレもまた訳の分からないなりに二人にならい頭を下げた。

 音楽が近づく。

 賑やかな音楽だった。琵琶に笛、尺八がてんでバラバラなようで美しい旋律を奏でている。刻む太鼓の音が、人の心の奥底から踊り出したい感覚を引き起こそうとする。

 そして鈴が。神聖な音である鈴の音がそれらを率いるように先頭で鳴っているのが分かった。

 ただただ楽観であった。悲しいことも辛いこともその領域には存在することができない。


 


 ホマレはいつの間にか自分が顔を上げていることに、最期まで気づかなかった。

 小さく潤んだ黒い瞳は、音楽を奏で歩いていく一団を見つめていたのだ。

 その一団は姿こそホマレたちと同じ形をしていたが、みな白いお面を被っていた。どれもこれも動物の面を象っていながら真っ白で、目も口も描かれてはいなかった。

 音楽を奏で、中には踊りながら歩いていく者たち。誰も彼もあまりに楽しそうに往く。そうだというのに、彼らの足音はついぞ聞こえることがなかった。


 やがて音楽が去っていき、父と母はそこでやっと、自分たちが空の麻布を握りしめていたことに気づいた。

 失意と予感の渦の中、母が音楽の去った方向を振り返ると。

 一団の最後を歩く小さな白い影が振り返った。

 白い鹿の面を被っていた。

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ハレの日 もちもち @tico_tico

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