幕間 古びた誰かの記憶:1

××××××××


「……嫌な香りのする場所です」

「文句言わないで。それにあんたの血の匂いよりよっぽどマシ」


 血まみれの悪魔が、樹木に凭れかかりながら静かに息をしている。

 釣鐘のような白い花弁が、髪の上に垂れて揺れている。

 悪魔は、目の前の子供の紅い瞳を見上げた。


「なぜ、私を助けるんです?」

「あんたの味方がしたいわけじゃない。あいつらが、村の奴らが嫌いだから、それだけ」

「嫌い、ですか……それは哀しい感情ですね」

「悪魔のくせに、人を嫌うのが駄目って言うの?」


 少女はボロボロのワンピースの裾を握り締めた。


「いいえ。でも、それなら私たちの地獄は、ここよりもっと愛に溢れていますよ」

「……嘘でしょ」

「本当です」

「悪魔の言う愛なんて、信じられない。でも、それが本当なら、どうして地獄にすら存在する愛が、ここにはないの」

「あなたには愛する人がいないと?」

「……わかんない。妹のことは好きだけど、妹ばかり大切にする大人は嫌い。それを気にする妹のことも、時々嫌になる。だから、もしかしたら本当は妹のことも嫌いなのかもしれない」


 吐き捨てて、乱暴に花弁を手折る。


「この花のこと、嫌な香りって言ったでしょ。私もこの花嫌いなの。犠牲と献身の花なんだって。だからみんな大事に育ててるし、教会の周りにたくさん植えてる」

「へえ、何ていう花ですか?」

「知らない。興味ないから忘れた」

「では後ほど自分で調べてみますね」


 悪魔は再び、大きく深呼吸した。忌々しい銀の銃弾を抜き、日陰に隠れて少し休んだら、徐々に治癒能力を取り戻してきた。

 次は、何か腹に入れて空腹を満たしたいと、生存本能が告げている。


「ところでお嬢さん、何か食べ物をお持ちですか」

「……何を食べる気?」

「物騒な想像をしないでください。あなた方と同じ食事を取ることもできますよ」

「はあ、あるわけないじゃん。私だって簡単にご飯を手に入れられるわけじゃないんだから」

「そうですか……」

「悪魔なら、こっそり取ってきたら? そうだなあ……教会裏のパン屋さんがおすすめだよ」

「堂々と悪事を勧めるなんて、なかなか喰えない人間ですねぇ」

「言ったじゃん、嫌いなの、みんな」


 花弁を握ったまま立ち尽くしていた少女が、おもむろに悪魔の隣に移動し、腰を下ろす。


「ねえ、もし私が……」

「はい?」


(もしも私が地獄に堕ちたら、あなたの言う場所で、愛が見つかるの?)


「……ううん、何でも。パン屋に行くなら、私のぶんも欲しい」

「ちゃっかりしてますねえ」


××××××××

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