第3話

 帰りのホームルームが終わった直後。

 ミチルが声をかけるより先に、ヒメコが猛ダッシュで帰ってしまった。


 待ってよ!

 神木場さん!

 なんて大声で呼び止められるわけもなく……。


 コーナーを曲がろうとして、胸が重いせいか1回よろけるヒメコを、ただ見送ることしかできなかった。


 にしても、まいったな。

 昼休みの用件、何だったのだろう。

 ちょっと深刻そうな気配もあったけれども……。


 ミチルはやれやれと首を振り、荷物をまとめて帰路につく。


 ヒメコはきっとシャイな性格なのだ。

 騒がしい休み時間に話しかけるより、静かな放課後に話しかける方がいいと思っていた。

 時間も気にせずゆっくり会話できるだろうと。

 完全に裏目に出ちゃったらしい。


 これはへこむ。

 明日の8時30分まで生殺しじゃないか。


「ていうか、神木場さん、見かけによらず素早いんだな」


 疾走していく様子はまさにハムスター。

 背が小さいから、着ぐるみとか着せたら似合いそう。


「昔のアニメにそういうキャラクターがいたような……」


 コツン。

 下駄箱を開けた手にチクッと痛みが走る。


 滑り出てきたのは白い封筒だった。

 床に落ちたそれを拾い、頭上にかざしてみる。


 誰だろう……。

 6限目の体育のとき、下駄箱にこんな物はなかったから、投函とうかんされてから1時間以内と思われる。


 表にも裏にも送り主の名はない。

 かといって、イタズラという感じもしない。


 果し状?

 あるいは、ラブレター?


 念のため周囲をチェックして、わざわざ物陰に隠れてから、封のシールをはがしていく。


 ブルーの便箋びんせんが折りたたまれていた。

 さわやかな香りがする紙には、たった2行、


『今日の放課後、校舎裏で待っています』

『いつまでも待っています』


 と書かれている。


 ヤバい……。

 用向きがちっとも分からない。

 筆跡から察するに女子っぽい。


 呼び出しだよな?

 告白と見せかけた新手のイタズラなのか?

 でも、恨みを買うような覚えは……。


「そもそも校舎裏ってどこだよ。この学校、校舎が3つあるのだが」


 ぶつぶつ文句をいったとき、頭上にピコンと電気が灯った。


 ヒメコが猛ダッシュで帰っていった理由。

 封筒をミチルの靴箱に入れるのが目的だったのではないか。


 この手紙の送り主、かなりのドジっ子なのだ。

 思いつきの疑惑が確信へと変わっていく。


 いるのか?

 あのヒメコが?

 この敷地のどこかに?


 気になるのは『いつまでも待っています』の一言。

 あの不思議ちゃんのことだから、日が暮れても、日付が変わっても、ミチルを待っていそう。


 それはダメ!

 お腹をぐ〜ぐ〜鳴らして、寒さに震えるヒメコを想像して、とても可哀想な気持ちになってしまった。


「こんな回りくどい真似するなら、せめて一言話しかけてくれたらいいのに……」


 そもそもヒメコが話さない理由は何だろう。


 あまり地声を聞かれたくない?

 あるのか、そんなこと。


 実は声優なんです、とか。

 実はVTuberやっています、とか。

 荒唐無稽こうとうむけいとはいえ、理屈としては筋が通っている。


 いや……まさかな……あのヒメコがな……。

 あんなに内気な性格じゃ、スクリーン越しとはいえ、人に向かって話す仕事は無理だろう。


 ないない。

 それだけは絶対ありえない。


 ミチルは封筒をポケットにしまい、1つ目の校舎裏へ向かった。

 そこに生徒の姿はなく、用務員のおじいちゃんがゴミ掃除していた。


 2つ目の校舎裏へ向かう。

 こっちはもぬけのから


 残っているのは旧校舎だけ。

 案の定というべきか、目当ての人を発見できた。


 大きな木の下にヒメコが立っている。

 お尻のところで手を組んで、髪をそよ風に揺らしながら。

 たったそれだけのポーズなのに、不思議と絵になっている。


 ミチルの足が小石を踏むたび、心臓がペースを上げていった。


「お待たせ。やっぱり手紙の差出人は神木場さんだったか」


 あどけない瞳がこっちを向く。


「もしかして、俺への果し状?」

「は……はたし⁉︎」

「あれ? 違う?」

「違うの! そんなんじゃない!」


 必死に否定するリアクションが微笑ほほえましくて、つい口元をゆるめてしまう。


「あ〜、う〜」

「ごめん、冗談だって。許して。それで俺に用件って?」

「あのね……驚かずに最後まで聞いてほしいのだけれども……」


 胸の前で指先をツンツンしている。


「うん、ちゃんと聞くから」

「単刀直入にいうと……」


 ヒメコはすうっと息を吸い込んだ。


「私を坂木くんの彼女にしてください!」


 思いの丈をぶちまけた少女の顔は、たぶん、限界まで赤らんでいた。

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