第32話 忘れていた告白

 放課後、夕日の差し込む音楽室では様々な楽器の音が鳴り響いている。

 今日の吹奏楽部は自由参加ではなく、週に数日しかない全員参加の日だった。


 これから始まる合奏を前に、トロンボーンを手にした春果がチューニングの順番を待っていると、トランペットを片手に朝陽がやってきた。


「朝陽ちゃん、チューニング終わったの?」


 朝陽の姿を認めた春果が声を掛けると、


「今終わったとこ」


 そう言って、朝陽は笑顔で頷いた。

 そして、次には春果の耳元に唇を寄せる。


「で、最近どうなの?」


 端的な言葉ではあったが、春果にはすぐに朝陽の言いたいことがわかった。

 今、駆流との関係がどうなっているのか、ということだ。


 春果は、うっかり口を滑らせて駆流の秘密がバレないように、と朝陽にも現在の状況をあまり詳しく話すことはしていなかった。

 二年生になってから朝陽とはクラスが離れてしまったので、休み時間にわざわざ話しに行くのも何だか気が引けたし、何より、朝陽に対して秘密があることを少なからず後ろめたく思っていたのだ。


 割と大雑把で人のことに口を出さない主義の朝陽だが、さすがにそろそろ気になってきたのだろう。


「今、すっごく幸せだよー?」


 この程度ならば普通に答えても問題ない、とにやけた顔で春果が嬉しそうに答える。


「最近、演奏の方も調子よさそうだもんね」


 それはいいことだ、と朝陽がうんうん、と頷いた。


「そうなの! 絶好調だよ! どんな難曲でもどんとこいって感じ!!」


 任せとけ、とばかりに春果は右手で胸を叩いて見せる。

 今ならどんな曲でも初見で完璧に吹ける、そんな気さえする。


 それくらい、春果は現在の駆流との関係に満足していた。


 学校や電話で話すのはもちろん、原稿だって手伝ったし、二人で一緒に出掛けたりもした。もちろん他にも色々あった。これだけのことがあって、一体どこに不満があると言うのか。


 しかし、次の瞬間に朝陽が発した、


「でもまだ付き合ってるわけじゃないんだよね?」


 その台詞に、春果は大きく目を見開いた。


「はっ! そうだった!!」

「まあ、そんなことだろうとは思ったけどね」


 やれやれ、と半ば呆れたように朝陽が言う。


 これまでがあまりにも上手く行きすぎていて、有頂天になっていた。そして自分はまだ『彼女』ではないことをいつの間にかすっかり失念していた。


 そういえば、告白もうやむやになったままだった。


 こんなに大事なことをこれまで忘れていたなんて。

 天国から地獄まで一気に突き落とされたような、そんな絶望的な気持ちになった。


「ああぁぁぁぁぁあ……!」


 春果は途端に頭を抱えて、その場で悶える。

 その様子に、朝陽は無言でポンポン、と優しく慰めるかのように肩を叩いた。


「朝陽ちゃあん、もう一度ちゃんと告白した方がいいかなぁ!?」


 今にも泣き出しそうな顔を上げた春果が、縋るように訊くと、


「友達のままでもハルが幸せなら告白しないってのもありだと思うけど、ちゃんとはっきりさせたいなら告白するべきなのかもね」


 そう答え、苦笑を浮かべた。まったく手のかかる妹だ、とでも言いたげに。

 しかしそれは慈愛に満ちたものであって、決してマイナスの意味ではない。


 朝陽の答えは結局『自分で考えろ』というものだったが、今の春果の状況ではそれしか答えようがなかったのだ。


「そうだよね……」


 先ほどまでとは打って変わって、しゅんとしてしまった春果が俯くと同時に顧問の教師が入ってくる。

 話はそこで終わらざるを得なくなってしまい、朝陽はまた同じように春果の肩を叩くと、自分の席へと戻っていった。


(いつから告白のこと忘れてたんだろう……っ!)


 現状が幸せすぎて、告白のことを綺麗さっぱり忘れ去っていたこれまでの自分を思い切り殴りたいと思った。


(友達のままでも幸せなら……とはいっても、やっぱり今の関係に甘えてるのもどうかとは思うし、ああ、でもなぁ……)


 究極の二択を目の前に突きつけられ、唸る。


 確かに朝陽の言う通りだが、もし告白が失敗したら今の良好な関係が壊れてしまうかもしれない。それだけは何があっても絶対に避けたい。

 かといって今のままで満足しているのもどうかと思うし、心のどこかでははっきりさせたいと思っている自分もいる。


 楽しみにしていた久しぶりの合奏も上の空で、春果はひたすら悩み続けた。

 当然、途中で何度も教師からの注意が飛んできたが、それすら頭にはほとんど入ってこない。


 結局、合奏後にようやく出したのは『もう少し機会を窺う』という、一時的な逃げとも取れなくもない答えだった。




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