第8話 仲間?

「ハル? おーい、生きてる?」


 いきなり隣から声を掛けられて、春果ははっと我に返った。


「……朝陽ちゃん」


 顔を向けると、そこにはトランペットを手にした朝陽の姿がある。

 どうやら、過去に思いを馳せていた春果を心配して様子を見に来たらしい。

 もしかしてにやけていた顔を見られただろうか、などと一瞬だけ考えたが、まあそれならそれで見られてしまったものは仕方がない。それに朝陽ならそんなことは気にしないだろうとも思った。


「ぼーっとしてどうしたの? もしかして、こないだ告白できなかったとか?」


 周りには聞こえないよう、朝陽がこそこそと耳元で訊くと、


「ううん、ちゃんとしたよ。あ、好きだとは言いそこなったけど……」


 春果はまだ夢見心地のままで正直に答える。

 朝陽は春果の好きな人が誰で、いつ告白するのかも知っていた。それは当然、春果が朝陽にだけはきちんと話して、色々と相談に乗ってもらっていたからに他ならない。

 駆流の情報集めにも一役買ってもらっていたが、どうやら秘密は漏れていないらしく、春果はそのことに安堵していた。


「じゃあ、あまり結果はよろしくなかった……とか?」


 ならばどう励ましたらいいのか、とでも言いたげに、朝陽が顔を曇らせる。

 その言葉に、春果はグラウンドを睨みながら、「うーん」と少し考える素振りを見せた。


「色々あって、告白自体はうやむやになっちゃったんだけど、結果的には友達というか、仲間にはなれた……はず……多分……」

「何、その曖昧さ加減は。それに仲間ってまた微妙な表現……」

「だって、連絡先は交換できたもん」


 朝陽の呆れたような台詞に、春果は頬を膨らませた。


 駆流のカミングアウトの後、そのまま養護教諭が戻ってくるまで二人はゲームの話で盛り上がった。

 春果も自分が腐女子だということを素直に打ち明けると、駆流はそれまで気まずそうにしていた態度を一変させ、推しキャラは誰なのか、またカップリングについてはどうなのか、などと一気に春果を質問攻めにした。

 次から次へと出てくる質問に、春果が何から答えていいか、と戸惑うくらいにはすごかった。

 そして、その帰り道で連絡先を交換することに成功したのだ。


『これから俺たちは仲間だな!』


 そう言って、夕日を背に白い歯を見せた駆流の顔。

 それが自分だけに向けられた特別なものだったことを思い返すと、その度に鼓動が早くなってしまい、春果は毎回嬉しい悲鳴を上げていた。


 駆流は春果のことを本気で『同じものを愛し、また秘密を共有する仲間』としか思っていないかもしれないが、それでも春果は好きな人と連絡先を交換できたことが単純に嬉しかった。

 春果に限らず、好きな人と連絡先を交換できるのはとても嬉しいことだろう。

 それに、普通に考えて『友達未満』ならば連絡先を交換することはないはずだ。少なくとも一歩、駆流に近づけたことだけは間違いない。


 当然『彼女』ではないが、せめて『友達』として駆流の視界に映っていて欲しい。

 はっきり『友達』と言われたわけではないので、これは春果のささやかな希望だ。いや、はっきり言われてしまうのも、それはそれで悲しいものだが。


 しかし、『彼女』と『友達』がまったく違うことはわかるが、果たして『友達』と『仲間』は駆流にとっては同義だろうか。

 そこの線引きは駆流本人にしかわからないが、春果はわざわざ確認するのもどうかと思い、この数日駆流に聞くことができないまま『仲間』という関係に甘んじていた。


「ねえ、朝陽ちゃん」

「何?」


 窓の横の壁に背を預けながら、いつの間にかトランペットのベルを拭いていた朝陽がその手を止め、振り向く。


「『友達』と『仲間』ってやっぱり違うのかな……?」

「うーん、意味的にはそんなに変わらないような気もするけど。何、篠村に『友達じゃないけど仲間だから』とか意味不明の謎かけみたいなことでも言われた?」

「さすがにそれは言われてない……」

「だったら『友達』って思っててもいいんじゃない? 連絡先交換できたってことは、最悪嫌われてはないでしょ。あ、でも『彼女』だって思い込むのは痛いからね」


 そこは気を付けないと、と付け加え、朝陽はまたトランペットに視線を戻す。


「告白自体なかったようなものだから、そこはちゃんとわかってる」


 ちょっと悲しいけれど、あの状況では仕方ない。

 春果は真剣な面持ちで、自分に言い聞かせるかのように、うんうん、と何度も頷いた。


「でも、仲良くなれたみたいでよかった」


 視線は落としたままで、朝陽が呟く。横から見たその表情はとても柔らかなもので、心から春果のことを思っているのがよくわかった。

 その姿に心の中が温かくなる。

 朝陽はいつもそうだった。

 春果に嬉しいことや楽しいことがあると、一緒になって喜んだり楽しんでくれたりする。春果も同じように朝陽の幸せを喜び合ったりしてきたが、朝陽のそれにはきっと敵わないと思っていた。


「うん、朝陽ちゃんのお陰だね!」


 春果がぱっと嬉しそうな笑顔を向けると、


「私は何もしてないし、頑張ったのはハルでしょ」


 謙遜しながら、朝陽は苦笑する。


「でも、朝陽ちゃんが色々相談に乗ってくれたから」

「そんな大したことはしてないって。ほら、私語はこの辺にしてそろそろ練習に戻るよ」

「うん!」


 元気に答え、春果がずっと隣で待っていたトロンボーンに手を掛けようとした時だった。


「東条! 東条はいるか!?」


 突然のことだった。

 音楽室のドアが勢いよく開け放たれ、大きな声が響き渡る。

 もちろん、そこにいた全員が反射的に音のした方を向いた。


「篠村くん!?」


 同様にドアに目を向けた春果が思わず驚いた声を上げ、その場に呆然と立ち尽くす。


「おや、噂をすれば」


 隣では朝陽が目の上に手をかざし、ニヤニヤと駆流の姿を眺めていた。


「え、篠村先輩……?」

「何で、駆流くんがここにいるの?」

「篠村が音楽室に来るなんて珍しいな」


 駆流の登場に、他の部員たちも驚きや好奇心を隠すことはしない。

 男女、さらに学年問わずざわめく音楽室。


(何で篠村くんがここに……?)


 駆流の選択科目に音楽はなかったはずだ。それなのに縁のない音楽室に現れた駆流に、春果はただただ戸惑うばかりだった。

 しかも駆流ははっきりと自分の名前を呼んだのだ。


 まさか、校内で声を掛けられるとは微塵も思っていなかった。

 カミングアウトから今日までの数日間は、週末が被っていたこともあって校内で話すことはなく、主に電話でゲームの話に花を咲かせていたのだから当然である。

 それに、駆流は周りに腐男子であることをひた隠しにしている。校内で声を掛けてくるなんて一体どうしたのだろうか。

 この不意打ちは嬉しすぎるが、逆に何か緊急のことがあったのではないかと不安にもなる。

 しかし、


(うっ、みんなの視線が……っ!)


 今はそれよりも自分に突き刺さる部員たちの視線が痛かった。特に女子の視線は『何で東条さんなの?』と鋭く問い詰めるようなものだった。

 そんな春果の心情を察することなく、駆流はさらに声を張り上げる。


「今すぐ来てくれ!」


 急かす声に、自分はどうしたらいいのか、と春果は朝陽におろおろと困ったような視線を投げる。すると、すぐに笑顔と共に一言だけ返ってきた。


「行っといで」

「――うん!」


 朝陽の言葉に背を押され、春果は駆流へと向かって駆け出す。

 部員の視線はずっと春果たちに向けられたままだったが、それを振り切るようにして、二人は揃って音楽室を後にする。


 その後ろ姿を、まるで母親にでもなったような気分で嬉しそうに眺めながら、朝陽は一度大きく深呼吸をすると顔を前に戻し、トランペットを構えたのだった。




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