第7話 一目惚れ
駆流の存在を知ったと同時に一目惚れをしたのは半年前、一年生の冬のことだった。
その日は期末テストの順位発表の日で、休み時間には自分の順位を見ようと集まった大勢の生徒で大きな掲示板の前はごった返していた。
この学校では上位の百五十位までが掲示板に貼り出される。
普段、春果の順位は百位付近をウロウロしていて、学年の中では中の上くらいだった。
万が一にでも赤点を取ってしまい、イベントに参加できなくなってはいけない、と毎回テスト前だけは必死に勉強している甲斐があるというものだ。
それにこの程度の成績ならば、両親に怒られることもない。
「今回の順位は……っと」
後ろの方からどうにかして掲示板を見ようと、春果が小柄な身体で懸命に背伸びをする。ジャンプした方がいいか、とも考えるが、さすがにそれではお子様すぎるような気がしてやめておいた。
その横では、幼馴染で親友でもある
こういう時は、もうちょっとでいいから身長が欲しいと切に思う。
「やった、今回は九十六位だ。ぎりぎりだけど何とか百位以内に入れた!」
ようやく順位を確認できた春果が歓喜の声を上げる。
「ハル、よかったね」
「朝陽ちゃんは?」
「八十。まあこんなもんでしょ」
平然と自分よりも良い順位を述べる朝陽に、
「いいなー、羨ましい」
と、春果はわざとらしく唇を尖らせた。
朝陽は春果よりも少しだけだが成績が良く、またスポーツ全般も得意だった。
だが、春果はそれを疎ましく思うこともなく、むしろ憧れにも似た気持ちを持っている。
幼稚園に入る前から、気付けばずっと一緒にいた。
幼い頃の春果はいつも朝陽にくっついていて、なかなか離れようとしなかった。今も似たようなものだが、朝陽はそれを嫌だと思ったことはこれまでに一度もないし、むしろ妹のように面倒を見て、可愛がっている。
同い年だけど、仲の良い姉妹みたいな、そんなとても居心地の良い関係だった。
春果が中学で吹奏楽部に入ったのも、そんな朝陽の誘いがあったからだ。
ちょうどどの部活に入ろうかと悩んでいた春果は、二つ返事で朝陽と一緒に吹奏楽部に入部することを決めた。
そして、その後の三年間で吹奏楽の楽しさに目覚め、現在に至ったわけである。
「どうしたらそんなに成績上がるの……?」
「別に、ちゃんと授業聞いてノートとってるだけだし、ハルとそこまで順位違わないと思うけど」
「いやいや、順位全然違うよ!? てかさ、授業聞いてると、どうしても眠くなったりして集中できないんだよねー。あれって何とかならないものかなぁ」
「それはハルのやる気が足りないから」
「だってー」
そんなとりとめのない話をしている時だった。
「カケル、今回はどーよ?」
「九十五位」
「あーあ、今回も俺の負けかぁ。仕方ない、約束通り今日の昼飯は奢ってやる」
「よし、決まりな。忘れるなよ」
春果たちのすぐ後ろ上方から、男子二人の会話が降ってきた。
(何だか楽しそうだな)
自然と耳に入ってくる会話を聞きながら、春果はくすりと笑む。
話の内容から察するに、テストの順位が悪かった方が良かった方に昼食を奢る、という勝負をしていたようだ。
もし春果が朝陽と同様の勝負をしていたら、間違いなく毎回春果が奢ることになるだろうが、それはそれでたまには楽しいかもしれない、などと考えた。
そんな楽しそうなことをしているのは一体どんな人たちだろうか。
何となく気になって、春果がそっと振り返った瞬間のことだった。
(――っ!?)
思わず息を呑む。
話していた男子の一人とばっちり目が合ってしまったのだ。
合ったのはほんの一瞬だけで、特に気にすることではないかもしれない。相手は「あ、今目が合ったかな」などと軽く思う程度のものだろう。
だが、春果は違った。
すぐさま視線を逸らし、顔も元に戻したが、一瞬だけ見たその顔と澄んだ瞳が忘れられない。
まるで身体中の血液が沸騰しているような、不思議な感覚にどうしていいかわからず、戸惑う。顔が熱くなっていくのが自分でもはっきりとわかり、咄嗟にそれを隠すように両手で頬を覆った。
(何これ……もしかしてこれが『一目惚れ』ってやつじゃ……!?)
そんなまさかゲームの話でもあるまいし、とも思ったが、はっきりと否定することはできず、ただただ少しでも早く顔の火照りがおさまってくれるのを願うのが精一杯だった。
不意に先ほど聞いた言葉を思い出す。
『九十五位』
彼は後ろではっきりとそう言った。
(そうだ、九十五位ってことは私の一つ上に並んでるはず……!)
別にわざわざ確認する必要はなかったが、なぜだかどうしても気になって仕方がなかった。
きっとそれは順位が並んでいたからだ、と懸命になって自分に言い聞かせながら、春果は再度ぐっと背伸びをして順位を確認する。
(……あった!)
春果の名前の上に、しっかりと彼の名前が書かれていた。
(一組の、篠村、駆流……くん)
名前を見た瞬間、先ほどの不思議な感覚が一体何だったのかがようやく腑に落ちた。
(そっか、やっぱり私……)
胸の中で柔らかく響く、少年の名前。
彼は自分の名前なんて知らないだろう。それでもいいと思った。二次元の推しだって自分の名前どころか顔だって知らないのだから。
そして、二次元の推しはいつになっても自分のことを覚えてくれることはないが、三次元の彼は努力すればいつか自分の名前や顔を覚えてくれる日が来るはずだ。
(まずはどんな人か知らなくちゃ……!)
自分の気持ちを認めた後の思考はとても早かった上に、前向きだった。
クラスと名前はしっかり覚えた。次はリサーチだ。ちょっと恥ずかしいけれど、朝陽に相談してみよう。
後のことはその時になってから考えればいい。
(よし、頑張るぞ!)
改めて掲示板の名前を挑戦的な瞳で睨み付け、ぐっと強く両の拳を握った。
この時から春果のリアルでの片思いが始まったのである。
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