第4話 国家からの追放

「うげ……っ!」


 それは誰の声だったのだろうか。

 明らかなのは、土足で踏み荒らされた床に崩れ落ちたユリオンへ向けられたものということだけ。


「な、なんだこれはァ!? ぼ、僕の顔から血がぁぁ――ッ!! 痛い! 痛い、痛いィィ!!」


 何とも言えない空気が漂う中、ユリオンだけがヒステリックに喚き散らす。

 というのも、奴の顔は打撲ではれれ上がり、下半分が真っ赤な鮮血に染まっているからだ。それも鮮血の発生源は、激突の衝撃で若干曲がってしまった奴自身の鼻。余程、容姿に自信があったのか、更にヒステリーが増していく。


「へ、へうぅ……」


 ちなみに、その背後ではアメリアがペタンと腰を抜かして泥だらけの床に座り込んでいる。吹き飛んだユリオンの長剣が足をかすめて、驚いたというところか。


「何にせよ、いきなり真剣を向けて来たのはそっちの方だ。それと本性出てるぞ」


 そんな状況に流されたのか、思わず本音が口を突いて出てしまう。だが正当防衛を主張してしまった瞬間、俺は己の失策を悟った。何故ならこういう時の正論パンチは、相手を無駄に逆上させるだけだと知っているからだ。


「家畜以下の貴様が僕に指図するんじゃあないッ! このゴミ虫が!」


 言わんこっちゃない。


 でも、ここでコイツらと同じ土俵に降りて喧嘩をするなんて、それこそ三流バカのやることだ。


 有名な言葉に“喧嘩両成敗”というものある。

 好意的に解釈される言葉ではあるが、逆に一度喧嘩になってしまえば、一〇対〇で解決するのが困難を極めるという意味も秘めている。実際、幼い頃に喧嘩をした時、大人に介入されて釈然としない終わり方をした経験は誰にでもあるだろう。脳死で喧嘩など、やるだけ損だ。


 もしやり合うとすれば、蹂躙じゅうりんか、叛逆はんぎゃくか。そして刃を抜いたのなら一蹴するのみ。

 力の矛先を見誤れば、こいつらと同じ醜悪なナニカになってしまうのだから――。


「貴様は産まれついてのゴミだ! 産まれた事自体が間違いなんだ! 僕よりも、誰よりも格下なのに! この僕を足蹴にするなんてェ!!」

御託ごたくはいい。お前たちは何の目的で此処ここに来た?」

「はァ!? だから指図するなって……!」

「言わなきゃ話が進まないぞ」

「ぎぃっ! コイツ!!」


 とにかく俺がすべきなのは、この連中の背後にいる者・・・・・の思惑を探ること。これはもう、俺一人・・・の問題じゃない。つまり暗躍者・・・と、その目的を明らかにしなければ、動きようがないわけだ。

 幸いこのバカ相手なら、いくらでも情報を引き出せるはず。こうなったら、とことん逆上させる都合がいいと判断して、わざと神経を逆撫でする風に言葉を投げかけた。


「だから貴様が勇者を囲い、反抗クーデターをやろうって、でっちあげ――」

「――止めないか!」


 案の定というべきか、激昂したユリオンが確信に触れる内容を叫ぼうとしてくれたものの――突如として軍の連中が人の波となり、大海を割るように左右に開く。

 思わず目を向ければ、緊張した面持ちを浮かべる軍人の間を煌びやかな鎧を着込んだ男が歩いて来ているのが見て取れる。


「なんだ、今取り組み中……って、あ、貴方様は……っ!?」


 その男はアースガルズの国民どころか、世界の誰もが顔と名前を知っている“超”有名人。逆上しきっていたユリオンまでも縮み上がっているのが、何よりの証明。


「あ、アレクサンドリアン殿下!?」

「ユグドラシル卿、エブリー卿、一端退がりなさい。彼とは余が話をしよう」

「し、しかし!」

「これは命令だよ」


 騎士たちを従える男の名は、アレクサンドリアン・ラ・アースガルズ。


 アースガルズ帝国第一皇子にして、類稀たぐいまれなる才覚とカリスマ性により、次期皇帝の座が約束されている人物。現段階でも宰相さいしょうを務めている。

 つまりは、この国のトップに位置する人物と称して差し支えない。天地がひっくり返っても、こんな辺境に来る人間ではないわけであり、周囲の驚きはそういう理由からのもの。


「エブリー卿も早く治して来るといい。せっかくの美しい顔が泥で台無しだ」

「は、はいッ!」

「くっ……了解しました」


 一言、甘くささやくく。

 すると、アメリアは頬を染めて足早に去っていった。ユリオンはそんな彼女を面白くなさそうに見ると、歯を噛み締めながら後に続く。


「皆も気持ちは分かるが、あまり騒ぎ立てるものではないよ。もっと優雅に騎士然としてもらわなくてはね」

「はッ! お見苦しいところを……」


 他の連中の浮足立っていた雰囲気も、たった一人の登場で一変した。いや、させられたというべきか。


「宰相、皇族……これはまた……」


 最初は話の分かる奴を連れて来い――なんて思っていたが、この局面で皇族自らの出陣は完全に予想外。

 一瞬の静寂の後、金色の髪と翡翠の瞳を持つ宰相殿が口を開く。


「やあ、初めまして。余のことは知っているかな?」

御高名ごこうめいは、かねがね伺っております。それで宰相さいしょう殿自ら、こんなド田舎に何か御用ごようでしょうか?」

「貴様ァ! アレクサンドリアン殿下に対して何たる狼藉ろうぜきか! ひざまずいて許しをうてもまだ足りん! 今すぐ首をねてやる!」

「よさないか、アルミラー卿」

「しかし!?」

「我々は彼と話をしに来たのだよ。目的を間違えてはいけない」

「はっ! このアルミラー、考え及ばず……」

「構わない。退がってくれ」

「了解致しました!」


 こんな辺境に住む俺が、中央の権力に怯えるなど無意味。軍の連携を内側から突き崩すべく言葉を投げかけるが、思惑通り反応してくれた単細胞は柔和な一言で説き伏せられていた。

 怒りを見せるわけでもなく、こちらをさげすむわけでもない。騎士たちの主は嫌味なほど整った顔で、作り物の様な笑みを浮かべているのみ。

 底知れぬ空気は、異様の一言だった。


「なに、大した用事じゃない。いい加減、アイリスを返してもらおうと思ってね」

「彼女を返す……言っている意味が分かりませんが?」

「いや……何せ、数代ぶりに現れた勇者だ。こちらとしても親交を深めたいと思っているのだよ。だが話を聞けば、軍の訓練とご家族との時間以外、ほとんどここに居るそうじゃないか。道理で会食や式典に出ようとしないわけだ」

「それは驚きですね。でも、個人の自由では?」

「ふっ、彼女だって人間だ。自分の時間は好きに使ってくれていいと思っているよ。しかしアイリスの存在は、我が帝国に必要不可欠だ。護衛を振り切ってまで、何度もこんな辺境地……それも到底釣り合いの取れていない君と会うなど、これ以上看過できないということさ。彼女は一人の人間であると同時に、我が帝国の勇者でもある。何かあってからでは、取り返しがつかないのだからね」

「言わんとしていることは、理解出来ます。ですが、それがどうして、お友達を連れて来ての殴り込みになるのでしょうか? それもこんなにたくさん……」

「彼女は、君のお友達に収まる器ではない。端的に言ってしまえば、アイリスを悪の道に懐柔かいじゅうするのを止めろと伝えに来たのさ」


 互いに腹の内を探り合う問答の裏で、俺は少しずつ全ての真相を理解し始めていた。事態の表層しか理解出来ていないであろう、他の連中を置き去りにして――。


「アイリスは、帝国への叛意はんいなど持ち合わせていない。それは貴方も理解しているはずだ」

「だとしても、アイリスがこのような辺境地に来る理由は、君に懐柔かいじゅうされた以外に考えられないのだよ。それに……事実かどうかは、大した問題ではない」

「……勇者誘拐、国家反逆……真実かどうかは問題じゃない。つまりアイリス勇者を意のままに操りたいと?」

「おや、何のことかな? 私は君のような国家にあだなしかねない危険因子によって、彼女が過激な思想を持たぬようにと気を使っているだけ。全ては私の・・アイリスの為さ」


 アレクサンドリアンの発言は偽りに塗り固められている。誰にとっても心地良い正論を吐く裏では、“国家の為に勇者アイリスを動かしたい”という真意が透けて見えていた。

 奴は自分以外の人間に対して、記号としての価値しか見出していない。根本的な視点が違う。つまりは人間を人間として見ていない。

 最初に感じた底知れなさ――違和感の正体は、恐らくそういうことなのだろう。


「しかし……魔法が使えない異常体質と聞いていたが、多少は頭が回るようだね。どんな原始人が出て来るのだろうかと思っていたから、少々驚いてしまったよ」

「それはどうも」

「ふっ、減らず口を……」


 アイリス・アールヴは勇者である。

 しかし、現状は様々な制約によって、その帝国最強の力は宝の持ち腐れに等しい。なら、その力を国のために運用する上での最大の障害は何か。


 それは俺――ヴァン・ユグドラシルという存在。


 自己顕示欲が高い方ではないアイリスは、戦士向きの性格じゃない。だから地位や名誉、勇者としての唯一性に興味を示さず、それとは逆の存在をり所に戦っている。

 具体的に言えば、複雑な事情・・・・・を抱えている彼女の家族であり、自惚うぬぼれでなければ、付き合いが長く、肩肘を張らずに済む俺だったのだろう。


 帝国最強の勇者アイリスと帝国最弱の欠陥人間。上層部からすれば、家族はまだしも、俺から自分たちへ意識を向けさせたいと思うのは当然のこと。

 つまりアレクサンドリアンは、“アイリスの軍事利用”と“俺という存在の排除”を同時に可能とする策略をぶつけて来たわけだ。更に勇者を救ったというお題目で自分の権威すらも飛躍的に高めることができるという悪魔の様な一手を――。


「意外にもこうして私の意図を汲み取ってくれている様だし、君自身がどうするべきか分かると思うのだがね?」


 この身に宿った力・・・・を開放すれば、全てを殲滅出来る。戸惑うアイリスを連れたとしても、包囲網を突破することは可能だ。

 それでも今の俺には、この連中と戦うという選択肢はない。

 何故なら、アイリスが性格的に向いていない勇者となった理由が、原因不明の大病をわずらった彼女の母親を帝国の魔導技術で治療するためだからだ。


「さあ、決断をしたまえ、ヴァン・ユグドラシル。本当にアイリスのことを思うのならね」


 アイリスだけを連れて包囲網を突破しても意味はない。そうなれば彼女の家族は実質的な人質状態になってしまう。そして、混乱するアイリスを引き連れ、この膨大な数の兵士を一人も逃がさず・・・・・・・、殲滅するのも不可能に近い。

 その上で奇跡的にアイリスを逃がして彼女の両親を無事に確保できたとして、当の母親が逃亡生活に耐えられるわけがないし、そもそも最新技術がなければ治療は不可能。

 闘う意味がないどころか、逆効果でしかないということ。


「いい夢が見られたと思って、ここから去るといい。本来、君はアイリスと共に在るのに相応しくないのだから……」


 アイリスは正規軍が対処できない強靭なモンスター相手に戦い抜いてきた。帝国側もその武力を頼り、逆に自分へ向けられることを恐れているが故に手を出せない。

 言うなれば、帝国所属とは名ばかりのたった一人の軍隊ワンマンアーミー。一種の治外法権。

 その力を誇示こじする限り、下手をすれば皇族以上の特権階級としてアイリスの存在は帝国に在り続ける。心配するようなことは何もない。


「確かに、俺の存在はアイリスにとって不要でしかないようだ」

「よく分かっているじゃないか。早く彼女を解放したまえ」


 何より俺という存在自体が、アイリスにとってのかせ――途方もないデメリットを生み出し続ける要因でしかない。

 つまり俺さえ消えれば、アイリスとその家族の安全は保障されるということ。


「そうだ! 貴様風情が勇者様と共に在るなど許されん!」

「勇者様を解放しろ!!」


 俺を射抜く数多の視線と向けられる武器。既にこの家の周りは、大量の帝国軍によって取り囲まれている。これこそ、勇者アイリスの重要度を証明している。

 結論が出ている以上、問答を続ける必要はない。


「――では、判事はいないが、次期皇帝であるこの私自らが判決を下そう」


 圧倒的優位に浸るかのようにアレクサンドリアンが言葉を紡ぐ。それは宛ら、裁きを下す審問官の様――。


「罪人――ヴァン・ユグドラシル。貴様を国家反逆罪で追放する」


 そして命じられたのは、状況は違えども二度目の追放。

 アイリスのことを思えば、選択肢は一つ。だとしても、譲れないものがある。


「――国を追われることに異論を唱えるつもりはない。辺境で過ごしているだけの俺にとっては、こんな追放コトなんてどうでもいいからな。でも、アイリスアイツを使い潰すことだけは、何があっても許さない」

「そんな、こと……っ!」

「まあアイリスの存在は、お前たちにとっても諸刃の剣。俺が口を出すまでもないだろうが……精々、丁重に扱うことだ。色々と約束を取り交わしているんだろう?」

「ぐ……ッ!?」


 どんな理由であれ、全てをうしなった俺の隣に在り続けてくれたアイリスが、この連中の欲望で理不尽に潰されることは許さない。

 六年前――奴隷商人の馬車の中で、こんな俺を頼ってくれた少女の命が消えたあの感覚――。

 あんな思いを味わうのは二度と御免だ。


 これから紡ぐ言葉は、アイリスを護る為に残す呪い・・のようなモノ。


「でなければ、俺はその頭蓋を砕きに戻って来ることになる」

「――っ、ッッ!?」


 全ての想いを殺気に乗せ、心の奥底まで釘を刺す様にアレクサンドリアンを射抜けば、周囲の空気までもが凍り付く。顔を青くする者、腰を抜かす者、中には気絶している者までいる。当の第一皇子本人も顔色を悪くしたばかりか、膝を震わせていた。

 恐怖とたじろぎ――その様がありありと伝わって来る。

 そんな中、誰かが苦悶の声を漏らした。


「グ……ぐぅ、っ!?」


 名家出身者が集ったこの連中にとって、魔法を使えない・・・・・・・俺に足がすくむなど、あってはならない。それはきっと、耐え難い屈辱なのだろう。

 だからこそ、アイリスの未来は安泰あんたいなはず。

 何故なら、この追放劇は“俺を力で追い出した”のではなく、“勝手に罪人が出て行った”という茶番に成り下がってしまったからだ。


 つまりアイリスを利用する事自体が、俺の想定――というか掌の上に自分から乗るも同然の行為になってしまったということ。そんなことは連中の無駄に高いプライドが絶対に許さない。故に呪い。


 俺はアースガルズの連中を置き去りにして、きびすを返す。ちょうど落ちた雷の逆光を背に、瞳からの蒼光を残して――。


「話はここまでですね。では、ごきげんよう。次期皇帝陛下殿」


 そして、彼女・・が眠る離れ家を一瞥いちべつすると、降り注ぐ雷雨の中を歩き始めた。

 冷たく激しく打ち付けて来る雨の冷たさが、家族に捨てられ、国に捨てられ、たった一人の友人すらも失った俺の頭を冷やしてくれる。


 だが、俺は知らなかった。

 全てをてたこの瞬間、ヴァン・ユグドラシルの人生が本当の意味で始まったのだということを――。

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