第3話 帝国軍襲来

 変わらず響き渡る激しい雷光。


 時折泊まっていくと言い出すアイリスのために作った離れ家の寝台ベッドには、泣き疲れて眠ってしまった彼女が泥のように眠っている。俺はそんなアイリスを無言で見下ろしていた。



 ――わ、私……人を殺したの……この手で沢山の人を……。



 突然、俺の前に姿を見せたアイリスの表情は恐怖と絶望に染まっていた。明らかに普通じゃない。

 どうにか落ち着かせて事情を聞けば、軍に帯同してモンスター討伐に出撃した帰り道、“エルフ”と呼ばれる種族が住む国家――“アルフヘイム王国”が率いる軍隊とアースガルズ帝国軍の戦闘に遭遇。戦況はアースガルズ側の劣勢であり、アイリスもやむなく参戦を余儀なくされたとのことだった。


「力を持つが故の葛藤。弱者は他人にすがる事しか出来ないということか……!」


 自らは対人戦闘に参加しない。それはアイリスが勇者となるために要求した条件の一つ。よって、突発的な武力介入が完全に予想外だったというのは、想像にかたくない。

 しかし、目の前で蹂躙じゅうりんされていく味方軍を見捨てるわけにもいかず、周囲からの懇願こんがんもあって戦場に介入。聖剣の一振りで敵軍を撤退に追い込んだのだそうだ。



 ――人の命が消えていくの。私の光の中、に……っ!



 聖剣から放たれた魔力の奔流。斬撃の域を超えた一撃に飲み込まれて蒸発する敵兵士。

 味方兵士は窮地からの脱出に酔いしれ、アイリス当人を除いて戦意は高まる。そして帝都に戻ったアイリスに向けられたのは、皇族や国民からの称賛の嵐。

 それは他人の命を奪ったことへの呵責かしゃくで苦しんでいたアイリスにとって、地獄のような出来事だったはず。だからこそ、軍から逃げるように俺の所に来たのだろう。


「――“勇者”という立場がアイリスを救い、今度はそれがコイツを苦しめる結果になるとはな……」


 聖剣を扱える圧倒的な素養はあっても、家庭的で年相応な一面を見せる普段のアイリスこそが本来の姿。やはり根がお人好しのアイリスには、剣を執って英雄へ――などという事自体が向いていないのだろう。


 素のアイリスと周囲が望む勇者像。

 今の彼女は、その狭間で苦しんでいる。その苦しみこそ、願いを叶えるための代償。相反する感情に、やるせなさを抱かずにいられないというのが正直なところだった。

 でも俺がアイリスにしてやれるのは、話を聞いてやることぐらいのもの。悩みを解決してやれないのに、部外者が悩んでいてもしょうがない。


 俺は雷雨の中を足早に歩いて普段過ごしている本邸に移動した。

 だが、移動を終えて一息ついた直後――その本邸全体が揺れんばかりの爆轟と衝撃に襲われる。

 それは決して、荒れ狂う天から降り注いだイカズチなどではない。明らかに人工の光・・・・


「――突入ッ!!」


 残光と共に扉ごと周りの壁が弾け飛んだ。更に鎧に身を包んでいる多くの人間が、俺の家に雪崩なだれれ込んで来る。

 意図しない来訪者に目を向ければ、連中の鎧には見覚えのある・・・・・・紋章が刻み込まれているのが見て取れた。それはつまり、この連中がアースガルズ帝国の軍属――アイリスの仲間であるということ。


「土足で……というか、民間人相手にいきなり魔法をぶっ放すなんて、どういう了見だ?」

「邸内を制圧するぞ! 勇者殿の身柄が最優先だ!」

「話を聞けよ。しかも、ウチはこんな人数が入るほど広くないんだが……」

「問答無用だッ! でえええぇぇぇい!!」


 来訪者に驚いたのもつかの間、指揮官と思われる男がいきなり斬りかかって来る。

 目まぐるしく変わる事態に戸惑わざるを得ないが、この場で退くと数の差で少々厄介な状況になると即断。指揮官の動きを一瞬で見切り、その顔面に蹴り靴底を叩き込んだ。


ほまれ高き、帝国騎士団が呆れたもんだな」

「ぐっ、がぁっ!?」

「アルミラー隊長ッ!? 貴様ァ!!」


 隊長と呼ばれた男は入り口付近まで吹き飛び、周囲を巻き込みながら倒れ込んだ。やはりそれなりの地位にある人物ではあったようで、周りの顔が驚愕と怒りに染まる。


「た、隊長!? お加減は……」

「野蛮人の癖になんてことを! 絶対に許せん!」


 でも自分たちの指揮官を足蹴にされた割に、連中は顔に力を入れるだけで動こうとしない。隊長殿の避けてくれと言わんばかりの大振りといい、刃を向けられた俺の方が相手を心配になってしまう程度には愚鈍極まりない。

 とは言いつつ、事情が分からない以上はこちらからも下手には動けない。離れ家のもう一人のことも考えれば、尚更だろう。それ故の膠着こうちゃく状態。


 互いに動きを止めていると、その間にアルミラーと呼ばれていた指揮官が周りの兵士に両脇を支えられながら立ち上がり、俺を指差しながら声を張り上げた。


「ヴァン・ユグドラシル! 貴様に勇者誘拐の嫌疑けんぎがかかっている! 抵抗を止め、勇者殿をこちらに引き渡せ!!」

「勇者、誘拐……何の話だ? というか、俺の名前を……」

「貴様が勇者殿と既知の仲であること。勇者殿の優しさを利用し、国家への反逆を企てていること。全て情報は得ているのだ! これは国家に仇なす、重大な背信行為はいしんこういである!」

「国家反逆……悪いが全く身に覚えがないな」

「反論は聞かん!」

「会話する気もないってことか。初めから・・・・……」


 俺は突如の糾弾きゅうだんに対して、首を傾げることしか出来ない。初対面で真剣を向けられるような覚えがないのだから当然だ。

 まあ、根本的な所からして、アイリスはこの家に居ないわけだが、言わぬが吉だろう。今は吹き荒れる雷雨が余計な音を遮断してくれている。泥のように眠っているアイリスが目を覚ますことはないはず。

 知らずに済むなら、その方が良い。この現実は、今のアイリスにとって残酷過ぎる。


 それはそれとして、向けられる敵意に辟易へきえきしていると、不審者の一団からどこか見覚えのある二人が飛び出して来た。


「アルミラー隊長! 栄誉ある勇者様に狼藉ろうぜきを働いた愚か者への断罪……我々にお任せください!」

「ええ、我が戦斧に懸けて、そこの愚図ぐずを三枚におろして見せますわ!」


 俺とは似ても似つかない黒髪を遊ばせている少年。

 手入れの行き届いた金髪を縦ロールにさせている少女。


 共に最後に見たのは六年前。

 歳月を経て、多少雰囲気が変わったように見受けられるが、二人ともかつての面影を残している。何より、一度は親交を深めた連中なのだから、その姿を見紛う事はない。


「お前たちは……」


 弟――ユリオン・ユグドラシル。

 そして、アイリスとは出会った時期が異なるが、幼馴染とも言える少女――アメリア・エブリー。


 前者は言うまでもなく、後者も家族と同様に俺を嘲笑った者の一人。六年前、追放された日に会うことは無かったが、本質的にはあの家族と何ら変わらない間柄だった。


「はァ!? 存在する価値もないゴミ虫が、この僕に対して“お前”……なんて発言が許されると思っているのかァ!?」

「欠陥人間が私の方を見ないで! 身体が腐っちゃう!」


 もっとも、その精神性は良くも悪くも、最後に別れた時のままであるようだが――。


「その鎧……刻まれている紋章は……」

「ああ、気づいてしまったのかい? 僕は主席、エブリーは次席で帝国騎士団に入ってしまってねぇ! 欠・陥・品の誰かと違って、僕たちは優秀だからさァ!」

「全くね! アンタみたいな下等生物とは格が違うってわけ! 生き物としての格がね!」


 ユリオンは腰に長剣、エブリーは肩に戦斧を担いで完全武装。加えて身にまとう鎧には、アイリスと同じ帝国紋章の刻印。それが何を示すのかは、説明するまでもないだろう。

 その上、一〇代半ばで実働部隊所属ともなれば、騎士団でも出世株のトップエリートに位置する。六年を経た彼らの変化には、流石に驚きを隠しきれないでいた。


「ん、んっー! アァ、お前も昔は騎士団に憧れてたんだっけェ!? カスみたいな出来損ないじゃ、天地がひっくり返っても叶うはずないのにさァ!」

「うわ、ダッサ! 一六歳になっても、夢見がちな子供のまま何でちゅかぁ?」


 しかし当の二人は、お構いなし。この六年間で遥かにパワーアップした罵詈雑言の嵐を苛烈にぶつけて来た。更にアルミラーを含め、周りの連中も悪態をつき始める。


「クク、クハハハハ――ッッ!! 魔法一つ使えない貴様風情が、き、き……我ら騎士団に入るだとォ!? とんだ笑い種だなァ!!」

「ですね! 本気で言っていたんなら、ちょっと頭おかしいんじゃないですかねぇ!?」

「こんな辛気臭せぇ奴なんか、雑用でも要らねえよなぁー!」

「まあ、どうせ無理だけど」

「言えてるー! というより、生きてるだけで罪ってか、存在自体が汚物みたいなもんだよねぇー! ユグドラシル卿もかわいそー!」


 出るわ出るわの大暴言大会。

 “俺が魔法を使えない”という一点以外は憶測でしかないのに、よくこんな暴論で初対面の人間をけなせるものだ――と、一周回って思わず感心してしまう程の勢いだった。


「……どうでもいいけど、押しかけて来たんならさっさと本題に入れよ」


 “争いは同じレベルの者同士でしか成立しない”――この連中と同じ目線に立って、一緒に騒ぐなんて御免被る。

 というか、気になるのは“勇者誘拐”とやらの方。呆れて半眼ジト目を向けるが、それが気に入らなかったのだろう。


 俺のゴミを見るかのような視線にようやく気が付いたのか、自称エリート君が更なる問題行動を引き起こしてくれやがった。


「あーあ! 皆にお前の無能がバレてしまったようだな! 少しは自分の罪を自覚したか!? 僕みたいなゴミ虫がユリオン様の兄で申し訳ありませんって言えよ! オラッ!」


 俺の眼前で銀閃が奔る。

 つまりは何をトチ狂ったのか、ユリオンが長剣を振り下ろしたということ。

 本人たちは屈辱のあまり固まっている――と思っている俺をビビらせてやろうと軽い気持ちからの行動なのだろうが、色々・・と最悪のタイミングだった。


 アイリスの涙から始まり、自宅半壊、勇者誘拐の嫌疑けんぎとやら、旧友だった連中との再会――俺自身、今日の出来事に情報の処理が追い付いていない。

 その上、連中の会話を聞き流していた所為せいで、少しばかり意識が散漫になっていた。

 何より、ユリオンが俺を以前のまま・・・・・の無力な存在だと思い込んでいたこと。


 これら三つの要素が折り重なった上、真剣を向けられてしまった。

 日々強靭なモンスター相手にルール無用の戦いを繰り広げている俺の身体は、無意識に対抗策を講じてしまう。


「へぶぅ、っ!?」

「すまん、足が滑った」


 結果、ユリオンは剣戟を外し、俺が咄嗟とっさに突き出してしまった足――進行方向出現した障害物に対応しきれず、その全てを自らの顔面で受け止めることとなった。いや正確には、雷雨の中を歩いて、ドロドロに汚れ切っていた靴底と熱い口づけを交わしてしまっていたというべきか――。

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