第38話

 結城が会社に戻ったのは、17時を少し回ったくらいだった。

 風見から資料を受け取り、野上の戻り時間が20時過ぎになることを確認した。

 資料を結城に手渡す瞬間、「大丈夫なのか?」と風見に問いかけられた。資料の内容が「麻薬」についてであることも風見は気が付いている。


 18時半になると日高も乾も帰宅していった。2人なりに何か感じることがあり、気を利かせてくれたのだろう。


 風見と結城だけになってから、姫野との話の詳細を風見に伝えた。そして、結城が予想していることについても風見に相談した。


「……たぶん、結城の予想は当たってると思うよ。でも、十分に間に合う。大丈夫だ。」


 風見の一言が、結城には心強く受け止められる。


 白井の存在に関わらず、麻薬についての情報を調べ始めていたとなれば早く止めておきたい。野上が正当な理由もなく、そんな情報を集めていることが会社側に知られれば精神状態を疑われかねない。

 最悪の場合、何らかの処分対象になってもやむを得ない事態として考えなければならない。会社としては個人的な感情に配慮するよりも体裁を優先させてしまう。


 ただし、風見と結城は一人の人間として野上を助けたいと考えていた。そして、野上が大切な物を失うことも避けたかった。



 野上が戻るまでの時間にフェンサイクリンジンの資料に目を通してはみたが、結城には専門外で詳しくは理解出来ない。

 風見に意見を求めても、ネット情報を閲覧しても、同様の結果しか得られなかった。


「……結城の考えでは、白井が『洗脳』みたいなことをしている可能性があるんだろ?『洗脳』で薬物投与する例もあるみたいだから、それ目的なんじゃないか?」


「怖いこと言わないでくださいよ。……それって、野上に薬物が使われた可能性もあるってことじゃないですか?」


「まぁ、野上にそんな物使う必要なんてないだろから違うか。」


「それに洗脳する相手に薬物の資料を渡すなんて、あり得ないですかね。」


 薬物を使うことなく心を壊すことが出来る相手だったから、白井は野上をターゲットに選んだと推察している。



 20時少し前、ドアが開いて野上が戻ってきた。


「お疲れ様です。遅くなってしまい、申し訳ありません。」


「お疲れ様、遅くに戻ってもらって悪かったね。ちょっと確認しておきたいことがあったんだ。」


 風見が野上に声を掛けて、応接セットに座るように促した。野上はカバンだけ自分の席に置いてから、ソファーに座る。


 野上が座ったことを確認して、風見と結城も続いた。

 結城は、最近急に応接セットが活躍する場面が増えていることに気が付いて苦笑してしまう。


――応接セットが活躍しなかった時の方が平和だったな……。


 愚痴っぽく、そんなことを考えてしまっていた。


「まず、試作機の企画書だけど、とりあえず東山部長には怒られなかったよ。試してみる価値はあるかもしれないって言われて、こっちが驚いた。上からの回答は待たないとダメだけど、一先ず安心ってことかな。」


「まずは第一関門を通過したってところですか?……野上が気にしてた、救援活動での活用の道も残ったわけだから良かったじゃないか?」


 結城は、軽く野上に話を振ってみることにした。

 しかし、反応はほとんど見られず、「はぁ。」と気のない声が漏れただけである。

 野上が、反応を示す話題を探しておきたかった。それを見極める必要があり、結城は話を続けることにした。


「でも、これからが大変になるよな。救援活動でも活用できるほどの筋力サポートが可能なのかテストしてみないと分からないんだからね。」


 まだ、野上には何の反応も見られない。


「俺も実際の被災地を見たわけじゃないから、手作業で撤去できる瓦礫のサイズや状況も分からないから情報を集めないとダメだな。」


 結城の一人語りになっている状況だ。それでも風見は2人を見守ることに徹して、口を挟むことはない。


「重い物を撤去するには、かなり『くろかワイヤー』で引っ張らないと筋力アップにはならないから、介護で使えるレベルとは別物になるのか……。ワイヤーの耐久力よりも、身に着けてる人間が耐えられるか心配だよ。」


 野上は純粋に「くろかワイヤー」を役立つモノに使える道を探していただけだった。その思考を利用した白井が何かを仕掛けたことで野上は心を壊し始めている。


「いくら機械の力で筋力を増強しても、元の人間の体力次第だからね。身体を鍛えている人が身に着けたとしても限界があるかな。ワイヤーで無理やり筋力を上げるんだから、かなりの激痛になることは予想される。……誰でテストするのか分からないけど、その痛みに耐えられるのか心配だよ。」


 相変わらず興味がない態度で話を聞いているように見えているが、野上の視線が結城に向けられる回数が増えていた。


「でも、救援活動してる人たちも大変な仕事だよ。もし、俺たちの企画が通って商品化されるようなことになれば、仮面ライダーの格好で救助活動してもらえるのかな?」


 結城は風見の机に置いてあるフィギュアに目を向けた。風見は苦笑いを浮かべているが、野上に動きは見られない。


「仮面ライダーは無理だとしても、激痛に耐えながら力仕事をさせられるんだ。……それだけじゃなくて、全身ゴム製の服で夏場には暑さに耐えないといけない。」


 結城は、野上が心を壊わした原因を探さなければならない。

 直接質問をしたとしても野上が正直に答えてくれるとは考えていなかった。会話の中で野上の反応を見逃さず、白井が作り出した状況を再現しなければならない。


「『痛くて暑いだけ』ってなったら、俺たちが恨まれるかもしれないし、頑張って改善しないとダメだな。救援活動に役立てるとなると先は長いよ。」


 結城は根気強く話し続けた。こんなにも話したこともなかったように感じている。

 ただし、結城は野上が反応する話題にある程度の見当はつけていた。


「野上も提案者として改善の努力をしないとダメだから、絶対に遣り甲斐はあると思うぞ。……時間は掛かる地道な作業になるけど、やり遂げたいな。」


「……時間が掛かってはダメなんです。」


 囁き程度で漏らした野上の言葉だが、結城は聞き逃さない。野上の僅かな変化も見逃してしまえば、この時間を全くの無駄にしてしまう。

 風見も変化に気付いて、野上を見ていた。


「何事にも時間は掛かる。それは仕方のないことだ。でも、時間を掛けてでも解決出来るのなら、それを良しとしない。……どんなに時間を掛けても解決出来ないこともあるんだからな。」


 野上が顔を上げて、結城を見た。この会話中で初めて目が合った瞬間になる。


「『解決できないこと』って、何でしょうか?」


「肉体的な苦痛なんかは俺たちで構造の改善策は見つけることが出来ると思う。でも、精神的な苦痛は俺たちでどうすることも出来ない。……そう思わないか?」


「……精神的な苦痛。」


「助けることが出来なかった人たちを見続ける状況に心は耐えられると思うか?目の前で人が死んでいく状況に慣れることなんてあるのか?……どこを鍛えれば、そんな状況に耐えられるようになるんだ?」


 野上の身体が小刻みに震え始めていた。明らかな動揺を見せている姿に罪悪感もあったが、結城は話し続ける。


「機械的な問題は時間を掛ければ解決出来るんだ。……でも、使うのは人間だ。人間の精神的な苦痛まで俺たちは対応できない。」


「……出来ませんか?」


「ん!?出来ると思うのか?……野上も見せられたんだろ?大勢の命が失われた被災地の映像を見続けて、お前の心は鍛えられたんのか?」


「……えっ?」


「白井先生から『避難訓練』を受けたんだろ?報道でも流せないような悲惨な映像を見続けても平静さを保つための訓練。」


 白井が見せた映像の中身を詳しく知っているわけではなかったが、野上が風見に相談した時に口にしていた事実がある。

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