第9話 カルナバル3



 逆恨みもいいところだが、そもそも、そんなふうに考えられる男なら、貴族の館をのっとっろうなんてしない。自分たちが悪事を働いたから罰されたのだなんて思いもしていないに違いない。


 ワレスはジェイムズに、ドリスから目を離さないよう告げ、宿へ帰った。その日は一日、食堂にいて、それとなくヤンを監視していた。


 夜になって、食堂の女の子が仕事を終え、家に帰っていく。すると、ヤンも人目を忍んで外へ出る。ワレスはあとを追った。


 街灯も多くは灯が消えていた。夜の街は静まりかえっている。こんなに建物が密集しているのに、運河が近いせいか、どこからかフクロウの鳴き声が届く。少し霧が出ていた。


 食堂の女、コリンヌは十七、八でユイラ人らしい美人だ。こんな時間まで働いているのは、家が裕福ではないからだろう。

 なれた道らしく、コリンヌは早足で家路を急ぐ。とくに怖がるようすもない。


 ところが、その途中だ。

 コリンヌが路地に入ったところで、とつぜん、ヤンが走った。コリンヌのまがった路地裏にとびこんでいく。これはマズイ。ワレスも追う。到着したときには、ヤンがコリンヌをかかえてひきずっていくところだ。


 ワレスは無言のまま背後にとびついた。肩でぶつかると、男はバランスをくずし、コリンヌごと石畳に倒れる。ワレスはヤンの上に馬乗りになって叫ぶ。


「コリンヌ、走れるかっ?」


 逃げろと言おうとした。が、そのときには、ワラワラと周囲に男が現れる。どれも人相が悪い。どうも変だ。ヤンは復讐のためにドリスのパレードを襲撃するつもりではなかったのだろうか?


 しかし、そんなことを考えているヒマはない。ヤンの顔面を片足でけりつけ、反対の足を軸にして立ちあがると、コリンヌの手をひいてかけだす。どうにか、近くの壁を背中にとることができた。コリンヌをかばいつつ、剣をぬく。


 結果的に言えば、大立ちまわりだった。六、七人の男を相手に孤軍奮闘こぐんふんとうすること半刻。


 ヤンは最初の時点で脳震盪のうしんとうを起こしていたので、残りのやつらを相手にコリンヌを守りとおした。近所の誰かが、こっそり役人を呼びに行ったらしい。半分ほど気絶させたり、怪我を負わせて動けなくしたところで、大勢の兵士がやってきた。


 男たちは卑劣な悪党だ。以前から、方々の街で美人をさらっては外国へ売っていたらしい。ワレスのおかげで一味を一網打尽いちもうだじんにできて、役人は大喜びだ。


 しかし、となると、ヤンはジャン=クロードではない。ドリスを狙っていたのは、あの二十代の男だったのだ。


 ワレスはコリンヌを役人に任せ、宿まで走った。空が明るくなりつつある。カルナバルの朝だ。


 しかし、そのときには遅かった。入れ違いでジャン=クロードは宿を発ったという。パレードにまぎれて、ドリスを殺すつもりだ。


 悪人たちの後始末に手間取り、思いのほか時間がすぎてしまったのが誤算だった。

 ワレスは一睡もしないまま、ふたたび外へとびだす。


 夜が明けると同時に、街には人があふれだした。神殿の鐘が鳴り響き、今日という日を祝福する。


 花やリボンで飾りたてられた広場では、大きな酒樽さかだるがあけられ、集まる人々にふるまわれる。並木には子どものためのお菓子が結ばれた。

 大勢の楽士や大道芸人がやってきて、人々に芸をひろうする。街は笑い声と音楽に包まれた。


 ワレスは浮かれさわぐ人たちをかきわけて、必死にジャン=クロードを探す。だが、どこにも見あたらない。


「祭りだよ。今日は喜びの日だ。新しい領主さまに乾杯!」


 あちこちで歓声が響き、そのたびに花びらが降る。今日のためにいったい何万本の花が用意されたのだろうか。

 赤やピンク、オレンジ、黄色。紫に青、白、黄緑。黒い花のチューリップ。ヒヤシンス。ラナンキュラス。フリージア……。

 次々になげられ、頭上に舞い、ふりつもる。石畳が見えなくなるほど。


 やがて昼ごろに、遠くから音楽が近づいてきた。街につどう楽士たちのどの歌よりも華やかな楽隊だ。


「パレードだ! 領主さまのおでましだ!」


 ワレスは必死で音楽の聞こえるほうへ走った。

 ドリスが狙われるとしたら、このパレードのあいだだ。城へ入ってしまえば、一般人には近よることすらできない。このあいだだけ、無事を確認できたなら……。


「領主さま!」

「伯爵さま!」

「お顔を見せて」


 歓呼が楽隊を出迎える。

 そのうしろには前後を騎馬兵に守られた馬車。屋根のないオープン式のものだ。


 そこにドリスがいた。美しいドレスを着て、短かった髪も少し伸びている。人々の歓迎にこたえ、馬車から銀貨、銅貨をなげている。


 わあわあと金にむらがる人たちを、ワレスはなんとか押しのけようとした。が、すぐそこに見えるのに、まったく近づけない。


 ああ、こんなことなら意地を張らずに、となりにいればよかった。そうしたら、どんなことがあっても、たとえ命にかえても守ったのに——


 そのときだ。こんなに離れているのに、ドリスはワレスに気づいた。馬車のなかで立ちあがり、身を乗りだして手を伸ばす。


「ワレス! ワレスーッ!」


 その声は周囲のざわめきのなかで、聞こえるはずがない。さわがしい音楽や、硬貨が雨のように石畳を打つ音。そんなものにかきけされて。

 なのに、少女がワレスを呼んでいることがわかった。


 胸がかきむしられる。

 なくしたもの。とりもどしたいもの。失った多くのそれら。

 今、それがドリスの形をとって、そこに降臨したかのようだ。


 それはドリスであり、家族であり、ルーシサスへの愛であり、ワレスの大切なすべてのものの象徴。


 馬車がいったん止まる。馬に乗った兵士が近づき、ドリスに座席にすわるよう話しているようだ。だが、ドリスはむしろ馬車から降りようとする。ワレスのもとへ、一直線にかけてこようと……。


「やめろ! ドリス。危険だ!」


 ワレスの声が届くはずもない。


 すると、近くで走りだす男があった。まちがいない。ジャン=クロードだ。ナイフを逆手に持っている。


 民衆のあいだから悲鳴があがり、人の壁が左右へわかれる。男はできたばかりのその道を走る。

 もちろん、ワレスも追った。すんでのところで、男の襟首にワレスの手がかかった。渾身こんしんの力でひきたおす。


「チクショウ! 離せ! 離しやがれ!」


 あばれる男を押さえつける。

 ようやく、ジェイムズがやってきて、ドリスをかかえあげた。それでも、まだドリスはワレスを呼んでいる。


「ワレス! 来てよ。ねえ、お願い。抱きしめて。もう一度だけでいいから!」


 ジェイムズがどうするんだという目で見ている。ワレスはあごをしゃくって、つれていけと命じた。ジェイムズがうなずき、ドリスをかかえたまま馬車に乗りこむ。


 馬車は去っていく。

 ワレスは遠くなる少女の姿に、ゆっくりと手をふった。



 *



 翌日。


「ねえ、ワレス。ほんとうに——」

「ああ。帰る。ドリスには会わない」


 伯爵家から戻ってきたジェイムズは大きく嘆息する。


「まったく、君は強情だね」

「いいんだ。これで」


 彼方に見える伯爵邸を、ワレスは最後に一度ふりかえる。


「なあ、ジェイムズ」

「ああ?」

「ドリスは笑ってたか?」

「ああ。クーベル侯爵夫妻はとてもよいかただ。勉強も進んでいたよ。あの子はとても頭がいい」

「当然だ。おれの娘だからな」


 ふりつもった花びらも、今日には片づけられる。

 それでもまだ、カルナバルの余韻よいんが、ワレスの胸を、ほんのりと熱くした。




 了

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