第十話 わたしの愛する……

第10話 わたしの愛する……1




 わたしの育て親のことを話しましょう。

 育て親と言っても、いっしょに暮らしたのは、ほんのひと月でしたけれどね。

 でも、わたしにとっては一生忘れられない人であり、命の恩人であり、彼こそ、わたしの人生を救ってくれた真の父であります。


 その人の名はワレス。


 出会ったのは、わたしがまだ七つのときでした。ええ、そう。今から何十年も前のことです。


 当時、わたしはイジワルな親戚の叔母さんから逃げだして、一人で街をさまよっていました。


 そんなとき、わたしをひろってくれたのが、ワレスです。当時、ワレスは二十歳すぎの青年でした。


 いえ、ふつうの青年ではありません。とびっきりの美青年です。

 黄金のように輝く豪華な巻毛のブロンド。

 宝石よりも澄んだ鮮烈なブルーの瞳。

 彫像のように美しい顔立ち。

 背は高く細身で、その姿はまるでこの世に舞い降りた神のようです。


 じっさい、初めて会ったとき、わたしは彼のことを神さまだと思いました。空腹のあまり路上に倒れていたのですが、誰かがわきを通る気配を感じ、見あげました。


 そのとき見た彼の姿を、わたしは今でも忘れません。

 さんぜんと照る陽光を受け、金色の髪が燃えるように光り輝くワレスは、とつぜん降臨した神でした。

 きっと飢え死にしそうなわたしを天が哀れに思い、目の前に現れたのだと。


 そのあと、どうなったのかはよく覚えていません。たぶん、気を失ったのでしょう。とにかく何日も食べていなかったので。


 ワレスはわたしに食べものと寝床をあたえてくれました。新しい服と、あたたかいお風呂も。


 物心ついたときには叔母から暴力を受けていたわたしにとって、それは初めて得る優しい時間でした。


 ワレスはとてもいい香りがしました。甘く、それでいてセクシー。と言って、くどくもなく、爽やかさがありました。たぶん、女性用のフレグランスを使っていたのですね。中性的な彼にはとてもよく似合いました。


 これはのちに知ったのですが、彼の職業はジゴロでした。だからでしょうか。ワレスは身だしなみにはかなり気をつけていました。


 爪をみがき、髪にはオイルをぬり、香水も使っていました。いつもセンスのよい衣服をまとい、どんなときでも絵画の一場面のように見えるのです。


 ワレスは朝が苦手でした。それも仕事のせいでしょう。

 いつも、わたしのほうが早く目がさめ、小鳥の歌を聞きながら、彼が起きてくるのを待つのです。小窓からふりそそぐ陽光が長い金色のまつげで踊るのをながめていれば、時がたつことなど忘れてしまうのでした。


 わたしたちは、とてもうまくいっていました。

 ワレスは優しかったし、わたしは幼すぎて、自分のなかに眠るほんとの感情の名前をまだ知らなかったのですから。


 ケンカですか?

 たまにはしましたよ。ほとんどの場合は、わたしを置いていこうとする彼をひきとめるために、わたしがグズるからです。


 彼はわたしのために、いろいろ奔走ほんそうしてくれていたようです。わたしの実家を探し、そこへ戻るための手立てを模索していたのだと思います。


 そのため、何度か、わたしを知りあいの貴婦人の邸宅に置き去りにしました。

 彼ののジョスリーヌはおおらかで気前がよく、とてもエレガントな女性でしたから、嫌いではありませんでした。それでも、さみしい気持ちはしたものです。


 それで、ジョスリーヌの屋敷をぬけだして、こっそり彼の家へ帰ったことがありました。彼が戻るまで寝ずに起きていました。


 聞いた話では、彼は毎晩、自宅へ帰るわけではなかったようです。だから、何日も待たずにすんだのは運がよかったのでしょうね。


 ジョスリーヌのもとへ帰れという彼と、だだをこねるわたしで言いあいになりました。

 けっきょく彼が折れて、一晩泊めてくれることになったのですが。


 そのとき、彼が話してくれたのです。この話はわたしのほかには、誰にもしたことがないんだと思います。とてもセンシティブな内容ですから。


 美神のように輝いているあの人が、ときおりとても悲しげな瞳をすることは、子どもながらに気づいていました。深い傷と葛藤かっとうを、彼が心にいだいていることは。


 子どもって案外、そういうことに勘づくものなのですよ。

 もしかしたら、わたしが女で、彼が男だからだったのかもしれません。


「ねえ、ワレス。おれ、ずっとここで暮らしたい」

「なんでだ? ジョスの屋敷のほうが贅沢ができるだろう?」

「だって……」

「おまえがいると、おれの商売の障りになるんだ」

「ワレスの商売って?」


 彼はおし黙りました。

 ジゴロをしていると、子どものわたしに言えなかったのでしょう。


「なんていうか、子どもがいるとできない仕事だ」

「おれ、ジャマしないよ」

「いるだけでジャマなんだよ」


「どうして?」

「……人に言えない仕事だからだ」


「どうしてそんなことしてるの?」

「おれも、おまえと同じ孤児だからな」


「孤児だと悪いことするの?」

「悪いこと……まあ、不道徳かな」


「だったら、そんなことしなきゃいいのに」

「おまえもこのまま、おれといたら、将来は娼婦か、よくて金持ちの愛人だ。だから、ちゃんとジョスリーヌのもとで教育を受けるんだよ」


 ワレスがあの悲哀に満ちた目をするので、わたしは思わずたずねたものです。


「ねえ、ワレスはずっと一人だったの?」

「いや、おれにもひろってくれた人がいたよ。何人も」

「いじめられたの? ぶたれたり、イヤなことをされたの?」


 彼は思い出を愛でるように微笑しました。


「いや、おれを愛してくれた。とても可愛がってくれたよ。でも、みんな死んでしまうんだ」

「どうして?」

「病気や、事故で……」

「そうなの?」


 夜明け前の薄闇のなかで見る彼のよこ顔は、なんだかとても切なかったのです。

 だから、わたしは彼の金色の髪をなでてあげました。


 彼はため息を吐きだし、口をひらきました。


「おれが孤児になったのも、おまえくらいの年だった。ほうぼうをさまよって、ある街にたどりついた。そこで彼に出会ったんだ」

「誰に?」

「シルディード。ちょうど、今のおれくらいの年だったな。シルもみなしごだったんだ。酒場で給仕をしていた。ハンサムで女にとてもモテたよ。明るくて、ウィットに富んで、すごく魅力的だった。道端にうずくまるおれを見て、自分のうちにつれていってくれたんだ」


 ワレスの話は続きます。

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