第4話 ジゴロと少女4



 トリスタンとの生活はなかなか悪くなかった。


 トリスタンは意外とかしこく、一度言ったことは忘れない。小柄に見えるのは放浪の二年間の栄養失調のせいで、案外、年は七、八歳なのかもしれない。


「いいか。トリスタン。おれは金をかせいでくる。おまえは家のなかの掃除をして待っていろ。絶対に外に出るな」

「ええ?」

「外は危険なんだ。このあたりは酔っぱらいも多いしな」

「つまんない。ワレス、どこにも行かないでよぉ」

「そうも行かない。おまえがいるから予定より早く有り金がつきた。一晩だけだ。翌朝には帰ってくるから」

「……必ずだよ?」


 泣きそうな目で見られると、妙に胸がチクチクする。仕事というのは貴婦人の一夜の恋の相手だ。要するに男妾だんしょうである。トリスタンのけがれない目にさらされることが心苦しい。


「……わかった。そうまで言うなら、おまえも来い。ジョスならゆるしてくれるだろう」


 ジョスリーヌの屋敷なら、たとえ寝室が別になったとしても安全だ。多くの騎士に守られている。


 というわけで、子づれで営業だ。なんだか自分がほんとに子持ちになったようで笑いたくなる。


 屋敷につくと、ジョスリーヌもまた、ひとめ見て絶句した。


「……ワレス。あなた、まさか——」

「おれの子じゃない」


 あからさまに、ジョスリーヌは安堵の吐息をもらす。


「そう?」

「あんたと言い、ジェイムズと言い、おれをなんだと思ってるんだ?」

「だって、あなたなら、そのへんに十人や二十人の子どもがいたって不思議はないじゃない?」

「…………」


 ワレスは一瞬、怖くなった。自覚がないだけで、あるいはそういうこともあるかもしれない。何しろ、子種をばらまくのが商売だ。


「いいのよ。あなたの子どもなら、わたくしが養子にひきとって育ててあげるわ。きっと綺麗な子だから」

「……よしてくれ。その話はもういいんだ。それよりな」


 ワレスはジョスリーヌの耳元で事情を説明する。


「——というわけなんだ。この子、深いわけをかかえている」

「まあ、幼いのに苦労してきたのね」


 ジョスリーヌは瞳をうるませている。彼女のこういう慈悲深いところは好きだ。


「そういうことなら、わたくしが養育しましょう。ワレスだって、ずっとは守りきれないでしょう?」

「ああ、まあ……」


 ジョスリーヌに相談すれば、そうなるかもしれないという予感はあった。もちろん、トリスタンのためにもそのほうがいい。ジゴロでフラフラしているワレスだ。いつまでもそばにいられるわけではないし、堅固な邸宅で騎士たちに守護されているほうが数倍、危険が少ない。


 わかってはいるのだが、なぜか、ためらってしまう。

 ワレスに見つめられて、トリスタンはうろたえた。


「えっ? 何?」

「いや、なんでもない。とりあえず、今夜はここで泊まれ。おれはこの貴婦人と話があるからな」

「う、うん……」


 トリスタンの手が、ワレスのマントの端をギュッとつかむ。

 大きな屋敷にとつぜん、つれてこられ、一人でほうりだされては、それは不安だろう。

 ワレスは安心させるために、そっとその頭に手を置いた。


「大丈夫。ここは安全だ。うまいものも、たらふく食えるからな」


 それでも手を離さないので、強引に指をひらかせて、ふりほどいた。

 部屋から出ると、ジョスリーヌがクスクス笑う。


「何よ。ずいぶん、気に入ってるじゃない?」

「そんなんじゃない。ガキになつかれても商売のジャマになるだけだ」


「そんなこと言って、ほんとは心配なんでしょう?」

「うるさいな」


「あなたのそういうところ、わたくし、好きだわ」

「うるさい舌は黙らせないと」


 ジョスリーヌの豪奢な寝台にあがる前に、唇をふさいで、ゆっくりといたときだ。外から誰か、かけてきた。


「侯爵さま。ジョスリーヌさま。たいへんでございます」


 ワレスも知っている侍女の声だ。ジョスリーヌがワレスと二人で寝室にこもる意味は、言われなくたって理解しているはずである。それをわざわざやってくるのは、よほどのことか。


 トリスタンが襲われたのではないかと、ワレスは危惧きぐした。


 ジョスリーヌが扉をひらくと、侍女が何やら耳打ちする。ジョスリーヌは奇妙な目つきで、ワレスをうかがいみた。


「どうしたんだ? トリスタンに何か?」

「ええ、そうね。何かあったのは、どちらかと言うと、あなたのほうだけど」

「おれ?」

「あなた、ほんとに気づいてなかったの?」

「何を?」

「だって、あの子を保護してから何日もたつのでしょう?」

「ああ。そろそろ、ひと月かな」

「あきれたわ」


 ジョスリーヌがあんまりおもしろそうに笑うから、ワレスは気分を害した。


「なんだよ? いいかげん、教えてくれ」


 ジョスリーヌは死刑を宣告するような口調で、もったいぶって告げる。


「あの子、女の子なんですってよ」


 ワレスは二の句がつげなかった。


「う……嘘だろ?」

「侍女が湯浴みさせたら、そうだったらしいわ」


 信じられない。ずっと同じベッドで寝ていたのに、まったく気づかなかった。


 しかし、よく考えてみれば、ワレスの顔を見て赤くなるし、裸を見るなといつも念を押してくる。髪をなでてやると、とても喜ぶ。たくさん食べさせたので、肉がついて体つきもやわらかくなってきた。


「納得している顔ね。ワレス」

「ああ」


 しかし、そうなると困ったものだ。

 男の子なら、同じ孤児だ。将来、大人になったとき、どうやって金を稼ぐのか、その手段を得られるまで面倒を見てもいいと考えていた。

 それもトリスタンが女の子なら話は別だ。


「……ジョス。頼みがある」

「ええ。何?」

「トリスタンをひきとってくれ」

「そう言うと思ったわ」


 これでいいのだ。

 いくら子どもでも、女の子と暮らすわけにはいかない。

 ワレスはジゴロだから。

 偽りの恋を売るのが商売だから。

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