第4話 ジゴロと少女3



 自宅に帰るまでのあいだ、背後に気をつけていたが、尾行の気配はなかった。

 家につくと厳重に戸じまりをする。


「夕ご飯は? ないの?」

「嘘だろ? 昼間、あれだけ食ったじゃないか?」

「食えるときに食っとくんだ」

「あとでな。それより、そこにすわれ」

「なんで?」

「おまえ、長いあいだほったらかしだっただろう? 髪がボサボサだぞ」


 トリスタンを椅子にすわらせて、クシを使って植物性のオイルをぬりこんでやる。

 ワレスも自分の髪に使っているやつだ。職業柄、身だしなみには気をつけている。


「ほら、よくなった」

「うん……ありがとう」


 手鏡をのぞいて、トリスタンは何やら、はにかんでいる。


「えっと、なんて呼べばいいの?」

「おれか? ワレス」

「ワレスの髪はキラキラしてキレイだね!」

「ユイラで金髪はめずらしいからな」


 トリスタンはワレスの手からクシをとりあげると、今度はお返しに髪をといてくれた。


「キラキラしてすごくまぶしいから、神さまかと思った」

「だから、おれの足にしがみついて離れなかったのか?」

「うん!」


 ジゴロを神と間違えるとは、神も安くなったものだ。


「いいなぁ。おれもこんな色だったらよかったな」

「みなしごはあんまりキレイじゃないほうがいいんだ。いらない苦労が増えるだけだから」

「うん……」


 トリスタンはうなだれた。やはり、それなりのツライ思いはしてきているらしい。


「トリスタン。おまえ、親はいないんだろう?」

「うん」

「帰る家はないのか?」

「うん」


 しかし、それならなぜ、命を狙われるというのか?

 あれは無差別に殺そうとしていたわけではなかった。ハッキリとトリスタンを目標にしていた。誰でもいいなら、ワレスを刺せばよかったのだ。ほかにも親子づれはいたし、トリスタンだけが襲われる理由にはならない。


「親の名前は? ファミリーネームはないのか?」

「ファミリーネームって何?」

「名字だよ。家の名前だ」

「さあ。知らない。おれ、生まれたときにはもう親父もお袋もいなかったから」

「じゃあ、誰に育てられたんだ? 赤ん坊のころから一人だったわけじゃないだろう?」

「叔母さんがいたんだ。すごくイジワルで、毎日、おれのこと叩いたり、怒鳴ったりした。ご飯もあんまり食べさせてくれなかった。それで、ある日、急にすてられたんだよ。もう帰ってくるなって言われて家から追いだされた」

「その叔母さんの名前は?」

「えっとねぇ。ヴィル叔母さん」


 トリスタンからあれこれ聞きだそうとしたが、ほんとに何も知らないようだ。自分の年齢ですら、たしかなことを知らなかった。五つかそこらのときに追いだされたらしい。


「おまえが育ったのはどんな家だった? 大きな家か?」

「ふつうの家だよ」

「一軒家か?」

「一軒家って?」

「だから、この部屋は集合住宅だ。部屋ごとに違う人間が住んでる。一軒の家が一つの家族の住居だったのか?」

「うーん。この部屋より小さかったよ。それで風が入ってきて、寒かった」


 あるいは実家が大金持ちだったんじゃないか。だから遺産相続争いで狙われているのかも——と思ったが、どうも違う。


 だとしたら、あとは放浪中に誰かの秘密を知ってしまったという可能性だ。見てはいけないものを見てしまったのか……。


(ジェイムズに相談してみるか。おれ一人ではどうにも調べようがないな)


 そう考えながら、ワレスは立ちあがった。トリスタンはクシをにぎったまま、ワレスの金髪をウットリながめている。なんだか変わった男の子だ。


「おまえの古い服はすてていいな?」

「うん」


 よく今まで分解しなかったものだ。あっちもこっちも、やぶれかぶれのボロキレだ。

 繊維せんいは再生紙の原料になるので、ただでひきとってくれる店がある。そこへ持っていこうと、ボロボロの服を木箱にまとめて入れようとした。が、その手が途中で止まる。


(なんだ?)


 汚れすぎて、よほど目をこらして見ないとわからないものの、服の裏に刺繍ししゅうがある。エンブレムのようだ。


 どうにも気になる。エンブレムなんて、ふつうの子どもには縁のないものだ。ワレスは小さな文机のひきだしからハサミをとりだして、それを切りとった。ハンカチに包んで机上に置く。


 トリスタンが狙われるのは、このエンブレムのせいかもしれない。



 *



 翌朝。

 ワレスは皇居に近い大広場にむかった。ジェイムズの務める裁判所預かり調査部の建物がそこにある。


 ジェイムズはトリスタンを見て絶句した。


「ワ、ワレス。それって、もしかして君の隠し子——」

「なわけないだろ? いったい、いくつのときの子どもだよ。十五か? 六か? そのころなら、おれはまだアウティグル伯爵家にいたよ」

「ああ、うん。そうだよな」


 何やら、ジェイムズはホッとしている。


「じつはジェイムズ。おまえに頼みがあって来たんだ」

「君が私に? めずらしいことがあるね」


 今度は嬉しげになって、今なら何を頼んでも聞いてくれそうだ。


「頼みってなんだい?」

「このエンブレムなんだが、どこの家紋か調べてくれないか?」

「うわぁ。ボロボロだなぁ」

「なんとかなるよな?」

「厳しい。だが、君がそう言うなら、全力をつくす」

「そう。ありがとう」


 ワレスが親しみをこめて、ジェイムズの頬にキスすると、友人はあわてふためいた。


「……おまえ、おれにキスされるのが、そんなにイヤか?」

「えっ? いや、おどろいて……君がそんなことするとは思ってなかったから」

「じゃあ、頼んだからな」

「ああ、うん。任せてくれ!」


 まるで尻尾をふる犬だ。

 ワレスは手をふってジェイムズと別れた。


 あのエンブレムがどの家のものかわかれば、刺客の正体も知れるだろう。

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