「ダーウィニズムと利己的遺伝子論」

 そもそも、なぜ、『この膜宇宙のこのヒルベルト空間のこの地球』(此処は量子力学的に正確に書いておく)において、障碍者が誕生したのか。


 此処は、案外、繊細な問題であり、畢竟、インテリジェント・デザイン論あたりにふれると、宗教論争に発展してしまうので、(愚生は有神論者である)あくまでも、生物学的説明のひとつとして、読者諸賢には御容赦いただきたく存じあげる。


 つまり、ダーウィニズムの系譜からいえば、『種は完全なコピーだけで成立すると、ひとつの要因、なかんずく、一種類のウィルスなどで絶滅する可能性がある』ので、多様性が誕生したというのが常識だ。


 此処から、ながらく、ダーウィニストたちは、『種を構成する個体たちは、合理的にかんがえれば利己的であるはずなのに、なぜ、ときおり、利他的な行動にでるのか』という問題になやまされた。


 たとえば、女王蟻をまもるために自爆攻撃をする蟻がいるらしいし、螳螂は生殖のためにオスが犠牲になる。


 この問題を解決したのが、有名な(悪名高い)ドーキンスである。


 ダーウィン爾来の天才ドーキンスの『利己的遺伝子論』によれば、(そもそも、遺伝子そのものが如何に誕生したかは諸説あるが)瀲灔たる海原が生命のスープとよばれる状態であった時代、さきに遺伝子が誕生し、遺伝子同士の闘諍が発生して、『防禦するがわの遺伝子が炭素で防禦膜をつくった』ことから、『防禦膜=生命という乗り物』が誕生したわけだ。


 つまり、生命が存続するために遺伝子が存在するのではなく、『遺伝子が生存するために生命という乗り物が誕生した』という理窟が、有名な『利己的遺伝子論』である。


 斯様にかんがえれば、個体の利他的行動の謎も容易に解明できる。


 生命という乗り物のパイロットである遺伝子からすれば、いくつもの個体が犠牲になっても、自分自身=遺伝子が生存しつづける可能性が残ればよいわけである。


 とすると、『ならば、障碍者は種の継承のために自己犠牲になればよい』というような論駁も考覈される。


 利己的遺伝子論においては、此処において、『人類は、地球上はじめて遺伝子に叛逆することができるようになった生物』だと定義される。


 これは、宇宙物理学的な決定論と非決定論の問題とからみあい、『ロボットの叛逆』とよばれるものだが、人類は、『遺伝子にしたがう自律システム』とともに、『遺伝子に叛逆する分析システム』をももっているといわれる。


 つまり、人間は、種の存続のために、利己的にせよ利他的にせよ、犠牲を生みだすのみならず、『遺伝子の命令に叛逆して種よりも個体を優先することができる』のである。


 つまり、第一段階として、『障碍者は不必要だから種に存在しなくてよい、というかんがえを推進すれば、種を防禦するための多様性が勦滅されて、種は容易に絶滅することになる』わけであり、第二段階として、『人間は遺伝子の命令にしたがうだけのロボットではなく、健常者にせよ、障碍者にせよ、個体を維持するための視座から種を分析できる種である』ことになる。


 ドーキンスの理論については、愚生はまだまだ無知蒙昧であるために、もっと根源的に考覈できるかもしれないが、おそらく、然様にすれば、さらに『障碍者が種に必要だ』という確信をつよめるであろうと存じあげている。


 ――予告


 次回はふたたび、フーコーの哲学を別の側面からみて、経済学的な問題、畢竟『障碍者は生産性がないのに存在価値があるのか』という問題についてかんがえてみたい。

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