第4話 恒星の音

 「あなたはこの世界でも、あの少女と会っていますね」


 この言葉が意識の奥底をたどった。そして無意識の領域へと拡張されていき、該当する記憶を探っていく。あらゆる記憶を想起する神経に言葉が届くと、言葉と一致したある少女の姿が再生される。

 脳内に過去を蘇らせるのではなく、実際にあの時に戻って、過去を生き直しているのならば。


 あの少女に会いに行こう。


     懐かしいあの過去を生き直そう。






 正面のオブジェの前には、パン屑をまいている一人の少女がいる。そこに、おびただしい鳩の一群が集まっていて、同時に新しいのが四方からどんどん飛びつどって来る……それはたとえようもなく懐かしく温かい記憶であった。


 僕はバス停のベンチから立ち上がり、そっと少女の方へと歩み寄った。静かに歩きながら前ばかり見ていたせいか、ロータリーの段差に気付かずにつまずいて、地面を思い切り踏んで大きく音を立ててしまった。すると、集まっていた鳩たちは一様に羽ばたいていた。鳩が翼を広げて飛び立つ姿を背景に、世界がスローモーションになる中で、彼女と目が合った。茶色い目は驚きに大きく見開かれて、瞳のおくには体を震わせた僕の姿が映る。


 少しびくっとした少女の表情にはやはり見覚えがあった。肩まで伸びた鳶色の髪の揺れ方に、大きく見開かれたときの潤む瞳に、ひどく懐かしさを感じた。動揺をごまかすように頭の後ろに手をやる、と少女は抵抗が解けたようでお互いなんだか面白くって楽しく笑いあった。


 人懐っこい笑顔の彼女は、焦げ茶のコート袖をふりふりして、飛んでいった鳩に呼びかけて手招きをする。それから思い出したかのように、少女の優しい眼差しは僕の目に注がれた。


「どこかで……」と小さく彼女の口からこぼれた。この言葉をずっと待ってたのだ。こちらも同じ思いでいるから、僕らは本当に出会ったことがあるのかもしれない。だけど、なにも思い出すことができない。震える声を抑えつけ問いかける。

「僕たちは……」


「あれ、あそこにいるコートの人って……」

駅前の道をステッキをゆらゆらさせながら行ったり来たりして、独りごとをつぶやいている外国人がそこにはいた。

「あの人もあの時、ここにいて僕を見てたんだ」

知り合いなのかと尋ねる彼女に、僕はコクリと頷いてみせた。


「昔から知っている人だよ。僕の方からはあの人を思い出せないだけなんだよ多分。聞かなくてはならないことが出来たから、あの人のところへ行くよ。……ひとつ聞きたいんだ。僕らは過去に出会ったことがあるね」


「私も、同じこと思ってた!これまでにも、さっきみたいにあなたに驚かされてきたような気がしたの。きっと気のせいだよね」

頬を赤く染めた少女は、はっとしてから表情を見られないようにと顔を背けた。

 


 ぼくらは、偶然出会ったとは思えなかった。彼女と出会うための道が、最初から用意されていた気がしたから。


 「また忘れてしまう前に、きみの名前を聞かせて」

 照れくさくて恥ずかしいまま、だけど好意を伝えてたくてぼくは続けた。


「もしまた会えたらその時はさ、鳩を飛ばさないように君だけを驚かしてみせるよ。きっとその時には再会したことを確信できると思うんだ。まあ、出会ったことを忘れていたら何回だって出会えばいい。必ず会いに行くよ」


 「うん、信じて待ってる。そうそう私の名前はゆい!覚えてくれてたら嬉しいな。絶対また会おうね、田崎くん」


 その場にしばらくの沈黙。2人とも気付いてしまったのだ。特に彼女は自分の口から初対面であるはずの青年の名前が出たことに驚きを隠せないでいた。


 本当に何度も出会った記憶をなくしてきたのだろうか。その記憶の残滓がこうして受け継がれて来たのだろうか。このまま話をしていたかったが、彼のもとへと向かわなければならなかった。真相を知る彼のもとへ。僕は彼女に手を振って立ち去った。



 あの男はめづらしく新宿駅の中に入っていくようだ。僕は必死に走って彼に追いついた。改札を通ろうとする彼の肩に手をやった。






 気づくと僕は墓地にいて、墓の前で紳士は思案に耽っていた。彼はぼくの存在に気付いて、安心した顔をみせたが、すぐさま顔に暗い影がさした。

僕は少女と再び出会うことができたことを、

イギリス人、名前はAlfieということがようやく分かった、に過去を生き直すことが実体験として理解できたことを話した。彼は耳を貸してはいたが、どこか素っ気ない様子であった。


 「あなたはまだ夢から醒めていません。鳥が卵から抜け出ようともがくように、あなたも、この仮世界を脱出しなくてはなりません」

 アルフィーは自分に言い聞かせるかのようにゆっくりと語り始めた。


「恒星の音を聞いたことがありますか。太陽のような恒星は一番外側の層から音を発します。この恒星も生きているので、いずれは死が訪れます。自らの重い重力につぶれて大爆発を起こすのです。しかし、恒星はその死ぬ間際に最も輝きを増すのです。爆発から3時間後には満月の100倍の光でもって輝きます。それは4ヶ月くらい続きますが、4年もすれば肉眼で捉えられなくなります。宇宙における時間単位では、4年は一瞬にすぎない。その最後の一瞬に生命をすべて燃やして宇宙で最も明るい星になるのです。命を燃やすのです。この話を聞いて、あなたは自分が死ぬことを受け入れられますか」


 僕が話を聞いていることを確認した彼は、それから、悲しそうに哀れむように言った。

「あなたが目覚めた世界に私はいませんし、世界に平和もありません。世界は本当に滅亡するということです。実際にタクシーで話して聞かせたでしょう。あれが起こるのですよ。なぜ私が世界滅亡を経験してここにいるかって?」


「決まってますよ、私も過去を生き直しているのですから。あなたが少女と仮の世界で出会うためにしたことを、私は仮世界での日本の街としているのです。むかし観光した日本を忘れたくなくて、忘れられなくて、過去を生き直しているのです。あなたの場合は、少女との記憶が大切だからこそ、この仮世界で少女との無限ループにいるのでしょう」


 青年はとても混乱してきたが、アルフィーが嘘をついているようには思われなかった。


「私は少年時に世界滅亡を経験したのに、なぜ現代日本の君と同じ空間にいるかって?ここは現実世界ほどの早さではないにせよ、老いていくのですよ」


 墓地にいた2人に雨が降り込めた。アルフィーは濡れるままに任せ、僕は上着を頭に被せて雨をしのいだ。紳士のコートは降ってくる雨粒に濡れて黒さを増していくが、それでもアルフィーは空をにらむように見上げるばかりである。


 紐の結びがするりと解けるように、青年は今までの謎が解ける感覚をおぼえた。

「少女と僕は現実の世界で知り合いであり、僕も彼女もこの仮世界に迷いこんでいるということですね。ようやく飲み込めました。恒星の話をした意味も分かりました」

 

 アルフィーはこちらをみてうなずいた。

「あなた方は選ばなければならない。この仮世界で、何度もお互いの記憶を失い続けるか、現実世界で共に、滅亡による死を迎えるかを」



これが今までに起きた謎と災禍のすべてだった。僕はこれから、運命との闘いに挑むことになる。

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