第2話 密やかな任務

 王宮に勤めるハルバラは、大臣の直々の声がけと聞き、怪訝な顔をしてジェラベルの執務室に現れた。こんな何の取り柄もない、数多くいる、中年の侍女のひとりに過ぎぬ自分に、いったい何の用であろうかと訝しみながら。


「……ジェラベル様、参りました」


 ジェラベルはおずおずと部屋に入ってきたハルバラの手を引き、いきなり、大理石の冷たい床に押し倒し、その足を持ち上げた。


「あっ! 何を!」


 ハルバラは突然のことに抵抗も出来ずに、床に転がる。一方、ジェラベルは一言も語を発さずに、ハルバラのエプロンとスカートが捲れるのも構わず、その片足になにやら木製の靴らしきものを押しつけた。そして、頷く。満足げな笑みを浮かべて。


「やはりな、ぴったり同じだ」


 そう独りごちると、ジェラベルは、恐怖と羞恥のあまりに声も出せずに横たわったままのハルバラに、漸く声を掛けた。


「もうよいぞ。立ち上がるがよい、ハルバラ」


 その言葉に、ハルバラは恐る恐る、捲れ上がったスカートを直しながら、起き上がる。まだその唇は、突然のジェラベルの狼藉に、青白く震えたままだ。


「ハルバラ、これからお前に重大な任務を依頼する。他言は無用だ、よく聞いてくれ」


 ジェラベルはひとつ咳をすると、密やかな声音でハルバラに任務の内容を語り始めた。


「女王陛下は宮中の者なら知っての通り、重度の腰痛により、輿を使わねば移動が叶わぬお身体だ。それ故、新しい星にご自身の御御足おみあししるしを付けるなどとても無理なのだ。いくら、ご自身が望もうとも。そして陛下ご自身もそれはご承知だ」


 ジェラベルはゆっくりと部屋を歩き回りながら、語を継ぐ。


「だが、陛下はその儀式セレモニーをお望みだ。それをしてこそ、陛下の御代を全宇宙に宣言できると、重々、存じておられるからな」


 かつん・かつん、と、ジェラベルの靴音が執務室のなかに響く。


「しかし、その様子は全宇宙にテレビジョンで中継されるだろう。その場面で陛下に、万が一のがあられては、帝国の沽券に関わる」


 窓から注ぐやわらかな日差しのなかを彼の影が動き回る様子を、ハルバラは視線を下に落としながらただ見つめていた。


「そこでハルバラ、お前が必要なのだ。女王陛下と実によく似た体型と同じサイズの足型を有してる、お前がな」


 急に自分の名前が呼ばれ、ハルバラははっとして、目線をジェラベルに戻した。そんな彼女に、ジェラベルは重々しく、問うた。


「お前に求めるは、身体、ことに、その足だけだ。その後、口は堅く閉ざさねばならぬぞ。……どうだ? この役目引き受けるか?」


 ふたりの間をしばし沈黙が支配する。やがて、それまでずっと話を黙ってただ聞いていたハルバラが口を開けた。


「……その役目を果たした末には、私めは、一生、不自由なく暮らせるのでしょうか?」


永久とわに贅沢させてやる。それは約束しよう」


 ジェラベルの即答に、ハルバラの脳裏を打算の嵐が吹き荒れた。こんな侍女暮らしには、正直、もうあきあきだ。もし、その役目で、残りの人生を苦労せずに過ごせるのなら……こんな好機はまたとない。逃してはならない、とハルバラの頭の中で自らの声が響く。


「御意……。御国のために、お役に立ってみせましょう」


 気が付いたときは、ハルバラはそう答えながらジェラベルに跪いていた。



 それから半月後、女王専用の宇宙船の用意が整った。人々は祝福の声を上げ、その出発を一目見ようと宇宙港に押し掛けた。


 そんな喧噪のなか、ハルバラは宇宙船に密かに同乗させられた。その短いとは言えぬ道中で、ハルバラは女王の足取りを真似ることを徹底的に練習させられ、躾けられた。やがて一月半ほどの旅路を経て、彼の惑星に船は到着した。


 その日、ハルバラは女王のクローゼットより選びぬかれた、ことさら豪奢なドレスを着せられ、髪を華麗に結い上げられた。そして入念な化粧の後、最後に差しだされたのは幾多の宝石が輝く、女王自慢の金色のハイヒール。

 そのハイヒールがぴったりとハルバラの足に収まったのを見て、ジェラベルはあの満足げな笑みを再び浮かべた。


「いいか、中継のテレビジョンのカメラマンには、なるべく顔を映さぬように厳しく申しつけてある。ハルバラ、お前は、ただ、練習したとおりに、陛下の物腰を真似て、新しい惑星の地表にしるしを残せれば良い。その光景さえ撮影できれば、カメラはすぐに切り替わる。そうすればお前の役目は終わりだ」


 宇宙船の扉が開いた。未知なる世界の風がざわっ、と船内に流れ込み、ハルバラの髪とドレスを揺らす。


「さあ、儀式セレモニーのはじまりだ。くれぐれもミスのないようにな」


 ハルバラは、卒倒しそうなほどに緊張に固まる足を何とか動かし、宇宙船のタラップをそぉっ、と降り始めた。一段、二段、ただただ、踏み外さぬように、倒れ込まぬように。

 やがて金色のハイヒールが最後の段にたどり着くと、ハルバラは慎重に、新しい惑星の大地へと片足を差し出した。やわらかな土と草がハイヒール越しの足裏に触れる。祈る想いで、ハルバラは両足を地表に移す。


 一歩・二歩・三歩。


 ハルバラの足は、たしかに、新天地の地表にしるしを付けた。


「よし! カメラ、止め!」


 それを確かめたジェラベルの声が飛び、即座にカメラマンがその指示に応じる。ハルバラは思わず、豪奢なドレスが汚れるのもかまわず、地表にへたりこんだ。


「新天地に女王陛下の御御足、ついに触れる。その高貴なしるしは、この惑星がまごうことなき我が帝国の領土だと証明した。女王陛下万歳! 帝国に栄光あれ!」


 翌日、そんなキャスターの興奮気味の台詞と共に、自らの足跡の立体映像が大きく躍るテレビジョンのニュース番組を、ハルバラは、どこか白々しい心持ちで眺めていた。

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