第04話 お隣さんに街案内③

 歩道の端には、しっかりと剪定された街路樹とシンプルなデザインの街灯が等間隔に並んでいる。


 俺と美澄はそんな景色を横目に――とはいっても、美澄には見えていないだろうが――しばらく歩いていき、少し角を曲がったところにあるお洒落な喫茶店にやって来ていた。


「……なんか、嬉しそうだな?」


「ば、バレましたか?」


「そりゃ、さっきからニヤニヤしてるしな」


「う、うぅ……」


 店内窓際にあるソファー席。

 俺と美澄は長方形のテーブルを挟んで向かい合うように座っており、先程注文を済ませたところだ。


「そんなにこの店に来たかったのか?」


「そ、そりゃもちろん! だってだって、地元にはこんなお店なかったですし、あらかじめこの辺りのことをネットで調べてたらこのカフェが出てきて……」


「そんなに美澄の地元って田舎なのか?」


「ド田舎ですよ。見渡せば田畑と山。街灯は立ってないので夜は真っ暗ですし、少し行けば街はありますけど、そこまで行くのに一時間に一本あるかどうかのバスに乗って一時間半。ちなみにバス料金はぼったくりレベルに高いです」


 やけに饒舌になった美澄は、さらに早口で続ける。


「あるのは喫茶店と称したスナック。カラオケは老人の憩いの場所。学校は小中合同の複式学級ですよ」


「す、すげぇ……そんな絵に描いたような田舎が実在するとは思ってなかった……」


 あ、馬鹿にしてますね、と美澄は不満げに頬を膨らませた。


「でも、田舎は田舎で良いところもあるんですよ?」


「空気が美味しいとか?」


「ま、まぁ、確かにそれもあるかもしれませんが」


 もっと実用的な良さです、と美澄がどこか得意げな顔をして続ける。


「基本水は湧水わきみずを井戸から汲み上げて使っているので、水道代が掛かりません」


「い、井戸から!? あ、あの時代劇とかで出てくるやつか? ロープを引っ張って滑車を回して水が溜まったバケツが上がってくるみたいな?」


「そ、そんなわけないじゃないですか! 汲み上げるのは自動化されてますよ。蛇口を捻ったら普通に湧水が出てくるってだけです」


「な、なんだ……」


「か、勝手に幻滅しないでください。津城君は私の地元に何を求めてたんですか……」


「そりゃもう、洗濯しに川へ行くあれだろ」


「そんなことしてません」


 美澄が「もう……」と呆れたようにため息を溢す。


 それにしても、こうやって話し合ていると、美澄が視力障害に陥ってしまうほどのストレスを抱えているとはどうしても思えなくなってくる。


 一体何があったのか。


 非常に気になるところではあるが、そこへ足を踏み入れようとするのはあまりにも不躾だろうし、美澄も会って間もない俺なんかに話したくはないだろう。


 そんなことを考えていると、プレートに注文した料理を乗せた店員がやって来て、俺と美澄の前に置くと「では、ごゆっくりおくつろぎください」と言い残してカウンターの方へ姿を消していった。


「んじゃ、食べますか……って、どうした美澄?」


 ふと、視線を手元に置かれたパンケーキから正面に移すと、同じくパンケーキを前にした美澄が至近距離まで顔を近づけて、まじまじと見詰めていた。


「と、都会って感じがします……ッ!」


「パンケーキに都会を感じるか」


「だ、だって! こんなにパンケーキがふわふわなだけじゃなく、クリームもふんだんに乗せられてるんですよ? 贅沢ですお洒落です!」


 まぁ、確かにさっき聞いた美澄の地元の感じでは、こんなパンケーキは出てきたりしないだろうな。


 おせんべいか、近所で取れたミカンか……そんなことを尋ねれば「馬鹿にしないでください」と怒られそうだが、あながちこの予想は間違っていない気がする。


「今度自分でも作ってみようかな、パンケーキ……」


 デザート用のナイフでパンケーキを一口大に切り、クリームを乗せてパクリと口に運んだ美澄が呟く。


「へぇ、料理得意なのか?」


「あ、はい。結構厳しく教え込まれたのもあるんですけど……でも、私自身料理するのは好きですから」


「料理できるって良いな。俺はあんまり得意じゃないから……」


「そ、それでよく一人暮らししてますね……?」


「あはは……」


 最低限食べられるものを作ることは出来る。

 漫画やアニメのように生きた暗黒物質みたいなものが完成したり、キッチンが爆発したりもしない。


 だが、残念ながら美味しいものとは程遠いものが作れてしまうため、大体俺はスーパーでお総菜を買うか、コンビニで弁当を買って済ませてしまっている。


 生活費は家から送られてきているとはいえ、なるべく節約したい。


 ならば自炊した方が良いのだろうとは思うが……やはり、なるべく自分の料理は食べたくないのだ。


 俺は苦笑いを禁じ得ないまま、フォークに刺したパンケーキを口に運んだ。


「……美味しい」


「ですよね」


 上に乗せられたクリームを見たときは、胃もたれしそうと思ったが、そこはきちんと考えられており、甘さは控えめ。上質な舌触りで、口の中でフワリと溶けていく。


 そして、合間に挟んで飲むホットコーヒーの苦みがパンケーキの甘みを搔っ攫っていき、再びパンケーキを口にして、甘み。


「コーヒーを飲めるなんて、津城君は大人ですね。ミルクとお砂糖は入れる派ですか?」


「いや、ブラック派だな」


「なるほど……大人を通り越して、もうお爺さんですね」


「苦みに比例して年齢も上がっていく謎理論」


 カチャリ、と美澄は手に持っていたティーカップをテーブルに置く。

 中にはミルクティーが入っている。


「美澄はコーヒー飲めないのか?」


「だって苦いじゃないですか。何が美味しいのか全く理解出来ません。焦げた水です」


「ま、大人の味だからな。美澄にはまだ早いってことだ」


「あ、馬鹿にされました」


 俺は美澄には見えないだろうとわかっていてニヤリと口角を釣り上げて見せるが、どうやらからかったことは伝わったらしく、美澄は不満げに頬を膨らませる。


「ちょっと飲ませてください」


「……は?」


「飲めるようになっているかもしれませんから」


「いや、そうじゃなくてだな……」


 美澄はそういうのを気にしない人種なのだろうか。

 いや、単に気が付いてないだけの気もする……。


「――って、おい」


 どうしようかと悩んでいるうちに、机に手を這わせて俺のコーヒーカップを探し当て手に持った美澄。

 そのまま自分の口元に運んでいく。


 美澄の桜色の唇がコーヒーカップに触れるのを見ていると、なぜかいけないようなことをしている気がしてしまう。


 ドキッと心臓が跳ね、居たたまれない。


 俺は窓の方へ顔を背けつつ、横目で美澄の様子を見る。


「……」


 美澄は無表情で黙り込んだまま、コーヒーカップを見詰めている。

 そして、ゆっくりとこちらへ顔を向けたかと思えば、泣きそうになっていた。


「……苦いです」


「馬鹿なのか」


 俺の高鳴っていた心臓はすっかり落ち着き、ただ、呆れてため息が零れ出てしまった。


 

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