第02話 お隣さんに街案内①

 クリスマスが終わった途端、世の中はすっかり正月ムードに様変わりしていた。


  人々のこの変わり身の早さには、流石のキリストも驚くだろうが、大半の人はクリスマスをキリストの誕生日としてではなく、プレゼントが貰えたり、ケーキが食べられたり、はたまた大切な人と過ごす特別な日として楽しんでいるのだから仕方がない。


 そんなクリスマスの翌日である今日、俺はお隣に引っ越して来た同級生の少女――美澄紗夜にこの街を案内する約束をしていた。


 現在時刻は十二時四十分。


 美澄に十二時半くらいに来てくれと言われていたので、昼食も兼ねたやや遅めの朝食を済ませた俺は今、三〇四号室の扉の前に立っていた。


 ピンポーン、と扉の横にあるインターホンを鳴らす。


 すると、数秒遅れてインターホンから『はーい』と美澄の声が聞こえてきたので、俺は「津城だけど」と名乗る。


『あ、今行きますね』


「おう」


 既に支度を済ませていたのだろう。

 美澄は俺の声を聴くとすぐにそう言ってインターホンの通話を切る。


 少しして、ガチャリと扉の鍵が内側から解錠される音がした。


「こんにちは、津城君。今日はよろしくお願いしますね」


「ん、ばっちり案内するから任せ、と、け……」


 扉の中から出てきた美澄の姿に、思わず息を飲んでしまった。


 薄茶色のハイネックニットに、チェック柄のロングスカート、そして上からライトベージュのロングコートを羽織るという同系色で統一されたコーデ。


 暖かさを重視しながらも、きちんとお洒落に気を使ったその姿は、見惚れてしまうには充分だった。


「どうかしましたか?」


「……あ、いや。よく似合ってるなと思って」


「ふふっ、ありがとうございます。田舎者脱却のために、ファッションとか勉強した甲斐がありました」


 美澄はそう言って屈託のない笑顔を向けてくる。


「んじゃ、行こうか。えっと、腕とか貸した方が良いか?」


 恐らく小学校の頃だったと思うが、視覚障害についての講演を聞いたことがある。

 確かそのときに、こういった配慮が結構助かるものだと言っていた気がするので、俺は一応美澄に確認を取る。


 美澄は一瞬目を丸くしていたが、すぐにやさしく微笑んで答えた。


「わかってますね、津城君。では、ありがたく貸してもらいます」


 美澄はそう言って横に立つと、少し差し出してある俺の右腕にそっと手を掛けた。


 わけあって俺は自分自身が恋愛することを忌避している。


 しかし、こうして異性と腕を組むというのは、恋愛どうこうは関係なく、健全な思春期男子である俺の心臓を跳ねさせるものだ。


「じゃ、行くぞ?」


「はい、お願いします」


 何とか心臓の鼓動を落ちつけながら、俺は美澄と一緒にマンションのエレベーターに向かって行った――――



◇◇◇



 俺と美澄はマンションを出てからしばらく歩き、コンビニ、スーパー、ファミレスを順に通過していった。

 特にスーパーは生活していく上で欠かせない場所になるだろう。


 そこまで大きな規模のスーパーではないが、住宅街ということもあってこの辺りの住人は頻繁にお世話になっている。


 順調に街の案内は進んでいる、のだが……


「その、提案した俺が言うのも何なんだけどさ……」


「はい?」


「嫌じゃないのか? その、出会ったばかりの俺なんかにこうやって連れられるというか……」


 実は内心ずっと気にしていたことなのだ。


 確かに心の底から美澄の助けになりたいと思って提案したことではあるが、それでもやはりこうして腕を組むようにして歩いていると、傍からはどうしても“そういう関係”に見えてしまうだろう。


 しかし、美澄はそんな俺の言葉に首を傾げる。


「どうしてですか?」


「どうしてって……そりゃ、周囲の視線とか……」


「別に気になりませんよ。だって私、見えませんし」


「それもそうか……って、いや、そういう問題じゃなてだな。その……俺が下心をもってお前に近付いてるとか思わないのかって話」


「そのことについては先日津城君が、他意はないということをそれはもう必死に訴えてたじゃないですか」


 そのときのことを思い出したのか、美澄は口許に手を当ててクスッと笑って見せる。


「いや、言葉では何とでも言えるし……って、信用してくれるのは嬉しいが、美澄はもうちょっと警戒心を持った方がいいぞ。皆が皆、善意で寄ってくるわけじゃないんだから」


「そうですね、気を付けます。でも、津城君はその善意で寄ってきてくれた人でしょう?」


「まぁ、そりゃそんなんだが」


「なら、心配いりませんね」


 そう言ってあどけない微笑みを浮かべる美澄。


 まったく、どうしてそこまで俺を信用してくれるのかわからないが、なら俺はそれに誠意で応えなければならないだろう。


 恋愛をしないと心に決めた俺だからこそ、下心を持たずに美澄に接することが出来る。


 もし、今後美澄に何かしら頼りにされても、俺は変な勘違いをしたりしない。

 俺と美澄はただの隣人で同級生。

 それ以上でもそれ以下でもない。


 ――と、そんなことを考えているうちに、石造りの大きな校門が迫ってきていた。


「着いたぞ。ここが凛清高校だ」


「なるほど……マンションからこのペースで歩いて十分ちょっとといった感じですね」


「道順とか大丈夫そうか?」


「はい、問題ありません」


 出来ることならどんな高校なのか目で見てみたいですけどね、と少し残念そうに笑う美澄。


「でも美澄、まったく見えないわけじゃないんだよな? それなら眼鏡とか掛ければ……」


「はい、普通に目が悪いだけならそれで解決なんですけど、私のはそうもいかなくて。眼球に異常があるわけではないので眼鏡での矯正が効かず、脳に問題があるわけでもないので手術でどうこうも出来ません」


「え、なら何で……」


 目が見えないのか? と言葉を続けていいものかためらってしまったが、美澄はそんな俺の疑問を理解したようで、こちらに振り返る。


 恐らくその綺麗な榛色の瞳には、俺の姿はほとんど映っていないだろう。

 しかし、確かに美澄の視線は俺の目を捉えていた。


「心因性視力障害……過度なストレスを抱えてしまって、視力が著しく低下するというものです」


 自分の落ち度です、と淡く微笑む美澄。


 その笑顔は一見見惚れるほどに美しく可憐だが、隠し切れない影のようなものが滲んでいた。


 確実に何かある。

 そんな確証があるが、俺は踏み込むのを止めた。


 部外者である俺がズカズカと踏み入っていい話ではないのだろうと容易に察せられるからだ。


 それに、聞いたところでどうする。

 俺にはそれを解決してやる力なんてない。


 だが……と、俺の脳裏に過った。


 ――もし美澄から助けてほしいと言われたらどうする?


 自分から踏み込むのではなく、美澄から受け入れてきた場合、俺は首を縦に振るのだろうか。


 いや、そんなありえない“もしも”のことを考えてどうするんだと、俺はそのことを脳内から払拭すべく頭を振る。


「津城君?」


「いや、何でもない。それより、他にどこか行きたいところあったりするか?」


 そう尋ねると、美澄は少し考えるようなそぶりを見せたあと、「実はありまして……」と上目遣いで見詰めてくる。


 それを意識的にやっているのか、それとも無自覚なのかは定かでないが、そんな視線を向けられ、若干心拍が上がった。


「そんな不安そうに見詰めなくても、提案したの俺なんだから遠慮なく言ってくれ」


「は、はい。実は――」

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