第17話 辛い日常

「ただいま」

「おかえり」

淡白な返事。リビングに入ってダイニングテーブルを見ると、僕が初めて飛鳥に送ったマグカップが一つ、寂しそうに乗っかっていた。

「晩御飯は?」

急かすように飛鳥が聞いてくる。

「今日はコンビニでもいいかな? 疲れちゃった」

コンビニの袋を持ち上げながら訊くと

「う~ん……。わかった」

不服そうに答えて、パタンと本を閉じ、いつもの席に座った。その態度が妙に腹立たしくて、買ってきたサラダやら何やらを乱雑に机の上に置いて、飛鳥の向かい側の席に腰を下ろした。

「いただきます」

「……いただきます」

小さく手を合わせて、コンビニの総菜を口に運ぶ。久々に食べた感覚は、コンビニの総菜も悪くないな、という感じだ。

 食事中、僕たちの間には重たい沈黙の時間が流れていた。飛鳥は、黙々と食欲を満たし、僕はテレビから微かに聞こえてくる芸人さんのトークを独り楽しんでいた。

「ごちそうさま」

「ごちそうさまでした」

手を合わせてすぐ、飛鳥は元いたソファーに戻る。僕は、飛鳥がそのままにしているプラスチックの容器やトレーなどをビニール袋にまとめてゴミ箱に捨てた。

「飛鳥。今日、先に風呂いいかな?」

怒りと疲労感が伝わらないように、なるべく落ち着いた声で訊く。

「うーん」

飛鳥はそんな気の抜けた返事を返して、小説の世界に没入した。

「ありがと」

僕は小さくそう言ってリビングを出て、すぐに脱衣所に入った。

「はぁ……」

無意識のうちに溜め息が生まれる。疲労と苛立ちと、そこから来るストレスと。すべてを吐き出すためのものなんだろう。だけど一向に、僕の心がきれいになる気配はしなかった。

 浴室に入り、全身の汗を洗い流してから、ゆっくり湯船に浸かる。浴槽の淵に頭を乗せて、水滴の付いた白い天井を見上げる。

 ――明里さんとの同棲って、どんな感じなんだろう

スッと心に魔が差した。そうなったら早いもので、僕の脳内では妄想の構築が開始した。


 帰って来たら、あの眩しい笑顔で出迎えてくれて。

 テーブルの上にはきっと、美味しそうな料理が並んでて。

 疲れをとるためにマッサージなんかしてくれて。

 休日には、当たり前のように普通のデートをして――――。


楽しそうで、笑顔に溢れた光景が頭の中をぐるぐると回る。

「こんなはずじゃ、なかったんだけどな……」

浴室の壁に反響する声が、更に僕の心を空しくさせる。僕が描く明里さんとの同棲生活と比べて、味もそっけもない今の日常。比較した時の虚無感とか、なんでこんなにも頑張ってるんだという懐疑心。

 僕は浴室で独り、寂しい気持ちに打ちひしがれていた。


「飛鳥。上がったよ」

「うん」

本から目を離すことなく、そっけない返事をされる。

「ねぇ、飛鳥」

僕は飛鳥が寝そべっているソファーの前に正座して、まっすぐ飛鳥の横顔を見た。

「なに?」

飛鳥は目線だけを一瞬こちらに向けて、短くそう聞いてくる。

「土曜さ。ちょうどバイトもないし、どこか遠く行かない? 海とかさ」

「え? なんで?」

驚いた様子の飛鳥は、本を閉じて少し食い気味に聞いてくる。

「僕たちさ、付き合ってからそういう“デート”みたいなことしてないじゃん」

「だから?」

飛鳥のまっすぐな視線に、怒りに似た感情が腹の奥に生まれる。

「たまには、いいかなって……」

普段、決して飛鳥にわがままを言わない僕のわがままに飛鳥は、

「嫌だ」

短く、鋭く、きっぱりと断ってきた。

「やっぱり、そう、だよね」

分かっていたことだけど、もしかしたらと期待していた部分もあった僕は、酷く落胆してゆっくりと立ち上がった。

「今日は疲れたから早めに寝るね。おやすみ」

この場所が、ものすごく居心地悪く感じて、僕は取って付けたようにそう言って飛鳥に背を向けた。

「おやすみ」

飛鳥の短い言葉を聞いて、僕は自室の扉を閉めた。

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