第4話

 文字で出来た海を船に乗って渡っている。風は向かい風、だからこそそちらへ進む。僕の後ろには五人の仲間がいて、亀、ししゃも、蟻、スリッパ、バタフライ。彼等の力を借りて船は進む。海賊船に三回遭うけれど、仲間が平和的に交渉をして見逃された。その代わり、蟻とスリッパは旅から外れる。航海は島に到達する。でも、そこには下半身で想定していた財宝は全くなく、上半身で空想していた果実が大量にあった。喜んで祭りをしたらその間に果実は全て盗まれた。


 依頼者の夢を述べた後に、於時を言おうとして、出て来ない。

竹田たけださん。……すいません、時間と場所が、分かりません」

 竹田はじっと黙っていたかと思うと、豪快に笑う。

「構わないよ。この内容からは時間も場所も明らかだ。祭りをしないように気を付けるよ」

 彼はそう言って退場した。私は於時が出て来なかったことに愕然として寝所から動けない。私は恋なんてしていない。していない。していないのかな……、ジンのことを想ってしまった。

 お父さんが戻って来た。

「お前、恋をするなとあれ程言っただろう!」

「自分でも恋だなんて思ってなかったんだよ」

 彼は頭を抱える。うろうろと歩く。

「一度こうなってしまったら、戻す方法はない。残りの三分の二だけは失わないようにしろ」

「私がいつか愛を知るのが、ダメなの!?」

「ダメだ。いいか、恋は止められない。だけど残りの二つの愛は意志で止められるんだ。だから巫女を続けるためにはそれを止めなくちゃならない」

「私は? 私は巫女をするための機械なの? 私が巫女を辞めてでも、愛を知ることを喜んではくれないの?」

「ダメだ。我が家の存在意義がなくなってしまう」

「そんなことでなくなる家なら、滅んじゃえばいい!」

 お父さんは黒い形相で睨み付けるけど、前だったら恐ろしかったのに、ジン、全然怖くない。

「お前は、三分の二の巫女になったんだぞ」

「おばあちゃんと同じだよ」

「……とにかく、これ以上減らすんじゃない!」

 彼はドスドスと足音を鳴らしながらドアの向こう側へ消えた。

「これで恋はし放題ってことだ」


 ジンはいつも後光を纏って現れる。「ねぇ、ジン、私三分の二の巫女になっちゃった」「そうか。でも夢の巫女は殆どがそうなるから、気にすることはないよ」「他にもいるの? 同じことやってる人」「あ、いや、まあ、そうだ」「残りの三分の二、私は守った方がいいのかな」「巫女を続けるつもりがあるのなら守らないと託宣にならなくなる」「二つの愛。一つはセックスを含む横への愛。もう一つは出産を含む縦への愛。要するにお母さんになりたかったら巫女は諦めろってことでしょ?」「自然な願望を絶つからこそ意義がある」「でもそれって私の人生を捧げるってことじゃん」「そうだ」「何となくでは、選べないよね。ねえ、ジンは現実にも現れることが出来るの?」「それは……出来るけど、この姿じゃないし、実質は出来ない」「そっかぁ」私から空気が抜ける。どれだけ想っても、夢の中だけの相手。それはそれでロマンティックだし、禁を破る心配はないけど、やっぱり寂しい。


 おばあちゃんの部屋を訪ねる。

「どうぞ」

 入ると彼女は小説をパタンと閉じた。私は彼女の側のソファに腰掛ける、彼女はこっちを向く。

「どうした?」

「知ってると思うけど、私三分の二の巫女になった」

「うん。知ってる。恋は止められないからね、問題ないよ」

「問題ないの?」

「託宣の夢の中に必要な情報は入っているからね。言わば、恋の禁止は巫女への警告のためのものなんだ。次の禁からは本格的に予知が機能しなくなるからね」

「分かった。今後、巫女をやめるかどうかを考えるときに参考にする。それでね、相談の本丸はこれからで、私が恋をした相手ってのが、夢の中でだけ会う人なの」

 彼女の表情がビッと引き締まる。

「どんな人?」

「オオワシの格好をした十八歳の青年で、名前は言えないって言うから『ジン』って名前を付けてそう呼んでる」

「何をしに来たって?」

「私を連れ去りに」

 彼女は一呼吸置いて、じっと私の目を見据える。

「そいつは、獏だね」

「それって、夢を食べる、あの獏?」

「そうだよ。普通の人間なら夢を喰われたところでどうってことないけど、巫女は違う。私達にとっては夢が本体なんだ。だから、夢を喰われたら、死ぬ」

「じゃあ、ジンは私を殺しに来ていたの?」

 心臓が煩い、体中から汗が噴き出るのが分かる。私の声は震えている。

「そう言うことになる。巫女の夢を食べれば獏は強大な力を得るからね。でもその分難易度は高い。獏の誘いに乗って『連れ去られる』ことになったら、夢は喰われただろう。あくまで巫女の意志が、同意が、ないと喰えない。ただ、獏が想い人だったとなると、恋で失った分の夢の力がそのジンに宿っているのは間違いない。でもね、恋で失う力なんて三分の一じゃないんだよ。ほんの一パーセントくらいのもの。だからジンがいつもより強いのは一晩だけ。よく今日相談してくれた。昨日じゃなかったなら今夜必ず仕掛けて来る」

「ジン、ジン、嘘でしょ」

「希、本当のことだ。今夜は一緒に私も寝るよ。何があっても守るから、安心して眠りなさい」


 寝所でおばあちゃんと横並びになって眠る。横になる前にそれぞれの手を掴み、相手を胸の奥まで入れた。


 オオワシの青年、ジンがやって来る。後光がいつもよりもずっと強い。「希、今日はあなたを連れ去る、いつもとは違う、必ず連れ去る」私は必死の声を放つ。「ジン、あなたが獏だなんて嘘よね?」「どこでそれを?」「否定してよ! 私達の時間は何だったの」「希、俺はあなたが好きだ。でも、俺は貘なんだ。恋や愛よりも、獏としての摂理の方が、上なんだ」「じゃあやっぱり私を食べに来ていたの」「ずっと、そんなことは忘れていた。でも、力が宿って思い出したんだ。俺は、あなたを食べに来た貘なんだ」私は込み上げる悲しみに唇を噛む。涙が溢れて来る。「私、あなたが好き。だけど、……だけど、今日でおしまい」「ああ、きっと連れ去る、希、君の意志で来てくれ、その方が傷付けなくて済む」「それは私をじゃなくて、私の巫女としての夢のことでしょ?」涙が止まらない。「そうだ。でも、好きだ。それでも、連れ去れないなら、ごめん、希、頂く」彼は私に向かってずんずんと進んで来る、大きく右腕を振り上げて、私の心臓めがけて振り下ろす!

「そこまでだよ! 獏の青年!」

 ジンの腕をおばあちゃんの右手が掴む。

「おばあちゃん!」

「誰だ!? どうして夢の中に入って来れる」

 ギリリとジンの腕を彼女が締め上げる。

「希は後ろに下がって!」

「お前も、巫女か」

 力一杯腕を振り解いて、ジンは後退る。

「その通り、希には手を触れさせないよ」

「知識があるようだから、その覚悟を買おう。おばあちゃん、それでいいんだな?」

「希は私の希望だ。さっさとやって貰おうか」

 部屋の隅から私は見ている。ジンがおばあちゃんに向けて右腕を振り上げて、その心臓を突いた。おばあちゃんは固まった後に、ゆっくりと倒れた。ジンが喜びに打ち震えている。「希、おばあちゃんに感謝しろよ」ジンはそう言い残して光の中に消えていった。私はおばあちゃんの側に寄って、彼女を揺り動かすのだけど、全く反応がない。「おばあちゃん、おばあちゃん!」呼び掛けるけれど彼女は反応しない。私の頬に熱い涙が伝う。もう、ジンがいた形跡もなく、太陽が昇ろうとしている。


 目の周りがびしゃびしゃで、嗚咽をしながら目を覚ました。いつもの寝床、横を見るとおばあちゃんが眠っている。よかった、やっぱり夢は夢なんだ。

「ねえ、おばあちゃん、起きてよ」

 反応がない。耳を顔に近付けてみても、呼吸をしていない。

「おばあちゃん? 本当に死んじゃったの!?」

 私の大声を聞き付けて、お父さんとお母さんが入って来た。二人もおばあちゃんの状態を確認して、すぐに救急車が呼ばれた。今嫌いだけどお父さんには言わなきゃいけないと思った。

「おばあちゃんが助けてくれた」

「きっとそうだろうと思ったよ」

 え、聞き返す前にお父さんは私の前から離れた、きっと泣きに行った。

 おばあちゃんは死んでいた。しばらく遺体は戻って来ないらしく、彼女が占有していた空間ががらんどうになった。私は何が起きたのか全然分からない。それでも夜は来る、私は夢を見る。


 草原。一面の草原の中に駅のホームだけがある。私はその上を歩いている。ベンチがあって、そこに女性が座っている。私はその顔を認めて「おばあちゃん!」と駆け寄る。「やれやれ、死んじゃったよ」「どうして今会えるの?」「最後の夜に交換しただろ、それを流さなければいつまでだって会える。巫女同士だけの秘密の技だよ」「おばあちゃんがジンから私を救ってくれた、でもどうやったの?」「あの貘の状態だと必ず一人は連れ去られた。だから私を連れ去って貰ったんだ。二人は連れ去れないからね」「じゃあおばあちゃんが身代わりになってくれたんだ」「当然だよ」「どうして?」「愛しているからさ」「それは禁じゃないの?」「第三以降の愛は全然禁じられてないよ」私は笑う。笑うのに涙が出る。おばあちゃんも同じ顔をしている。「ありがとう、おばあちゃん」空がどこまでも、どこまでも青い。太陽が強くなる、もうすぐ目覚め、新しい私がまた始まる。


(了)

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2/3の巫女 真花 @kawapsyc

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