明け方にコーヒーを。

立樹

第1話

 怜生れおは走っていた。


 息が切れ、自分の荒い呼吸が聞こえる。


 後ろを見た。


 もう、追いかけてくる者との距離の差はそうなかった。

 追いつかれてしまったらどうなるのだろう。

 怖くて、懸命に逃げた。




 さかのぼること数分前、昼食を取るためにハンバーガーチェーン店に立ち寄った。春休み期間中なのと、土曜日だということもあって、店内は昼食を取る人でごった返していた。


それでも、窓側に一つだけ空いた席を取ることができた。

 右側には、怜生と同じぐらいの年格好のカップル。反対側には、トレーがテーブルに置いてあり、黒いジャケットが椅子の背にかかっていだけで、人の姿はない。

 その左右真ん中の椅子にカバンを置くと、注文するためにカウンターへと向かった。

 注文の受付カウンターは三つ。その前には、それぞれ五人ほど列をなしている。怜生は、真ん中に並び、掲示板で食べたいものを決めると、兄とのやり取りを思い出した。 



 先月、中旬に兄の知幸ともゆきから携帯に電話がかかってきた。

 内容は、春休みになったら部活が休みの時にでも遊びに来ないか、という誘いだった。どうやら、両親と、あることで揉めたことを知り電話をかけてきたようだ。連絡したのは、きっと心配性の母に違いない。

 余計なことを。と、思わないでもない。けれど、チャンスでもあった。

 都会に出ても大丈夫という事を証明できるチャンス。

 怜生は、その誘いに乗ることにした。

 そして、今、家から電車で二時間余りかけて都心にいる。

 幸いと言っていいのか分からないが、ここまでは何事もなかった。

(ほら、大丈夫じゃん!)


と、思っていた矢先――。



 注文を終え、Lサイズのジュースやハンバーガーなどを載せたトレーを受け取った。そして、カバンを置いた席へと戻ろうと、人を間を抜けながら歩いていると、前を歩いていた人が急に方向を変えた。急には止まるれず、ぶつかってしまった。

「す、すみません!」

 咄嗟に謝ったけれど、ぶつかった拍子に相手が持っていたカップからジュースがこぼれ、薄い灰色の服に茶色いシミをつくった。


「おい!」

 声の主は、目つきの鋭い角刈りの男性。こめかみのあたりに剃り込みがある。

 茶髪にピアス。隣にも同じような雰囲気の男性が二人、怜生をニタリを見ていた。

 肝が冷える、とはこのことだろうか。

 さっと血の気が引き、顔が強張る。

「すみません、く、クリーニング代を……」

 最後まで言う前に、角刈りの男性が言った。

「クリーニング代ねぇ、高いぜ」

 不敵に笑みを浮かべて、唇の端だけを上げる。


 ドクドクとイヤな心拍音が余計に不安を煽ってくる。

 いくらふっかけられるのか、それとも、店から連れ出されるとか。

 瞬時にいろんな映像が浮かび、消えていく。


 怜生は、腹に力を入れ、逃げるが勝ち!と、男性たちの背を向けて走り出した。


「こら!待ちやがれ!」

 ヤジがすぐに飛んでくる。

 待っている間なんてない。


 持っているトレーの上のカップがぐらぐらと揺れる。

 すぐそばには、席を取っていたテーブルがある。その上に、持っていたトレーを乱雑に置いた。カバンを素早く手に持ち、さっさと店からでた。


 後ろからは、野太い男性の声が聞こえる。

 口汚く罵る声に、周りの人がふり返っていく。

 ハンバーガー店の前の通りは、ファッションビルや商業施設が立ち並ぶメインストリートだけあって通行人が多い。

 その人混みを逆走した。


 時折、後ろをふり返ると、しつこく追いかけてくる。

 通行人にぶつかろうが、お構いなしだ。

「おら、どけ!」という声が何度も聞こえてくる。


 走っても、距離はどんどん縮まるばかり。


 後ろをふり返ると、もう、手を伸ばせが届く距離にいる。角刈りの男性の手が真近に見た。

 前を向き、つかまることを覚悟して目をつぶる――が、手が届くことはなかった。

 いくらか走ったところで、振り返ると、追いかけてきた男性たちが、膝をついている。

 よく見ると、一人の男性がこけたか何かで、転び、それを避けそこなった二人が上にのしかかっているようだった。

 男性たちは、怜生ではなく、黒いジャケットに黒いキャップ帽、それに黒いサングラスをかけた背の高い人に食ってかかっている。


 どうなっているのかわからず、足を止めた。


 あの人が助けてくれたのだろうか?

 もし、助けてくれたのなら、あの黒いキャップ帽の人は大丈夫なんだろうか。


 じっと見ていると、黒いキャップ帽の人でしっしと払うようなジェスチャーをした。

(行けと言っているのかな)

 怜生はペコリと頭を下げると、人ごみの中に紛れながらあの男性たちから離れた。

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