第二十四話「労働のあとのシャワーは格別でありますな」

 栗山が男体山で遭難事故を起していたころから、少し前に時は戻る。




 傲慢怪人ネーヴェルを見事撃破した不屈戦隊オリジンフォースの五人は、おんぼろ倉庫、もといヒーロー本部北東京支部へと帰還を果たした。



 怪人との熾烈しれつな戦いによって毎年多くの離職者を出すヒーロー本部。

 その新人が“三回目の出動までに大怪我を負う確率”は極めて高い。


 数字の面で考慮すると、素人集団であるオリジンフォースが全員無事かつ五体満足で帰還できたことはまさに、それ自体が華々しい戦果であるといえた。



 ……とはいえ。



「うおおおくせえええ!! なんだこれ、時間が経つほど臭くなってねえか!?」

「隊長殿からどぶ川で捕まえたザリガニみたいなにおいがするであります!」



 匂いの正体はネーヴェルの触手攻撃により付着した粘液であった。


 最初は甘ったるいにおいを放っていた粘液であったが、時が経つにつれて着々とにおいを増し。

 ついには人間の我慢の限界を遥かに超え、異臭騒ぎが起きるレベルの刺激臭を放つに至っていた。



「ガス検知器が作動していますが、いかがいたしましょう隊長?」

「どうしたもこうしたもあるか。消防には俺から誤報だって連絡を入れておくから、順番にシャワーを浴びてこい」



 北東京支部は、腐ってもヒーロー本部の支部である。

 ボロいながらもひととおりの施設はそろっており、シャワールームもそのひとつだ。



 とはいえ男女共用で、ふたり並んで入るのが限界である。


 そうなると当然、レディーファーストということになる。



「くんくん……におい……大丈夫かな……」

「いやぁー、労働のあとのシャワーは格別でありますなあ! 小官、もうしばらくクラゲはこりごりであります!」


 親の仇のように牛乳石鹸をせ細らせるいつきに対し、スナオは頭を子犬のようにぶるぶると振って水気を飛ばしていた。

 シャワーひとつでここまで表情豊かになるのも珍しいが、対照的なのはなにも身体の洗い方だけではない。



「イッチ、においが気になるでありますか? どれどれ?」

「あっ、ちょっ! 狭いんですからそんなにくっつかなくても……!」

「んんんー、小官よくわかんないでありますが、イッチはいいにおいでありますよ?」

「んくっ……どこのにおいを嗅ごうとしてるんですかァ!」





 ぴったりと密着されながら体臭を嗅がれるという経験は、いつきにとって生まれて始めてのものであった。

 というか、同世代のほとんどの人間が経験したことのないもののようにも思える。



 しかしながら、である。



 いつきはスナオに密着され体中を嗅ぎまわされながら、“発育格差”というものをこれでもかと文字通り体感させられていた。


 スナオといつきはほとんど同世代のはずだ。

 とはいえいつき自身、確かにスナオはとても健康的・・・身体からだをしているという気はしていた。


 しかしこうして間近で、それどころか身体をぴったりくっつけて擦り合わせてみるとどうだ。


「………………」

「んんん? どうしたでありますかイッチ?」

「…………ぐぬッ……」


 惜敗どころか3回コールド負けもいいところなのではないだろうか。


 いつきとて、けして他と比べて劣っているなどと思ったことはない。


 しかし生まれ落ち、同じ年月を重ねてこうも差が出るものなのだろうか。

 それともスナオがの発育環境が異常なのだろうか。


 なにを食べて育ったのだろうか。

 いつきの地元の氷見ひみうどんや高岡たかおかコロッケではこうはなるまい。



「そうそう、一番においが落ちにくいのは髪だとお姉ちゃんが言っていたであります」

「わぷっ! むぐぐぐぐぐぐ!」


 スナオはいつきの頭を抱え込むようにして、つむじの臭いを確認する。

 しかし正面から抱え込まれたことで必然、いつきの顔は発育格差の象徴たる谷間に押し付けられた。


「うーん、やっぱりよくわかんないでありますな。もうちょっと嗅がせていただくであります」

「もごごごごごご!!! もごッ!!!」

「アハハハハ! イッチったらくすぐったいでありますよう」

「んっ、プハァーーーーーーーッ! 殺す気ですか!! こうなったら反撃です!!」

「おおおおおおおう!? ひゅわわわわ!!! イッチそこは反則でありますぅー!!」



 そんな感じで女の子ふたり、和気あいあいとシャワーにいそしんでいた。


 ……のはいいのだが。

 彼女たちの声はボロ倉庫の薄い壁をぶち抜いて外まで丸聞こえであった。



「……あいつらは黙ってシャワーも浴びられないのか」

「次は自分たちの番ですね、隊長。その……緊張、しますね」

「モモテツ、頼むから俺のにおいを嗅ごうなんて言い出さないでくれよ」



 なぜか何の前触れもなく、モモテツの胸のボタンがはじけ飛んだ。

 もうそのボタンは最初から取っておいたほうがいいのではなかろうか。



「……………………」



 シャワー待ちをしている男ふたりの前に、小さな影がまるで亡霊のように音もなく姿を現した。


 司令官の弦ヶ岳本子はずれた眼鏡を直そうともせず、疲れ切った様子でボロボロのソファに腰を落とす。



「お疲れ様です弦ヶ岳司令官!」

「……ごくろ……さま……」



 気合いの入ったモモテツとは裏腹に、彼女はまるで火の消えかかったお線香のようにぼそりとつぶやいた。

 口数の多さだけは他の追随を許さない本子であったが、やはりケーキ3つでは足りなかっただろうか。



 空に向けて撃ったとはいえ、レッドパンチの余波で周囲1キロの窓ガラスが割れたという。

 結果的に被害は最小限にとどめられたものの、太陽が上官の使用禁止命令に背いたことは事実だ。



「あの……本子ちゃん? いや、その、なんだ。始末書なら俺も書くからさ。元気出しなって。でもほら、さすがに今回も始末書2000枚ってことはないだろ?」



 本子はげっそりとした顔をあげ、太陽の赤いマスクをぼんやりと見つめる。

 生気を失った目をどろりと濁らせながら、本子はほとんど聞こえないような声で言葉を続けた。




「……人工衛星が落ちた」

「……………………へっ?」




 レッドパンチの余波は宇宙にまで達していた。




 ………………。



 …………。



 ……。




 同日同時刻。

 東京千代田区神保町、ヒーロー本部庁舎。


 昨今の分煙政策など知ったことかと言わんばかりに、会議室内には煙草の煙が充満していた。


「いやあ、はてさて。これは大変なことになりましたね……」

「てめぇ風見かざみぃ! なァに呑気なこと言ってやがるんでぃ! とっととお得意の情報操作とやらでおかみの連中を黙らせろってんでぃ!」

「落ち着いてください丹波たんばさん。そちらは当然進めていますが、なにぶん公安ではなく防衛庁の領分でして……」


 長机を挟んで情報分析室長の風見に食ってかかるのは、研究開発室長の丹波である。

 ふたりとも次期長官の有力候補だ。


「まあまあ、そう熱くなりなさんなって。落ちちゃったものは仕方ないんだから。いま話し合うべきはオリジンフォースと責任者の処分についてだよ。対外的にも今後の動きを円滑にしておくべきだと思うね僕は」

「おおお、落ち着いてなどいられるものですか! こここ、こんな事態はヒーロー本部始まって以来ですぞ! せせせ、責任問題どころかヒーロー本部の存続にかかわる緊急事態なのですぞ!」


 会議室に集められた面々は、ヒーロー本部における最上層のポストに就く者たちであった。

 風見や丹波だけではなく、ここにいる全員が次期長官候補として名前の挙がる面子だ。



「えー、マスコミ対策は情報分析室のほうでやらせていただくとして。さすがにモノがモノですからねえ……いやはや……」

「ったくどいつもこいつもビビりやがってよぉ! たかがコバエが一匹落ちたぐらいでガタガタぬかすんじゃねぇってんだ!」

「とはいえ対外的に処分は必要だよ。やらかしたのは火野くんだろう? 最終的な責任の所在は上層部にあると思うがね。どうなんだい人事編成室のほうは」

「おおお、オリジンフォースの再結成を強引に推し進めたのは他ならぬ守國長官ではありませんか! だだだ、だいたい守國長官はなぜおられないのですか!?」



 会議が混乱を極めたそのとき、会議室の扉が荒々しく開かれた。

 幹部職員たちの視線が、物言わず議場を見渡す男へと一斉に注がれる。


 眉間に深いしわを刻み、頭の大半を白髪が占める老人。

 だが全身を覆う岩のような筋肉は、まるで衰えというものを感じさせない。



 ヒーロー本部のトップにして初代ヒーロー・アカジャスティス。

 生きる伝説とまで称される長官、守國もりくに一鉄いってつであった。



 守國は黙って会議室の最奥に設けられた自分の席につくと、煙草に火をつけながらようやく口を開いた。



「話し合いはここまでだ。大臣とナシがついた。今回の一件は防衛庁と外務省で内々に処理するそうだ」

「ななな、なんですと!?」

「あぁん? そりゃあいったいどういうことでぇ守國ぃ?」



 幹部たちがざわめくなか、守國は言葉を続ける。



「まったく、火野のやつめ。人工衛星まで落としちまうとは面白おもしれえことをしやがるもんだ。日本の衛星・・・・・だったら大問題になっていただろうな」

「守國長官。それはつまり……」

「外務省のお偉いさんがたは“空からよその国の敷地を覗いていやがったバカども”と大事な話があるそうだ。仙場せんば防衛大臣が火野のことを褒めてやがったぜ。公的に勲章をくれてやることはできねえがな」



 守國がくくくと笑みをこぼすと、口の端から煙が漏れた。

 未だ現役ヒーロー時代を彷彿ほうふつとさせる鋭い眼が、言葉を失う幹部たちひとりひとりの顔をにらみつける。



「ま、そういうことだ。本件は外交カードとして扱われる。問題の性質上、処分は見送られることになった。風見、情報分析室をフル稼働させて機密保持を徹底しろ。以上をもって解散とする」



 唖然あぜんとした顔でひとり、またひとりと幹部たちは会議室を後にする。


 くわえた煙草の火が消えるころ、議場に残されたのは守國と秘書官の朝霞あさかだけとなっていた。



「怪我の功名だな。例の裏切り者だが、ずいぶんと絞り込めたんじゃないか?」

「はい。早急に資料を作成し、身辺調査にあたる人員の再配置を行います」

「怪人組織のほうからも当たってみろ。小学校の一件で捕虜を取れりゃあよかったんだがな……連中も焦っている、次の機会はそう遠くないはずだ」



 守國はそう言うと、二本目の煙草に火をつける。


 けして掴めない煙を目で追いながら、守國は目尻に小さくしわを寄せた。



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