第十七話「くんずほぐれつ荒修行」

 カーテンの隙間から差し込む朝の光が、長いまつげをなでる。


「……んっ……う……?」


 いつきが叔父の家にあがりこんでから三日目の朝であった。



 ベッドの上で大きく伸びをすると、いつきは窓を開いてゆっくりと息を吸う。


 窓の外にひろがる風景は、見慣れた富山の海ではなく、静かで無機質な街並みだ。


 だが朝のにおいは、どの町でも変わらない。

 いつきは朝のにおいが好きだった。


 部屋の時計は朝の7時半を示している。

 “仕事”まではまだかなり余裕があった。



 顔を洗い、歯を磨いて服を着替える。

 着慣れた高校の制服ではなく、東京に来てから買ったブラウスだ。


 いつきなりに精いっぱい大人びた服を選んだつもりなのだが、こうして姿見の前に立ってみるとどうにも幼く見えてしまう。

 鏡の中ではにかむ子供っぽい顔を見ていると、自分が背伸びをしている子供であることをいやでも自覚させられる。


 子供っぽいもなにも、実際その通りなのだから致し方のないことではあるのだが。



「おじさん……もう出たのかな?」



 食卓には綺麗に焼かれたトーストと、『おいしいトーストの焼きかた』と書かれたメモが置かれていた。


 急に押しかけた身であったにも関わらず、叔父は今日まで理由も聞かずに自分を家に置いてくれている。

 いつきはまだ、太陽に実家を飛び出した理由を話せずにいた。



「高校辞めてヒーローになったって言ったら、おじさんどんな顔するかな……」



 母親にも祖母にも内緒でヒーロー試験を受け、合格通知を受け取ったのがほんの二週間前の出来事である。


 本当は高校卒業と同時に、二年制のヒーロー養成学校へ入るつもりでいたのだが。

 一秒でもはやくあの人に会いたい、一緒にいたい、そんな気持ちがいつきの背中を押した。


 オリジンフォースの一員となり、憧れのオリジンレッドと肩を並べているいまでさえも、まるで夢の中を歩いているような気分だ。



 いつきは自分の腕に巻かれた“オリジンチェンジャー”に目をやる。

 憧れの人と背中を預け合ったことは夢なんかじゃない、まぎれもない現実だ。


 空中に投影された映像には昨日の戦闘記録がずらりと並び、その右上には現在時刻が表示されていた。


「9、時……?」


 いつきは自分の顔からさーっと血の気が引くのを感じる。


 慌てて部屋の時計を確認すると、針は7時半からまったく動いていなかった。




 ………………。



 …………。



 ……。




「遅くなりましたァ!! ……ァ!?」


 秘密基地の扉を開くと、いつきの目に飛び込んできたのは異様な光景であった。



「はぁ……はぁ……! 隊長、自分は、自分はもう……限界です……!」

「まだまだこれからだぞモモテツ。さあ足をあげてみろ」

「そんなに密着されては自分はもう……自分はもう……オアァーーッ!!」



 ほこりっぽい倉庫の中央で、憧れのオリジンレッドがむくつけき筋肉ダルマと濃厚に絡み合っているではないか。



「な、ななな、なにしてるんですかー!?」

「あははー、イッチはばかでありますなあ。ツイスターゲームを知らないでありますか?」



 説明しよう!

 ツイスターゲームとは色分けされたシートの上で指定された位置に手足を置いていくという、身体を使ったゲームである。

 その名の通り己の肉体をねじりツイストながら、先に体勢を崩したほうが負けという至ってシンプルなものだ。


 しかしながらがっちりした体格のオリジンレッドと、さらにひと回り大きなモモテツが、くんずほぐれつ組み合っているとなれば、さながら怪獣ものの特撮映画のようであった。



「おう、いつき。おはよう」

「オリジンレッドさん、これはいったい?」

「体幹を鍛えるためのトレーニングってやつだ。いいか、体勢を崩したときに一番大事なのは、自分の重心がいまどこにあるかを正しく把握するってことでだな……」


 太陽が長ったらしい講釈を始めたところで、ついにバランスの限界を超えたモモテツがマットの上に倒れ伏した。


「ぐう……自分は不甲斐ないです」

「モモテツはパワーはあるんだがまだまだ硬いな。いいか、ピンチのときをほどリラックスするんだ。しなる木ほど折れにくいだろう? 体の軸にあそびをもたせることをイメージしろ」

「はっ! 肝に銘じます!」


 モモテツはさしのべられた太陽の手を取って立ち上がると、またしても胸のボタンを飛ばしながらビシッと敬礼を決める。

 どうやらこれはオリジンレッドなりの修業なのだということを、いつきは理解した。



「よし、次だ。いつき、やってみろ」



 急に自分へ矛先が向いたことで、いつきの心臓はドキリとはねた。

 まさか自分が、あのオリジンレッドと絡み合うのだろうかと思うと、目の前が真っ白になる。



「あの私、遅刻して、それで……」

「遅刻? ああ、時間なんか気にすんな。ヒーローってのはスクランブルがかかったときに動けりゃそれでいい」

「で、でもでもでも。こっ、こここ、心の準備が!」

「俺が思うに、これは派手に動き回るいつきにこそ必要なトレーニングだ。大技を連発しても身体が崩れないってのは、地味だが大きな武器になる。これも修行だ」



 修行というのはもっと強力な、それこそレッドパンチのような必殺技を鍛えたりだとか、そういうことではないのだろうか。

 空白地帯と化しつつある頭をぐるぐる回しながら、いつきは言われるがままにマットの上に立った。


 昨日あんな恥ずかしいことを口にした手前、いつきの目はどうしてもオリジンレッドの身体にいってしまう。

 いまからあの引き締まった身体とひとつの生き物のように混じり合うのかと、嫌が応にも意識してしまうのだ。


 いや、これは修行、あくまで修行、誰がなんと言おうが修行なのだと自分に三度言い聞かせ、いつきはギュッと目をつぶって身体を固くする。



「よよよよよ、よろしくお願いします」

「うし! じゃあスナオ、いけ!」

「了解であります!」

「……へっ?」




 十分後。


 そこにはマットの上でぎっちぎちに絡まり合った、ふたりの少女の姿があった。


「んに……ひぐぐぐぐ……!」

「いつき、肩甲骨を意識して重心を背中の真ん中に移すんだ。……どうした、泣いてるのか?」

「泣゛い゛て゛ま゛せ゛ん゛……」


 スナオにみっちり絡み取られ、倒れることすら許されぬいつきの心は、無だった。




 結果は驚異的な体幹力を見せつけたスナオの圧勝であった。



「すごいなスナオ。まるでバランスを崩す気配すらなかったぞ」

「小官は昔からこういうの得意であります。姉弟きょうだいが多かったでありますからして。プロレスなど日常茶飯事でありました」

「なるほどな。よしよし、ちょっとずつではあるけど、みんなの長所と短所が見えてきたぞ。あとは……」



 太陽は残った最後のメンバー、いまだに寝袋星人と化して転がっているユッキーに目を向ける。


「よし、ユッキーやってみろ。相手はそうだな、スナオに続投してもらおうか」

「……このトレーニングは、とても効率が悪い」


 指名されむくりと起き上がったユッキーは、そう呟きながら眉をぎゅむっと寄せる。

 露骨にいやそうな顔をするユッキーに、太陽はやれやれと肩をすくめた。


「おいおいユッキー。これは修行でもあるが、まずはメンバー全員の特性を掴むためにもだな」

「……オリジンフォースにはたいちょがいる。レッドパンチがある。闇雲に修行するよりも、レッドパンチを戦略的に活かす方法を考えるほうが効率的かつ最適解」


 ユッキーはなにも、ツイスターゲームが嫌で言っているのではないということは、目を見ればすぐにわかった。


 現実的に考えれば、素人ばかりの現状の戦力で怪人の脅威に対抗できるのはただひとつ。

 超威力を誇るレッドパンチしかないというのは、太陽自身も薄々思っていたことであったからだ。


「……レッドパンチを作戦の中心に据えて、他の隊員はサポートに徹するべき。必要なのはツイスターゲームではなく、シミュレーションからのフィードバック。……それが一番勝率を上げるのに適したムーブ」


 ユッキーの言い方はともかくとして、隊員の中では最も幼い外見に反し、意外と言うべきことははっきり言うタイプなんだなと太陽は感心する。

 確かに文字通り“必殺技”であるレッドパンチを叩き込むことだけに注力すれば、勝率は上がる。


 ひいては隊員全員の生存率を上げることにも繋がるだろう。

 不屈戦隊オリジンフォース復活の狼煙のろしとして、目覚ましい成果を挙げることも夢ではない。


 ユッキーの提案に他の隊員たちも賛同する。



「そうですよオリジンレッドさん。レッドパンチかっこよかったです! ほんとに、私のヒーローって感じで……」

「うーむなるほど。小官、目からウロコが落ちたであります。ユッキーはかしこいでありますなあ」

「たしかに基礎体力や体幹を鍛えることは大事ですが。かといって隊長のレッドパンチと同じものを、自分が撃てるとも思いませんし……。あの、いかがでしょうか隊長?」




 だが。


 太陽は自分のてのひらに視線を落とすと、ゆっくりと拳を握りしめた。




「……あー、そのことなんだけどさ。レッドパンチは……」





 そのとき。

 ボロ倉庫もとい北東京支部の扉がバーンと開かれた。



 逆光を背負って立っているのは、ヒーロー本部の士官服に身を包んだ、ユッキーとさして背丈の変わらない女の子・・・であった。



「悪いがレッドパンチは使用禁止だ」



 女の子は開口一番そんなことを口にすると、大きな眼鏡をギラリと光らせながら隊員たちを順番ににらみつける。

 そして赤いマスクを見つけるやいなや、どかどかとブーツを鳴らして太陽のもとへと歩み寄った。



「やあ、えーと。君は?」

「よくもやってくれたなオリジンレッド、お前というやつはァ!! 私がいったい何枚始末書を書き上げたと思っているんだ! 2000枚だ、就任初日から2000枚だぞ!?」


 眼鏡の少女は太陽のベストを掴んで首を締め上げると、大きなクマができた目を血走らせながらものすごい剣幕でまくし立てた。


 あまりに唐突な出来事にしばし固まっていた隊員たちが、慌てて隊長から少女を引きはがす。


「ちょっと誰なんですか! オリジンレッドさんから離れてください! ここは部外者の子供が入っていい場所じゃありませんよ!」

「どうどうであります。迷子でありますか? あめちゃん食べるであります」

「ええい放せ! 私は部外者でも迷子でもなァい!」



 いつきとスナオによってCIAに掴まった宇宙人よろしく引きずられた少女は、ふたりを振り払うとえりを正してひとつ咳ばらいをする。



「私は弦ヶ岳つるがたけ本子もとこ。君たち不屈戦隊オリジンフォースを率いる司令官だ。これより君たちは私の指揮下に入る」



 そして眼鏡越しに、見た目に反して鋭い視線をオリジンフォースの隊員たちに向けた。





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