第四話「新たなる門出の日に」

 目の前に広がっていたのは――。


 ――忘れもしない、十年前の光景であった。



「レッドパンチ! レッドパンチ! レッドパンチ!!」



 もうかれこれ三分間は殴り続けていただろうか。

 その怪人の硬さは、一言で表すならば“異常”であった。


 燃える拳はもはや赤を通り越し、太陽の如く真っ白な光を放ちはじめていた。

 しかし怪人の真っ黒な装甲にはひびひとつ入らない。


 それでも太陽は、オリジンレッドは必殺の拳を叩きつけ続けた。

 ヒーロー本部の“エース”としての矜持か、はたまた意地か。


 超えられぬ壁などない、すべて砕いて貫き通す。

 今までだってそうしてきたではないかと。



 確信は次第に、焦燥へと変わっていった。



「レッド……、ぱ……」



 燃焼し尽くした拳から、急速に光が失われていく。


 元来、必殺技とは連続して放つようなものではない。

 無理に連発した結果、敵よりも先に拳が音を上げたのだ。


「なんで……? オーバー……ヒート……?」


 ついには炭となったグローブが、ぼろぼろと崩れ落ちた。


 必殺技の嵐を、意にも介さず耐えきった・・・・・怪人が、手にした巨大な剣を担ぐ。



しまいかね』



 地の底から響くような男の声であった。



 振り下ろされる黒い大剣。


 鈍く無骨な塊が太陽の頭蓋を砕こうとした、その刹那――。



 ――戦士たちの間に、“青い影”が割って入った。



「頭を冷やせ、ばか野郎!」

「………………あ」



 記憶はそこで途切れている。




 ………………。



 …………



 ……。




 春の風が心地よい、よく晴れた朝。

 ヒーロー本部北東京支部前にひとりの男が立っていた。


 名は火野ひの太陽たいよう、37歳。

 十年前までは不動のエースと呼ばれていたベテランヒーローだ。


 今日は新たな隊員たちとの顔合わせということもあり、太陽の格好にも気合いが入っていた。

 パーソナルカラーをイメージしたおろしたての真っ赤なシャツに普段から愛用しているベストがビシッと決まっている。


 まさにやり手の超ベテラン、頼れる隊長といったナイスコーデであった。



 顔に真っ赤なマスクさえ装着されていなければ。



「これほんとに必要なのか……?」



 マスクの着用はヒーロー本部からの指示であった。

 どういう意図があってのことかは不明だが、業務指示である以上従うほかない。


 確かにヒーローは元来、正体を明かさないものだ。

 しかし勤務時間中は常時マスクをつけておけというのはパワハラなのではなかろうか。



 秘密基地の場所が人通りのない場所で良かったと、太陽は心底思う。

 変身もしていないのにマスクで顔を覆っているなど、不審者以外の何者でもないのだから。




 当のヒーロー本部北東京支部は、荒川に面した物流倉庫街の一角にひっそりと建っていた。

 東京と言い張ってはいるが位置的にはほとんど埼玉県であり、周辺の道路も大型トラック以外はほとんど通っていない。


 だが周囲に人気ひとけが無いのはいいとして、北東京支部の建物のぼろさはいかんともしがたいものがあった。

 基地と呼ぶにはいささか古く、小さく、そして汚れた、一見するとただのみすぼらしい古倉庫である。



「あー……本当にここが北東京支部の秘密基地なわけ? 廃墟じゃなく?」



 太陽は手渡された資料の住所と、今にも崩れそうなオンボロ倉庫を見比べてみる。

 しかし何度確認しなおしたところで、結果がかわるはずもない。


 なんならご丁寧に、倉庫の歪んだドアには“局人災北東京支部”と書かれた木製の看板がかかっている。

 ここが不屈戦隊オリジンフォースの新しい秘密基地であることは、もはや疑いようもない。



 呆然とする太陽の目の前で、穴の空いたトタンの壁が風に吹かれてビュービューと音を立てた。

 コンクリ打ちの基礎の周りには雑草がこれでもかというほど生い茂り、倉庫の外壁は外灯までツタで覆われている。


 全体的に錆びついてもはや元の色がわからなくなったシャッターは、開くかどうかさえも怪しかった。


 どうりで弦ヶ岳司令官が『電気は通ってるよ』と言葉を濁していたわけだ。

 はたして窓もエアコンもWi-Fiもなかったあの独房じみた基地と比べて、どちらがマシだろうか。


 だがしみじみと左遷という言葉の重みを噛みしめている余裕などありはしない。




「ぬああああ! それにしても心配だあああ!!!」




 人目がないのをいいことに、赤いマスクの不審者は天に向かって雄たけびをあげた。



 それもそのはずである。


 自分がいまこうしている間にも、大事な姪っ子が悪い男と会っているかもしれないのだ。

 太陽がおんぼろな倉庫で新たなヒーロー生活の扉を開こうとしているまさにこの瞬間、いつきはいつきで新しい扉を開いちゃってるかもしれないと思うと気が気ではない。


 ゆうべはそのことに随分と気を揉んだが、なにを隠そう一晩明けても揉みっぱなしであった。

 さぞかし心の血行も良くなっていることだろう。


 いつきの動向については後輩に監視を任せておいたものの、正直なところ心配でならない。

 新生オリジンフォースの結成初日でさえなければ、太陽自身が後をつけたいところであった。


 しかし太陽にも背負うべき使命がある以上、背に腹は代えられない。

 いっそさらっと就任の挨拶だけして、すぐにいつきのもとへと駆け出したいぐらいだ。




 ピピピポポポピ!



 そんなことを考えていたとき、太陽のベストで古いガラケーが鳴った。


 液晶の着信表示には『クリリン』と表示されている。

 便利屋もとい、後輩の栗山だ。


 栗山は今朝早くに家を出たいつきを尾行している手筈であった。

 彼からの連絡ということは、いつきになにかあったとみて間違いないだろう。


「おう栗山、首尾はどうだ?」

『まずまずといったところです。いつきちゃん、廃墟みたいな怪しい倉庫に入っていきましたよ』

「いよいよもって穏やかじゃねえな」


 人と会うというのに、駅前や喫茶店ではなく倉庫ときたものだ。


 そんなところに未成年の少女を呼び出すような男がまともであるはずがない。

 廃倉庫を根城にしているのは、ギャングかマフィアか地下怪人組織と相場が決まっているのだ。


「それで、相手の男は?」

『ええ、今しがた確認しました。とんでもない不審者ですよ。顔にフルフェイスの赤いマスクを被っています』

「素顔を隠してるってわけか。お前に尾行を頼んで正解だったな、間違いなくクロだ。こいつはキナ臭くなってきやがったぜ」

『それと、どこかに電話をかけているみたいです。クソダサい真っ赤なガラケーで』



 太陽は栗山の報告をもとに、頭の中で相手の男の特徴を組み上げていく。

 廃墟みたいな倉庫の前で赤いマスクを被り、真っ赤なガラケーで電話をかけている男の姿が像を結ぶ。


 白昼堂々、そんないかにも不審者然としたやつが果たしているものだろうか。



「………………ん?」



 太陽は赤いマスクのあごに手を当てて思案を巡らせる。

 まるっきり同じようなことをしている男が、今この場にひとりいるではないか。



『今、あごに手をあてています』



 太陽は黙って右手を上げる。



『今、手を上げました』

「うん。だろうね」


 太陽が周囲を見渡すと、電柱の影から眼鏡越しにどんよりとした目でこちらを見つめる男と目が合った。

 ためしに手を振ってみると、男も手を振り返してくる。


りますか?』

「やらなくていい。それ俺」

『ですよね』

「もう切っていいか」


 通話を切るなり、赤いマスクの不審者はダッシュで栗山のもとに駆け寄った。

 そして慟哭とともにシャツの襟元を掴み上げる。


「お前えええ!! 俺じゃなくていつきを尾行しろって、俺ちゃんと言ったよねえ!?」

「ぐええ苦しいです先輩! いつきちゃんなら間違いなくそこのボロ倉庫に入っていきましたよ! ついさっき!」

「嘘をつくなァーーーッ!!!」

「自分の目で確かめてみればいいじゃないですか!」

「よおしわかった。お前はそこで待ってろ! 俺が直々に確かめてきてやる!」



 太陽は栗山を解放すると、ボロ倉庫もといヒーロー本部北東京支部に向かって猛ダッシュした。

 そのまま勢いに任せてバーンと扉を開け放つ。




 ホコリっぽい屋内には、ひとりの少女が立っていた。


 天井からぶら下がった裸電球が、青みがかったポニーテールを照らす。




「……………………」

「……………………」




 太陽は赤いマスクの下で、これでもかというほど目を見開く。

 “彼女”も、急に飛び込んできた太陽に一瞬目を丸くしていた。


 しかし少女はすぐに気を取り直すなり、ぎこちなく敬礼する。

 そして何度も練習したであろう言葉を口にした。




「おはようございます! オリジンブルー、只今着任いたしました!」




 “オリジンブルー”を前に、太陽はすべての思考を置き去りにした。


 けして見惚れたわけではない。

 太陽自身、彼女の顔をよく見知っていたからだ。



 長く艶やかな睫毛。

 強い意思を感じさせる瞳。


 初恋の女性によく似たその顔を見間違えようはずもない。




「……お、おりじんぶるー……?」




 太陽の姪、蒼馬そうまいつきがそこにいた。





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