第三話「招かれざる客」

「へー、思ったよりキレイだね」

「そりゃ今日引っ越してきたばかりだからな」


 久方ぶりの再会に花を咲かせることもなく、太陽は夜道で出くわした少女・姪のいつきを早々にマンションへと迎え入れた。

 いや、正しくは受け入れざるを得なかったというべきだろう。


 ふたりの実家は日本海に面した富山県の端、能登半島の根元にある。

 東京からだとバイクを飛ばしたとしても片道五時間はかかる距離だ。


 今から送り届けるというのはとても無理な話なのであった。


 かといって行くあての無い年頃の娘を、ひとりで夜の東京に放り出すわけにもいかない。

 まかりなりにも太陽は叔父であり彼女はその姪だ、保護責任というものがある。


「おじさん、公務員なのに転勤あるんだね」

「まあな。ところでいつき」

「あっそうだ、ずっと待ってたからもう汗だくでさ! シャワー借りるね!」


 太陽が己の元を訪ねた理由を聞こうとした矢先、いつきはあからさまにはぐらかした。


「おじさん独身で寂しいからって、覗かないでよ」

「独り身をなんだと思ってるんだ」


 理由は語りたくない。

 太陽には、いつきがそう言っているように思えた。


 これまでの経緯で太陽が得た情報は、よほど探られたくない事情があるらしいということだけだ。



「……昔から都合が悪いとすぐこれだ」



 物心つく前から、いつきは太陽の後ろをついて回ることが多かった。

 そのせいかいつきがなにかやらかすたびに、その後始末は太陽の役割だったことを思い出す。


 いつだったか、いつきがおねしょをしたことがあった。


 両親にバレる前に乾かしてしまおうとバイクにくくりつけたまではよかったのだが。

 なびく布団を暴走族旗と間違えられて、地元の暴走族から一晩中逃げ続けることになった。


 バイクの後部座席で太陽の腰に手を回しながら、ずっとケラケラ笑っていたいつきをよく覚えている。



 それがしばらくぶりに顔を合わせたかと思えば、まさか家出の出汁に使われるとは。




 しかしただの家出にしては随分と遠出したものだ。


 なにかしら事情があったにせよ、いつきが叔父である太陽を真っ先に頼ろうと考えたことは嬉しく思わなくもなかった。

 少なくとも見ず知らずの男についていったり、迷惑を顧みず友達の家に転がり込むよりはましだ。



 太陽はやれやれと溜め息をつきながら、長年愛用しているガラケーの通話ボタンに指をかけた。

 解像度の低い液晶画面には“実家”の文字が浮かぶ。



「頼ってくれたのは嬉しいけど、な」



 どのような事情があれ、力になってやりたいと思う反面。

 大人には大人の“すべきこと”というものがある。


 どこか言い訳じみた独り言に、思わず太陽の口から乾いた笑みがこぼれた。



 なんにせよ本人が事情を語らないのであれば、他の者から聞き出すしかない。

 普段からいつきの面倒をみているのは還暦を過ぎた実家の母と、入院しがちな義理の姉だ。


 数日前、太陽は実家に転勤する旨と新しい住所を伝えている。

 母はなんでもメモにとって冷蔵庫に貼り付ける人なので、いつきがその情報を頼りに上京してきたのだということは容易に想像がついた。



『……もしもし、たーくん?』



 長いコールのあと、透き通ったガラス細工のような声が耳朶じだを打った。

 てっきり母が出るものだと思っていた太陽は不意を突かれる。


 電話の相手は太陽の“義理の姉”であった。



「……ああ、義姉ねえさん? いつきのことで話があるんだけど」



 幼い頃からなにかと目をかけてくれていた義姉は、太陽にとって実の姉のような人物だ。

 不屈戦隊オリジンフォースが一人所帯となってからは、忙しさにかまけて実家にあまり顔を出していないため、こうして話すこと自体ゆうに丸一年ぶりである。


 太陽は少し驚いたものの、気を取り直していつきが新居に上がり込んでいることを伝えた。


『そう、そっちにいるんだね。ごめんね、迷惑かけちゃって』

「いいよ気にしないで。明日はちょっと外せない用事があるんだけど……。今週末には俺も一緒に、一旦そっち帰るからさ」

『ありがとう、ごめんね……コホッ』


 義姉はもともと身体の弱い人であったが、電話越しの彼女の声は今にも火が消えそうなほど弱々しい。


 太陽の兄でもある夫を亡くしてからというもの、一年の半分近くを寝て過ごしているような人だ。

 一人娘の家出が、心身ともにどれほど負担をかけたかは想像に難くない。



「それで義姉さん、いつきと喧嘩でもしたの?」

『うん。進路のことでちょっと、ね。どうしても、会いたい人がいるんだって』

「なんだそれ!? お、おおお男なのか!?」

『たーくん、おちついて。深呼吸』


 太陽は言われたとおり呼吸を整える。


「ふーっ、ああ、ごめん。もう大丈夫」

『たーくん、いつきのことになると、いつもそう』

「……仕方ないだろ」

『まあ、ね』


 いつきが突然あらわれた理由は、なんのことはない思春期にはありがちなものであった。

 それでも北陸から東京までひとりで日本を縦断してくるというのは、見上げたバイタリティではあるが。


 進路について親と揉めるのは若人わこうどの特権のようなものだと太陽は思っている。

 しかしその理由が『人と会うため』となると話は別だ。


 独り身の太陽にとっても、いつきは我が娘のような存在である。

 義姉の手前、冷静につとめていたつもりだが、けして穏やかではない心中は穴のあいたバケツなみに漏れていた。


「それさ、悪い男に騙されてるんじゃないの? 義姉さん、相手に心当たりは?」

『……大切な人だって言ってた。ずっとそばにいるって、言ってくれたって』

「そりゃあ、十中八九ろくなやつじゃないな。賭けてもいい」


 実にありがちで胡散臭い口説き文句であった。

 太陽の頭の中で、真っ赤な警戒ランプに明かりが灯る。


 歯の浮くようなセリフで少女を誘い出し食い物にしようとする極悪人は、この東京で掃いて捨てるほど見てきた。


 ましてやいつきは、海沿いの田舎町で人を疑うことなど知らずに育った娘だ。

 若者たちをたぶらかそうと日夜たくらむ都会の悪党からすれば、とても騙しやすい部類に入るだろう。



(なぁーにが『ずっとそばにいる』だ。いったいどこの結婚詐欺師だよ!)


 と、叫んだところで問題は解決しない。


 太陽はケータイを肩で挟むと、冷蔵庫から麦茶のパックを取り出してひと口飲んだ。

 カラカラに乾いた喉に水気を染み渡らせ、上ずりそうな声をなんとか抑え込む。


「……ふぅ。それで、いつ会うか言ってた?」

『明日、だと思う。カレンダーにマルがついてたから』

「よりにもよって明日か……。わかった、とにかく今週中にはそっちに送り届けるから」

『うん……ごめんね……』



 太陽は電話を切ると、はあと大きなため息をついた。

 なにをぼやくでもなく、手元のガラケーを見つめる。


 待ち受け画面に設定された粗い画像には、三人の男女が写っていた。

 むすっとした顔の太陽と、微笑む義姉、そしてもうひとり。


 もはや骨董品ですらある古いケータイを、太陽が未だに捨てられない理由であった。



 太陽がさてどうしたものかと小さくうなった、そのとき。




「んひょわああああああァァァァァァーーーーーッ!!!」




 突如シャワールームから聞こえてきたのは、いつきの悲鳴であった。



「どうした!? なにがあったいつき!?」



 なにごとかと太陽が叫ぶと、同時にシャワールームの扉がバンッと勢いよく開かれる。

 同時に全身ずぶ濡れでタオル一枚を身体に巻きつけただけのいつきが飛び出してきた。


「おじさァん! ここのシャワー水しか出ないよ!?」


 新居のホコリひとつない床をびっちゃびちゃに濡らしながら、いつきは太陽に詰め寄る。

 娘のようないつき相手に今さら欲情もなにもありはしないが、太陽は少し目のやり場に困った。


「言っただろ、引っ越してきたの今日だって。ガスは立ち合いが必要だから、お湯が出るのは明後日からなの」

「明後日ぇー!? 私そんなの聞いてないんだけど!?」


 言葉を交わす間もなくシャワールームへ逃げ込んだのは誰であったか。

 文句のひとつも言いたいところであったが、太陽はぐっとこらえてダンボールの中から新品のバスタオルをいつきに渡す。


「いいから身体ふいて服を着ろ。風邪ひくぞ」

「うぅ……寒いよぉ……」


 青い顔で震えるいつきを脱衣所に放り込むと、太陽はリビングのエアコンをつけた。

 まさか春先だというのに暖房に頼らざるをえなくなるとは。


 濡れた髪をバスタオルでふきながら、いつきが大きなくしゃみをした。


 冷水を頭から浴びたのだ、薄手のパジャマではさぞ寒かろう。

 だが本当に風邪でもひかれようものなら、たまったものではない。



「ったく、シャワーなんか一日浴びなくったって死にゃしないっての」

「だってぇ……」



 人と会うから、などとは言えるはずもない。

 とでも言いたげに、いつきはまるで嘘をとがめられた子供のようにうつむいた。


 恋する乙女ならばいざしらず、騙されているとも知らずに。

 久方ぶりの再会で、あまりこういう姿は見たくないものだと太陽は思う。


「ベッドは俺のを使っていい。とにかく温かくして今日はもう寝ろ。話は……明日仕事が終わってからだ」

「うん……ごめんね……」


 申し訳なさそうに謝る姿が、かつて憧れた義姉ひとの姿と重なる。

 太陽はなにをばかなことをと頭を振ると、いつきの背をとんと叩いて寝室に押し込んだ。


「おじさん、その……理由も聞かずに泊めてくれて、ありがと。おやすみ」

「ああ、おやすみ」


 太陽はそれだけ言うと、寝室の扉をパタンと閉じた。




「さて……」



 すぐさまガラケーを取り出すと、太陽は電話帳から後輩ヒーローの名前を探す。

 人脈はキャリアの長さに比例するのだ、このようなときこそ利用せずしてなんとする。


 いつきが一晩寝て頭を冷やしてくれればいいのだが、おそらくそうもいかないだろう。

 言い出したら意地でも曲げないのは、昔の自分とよく似ている。


 無論、理由を知ってしまった以上、太陽も叔父として引き留めるべきなのは重々承知だ。


 しかし明日は大事な新チームの顔合わせである。

 本来であれば自分で動きたいところだが、この際致し方あるまい。



 数度のコールのあと、眠そうな男の声が古い携帯電話から聞こえてきた。



『もしもし火野先輩? どうしたんですこんな時間に』

「おっす、栗山。お前明日非番だろ? 悪いんだけどちょっと頼まれてくれねえか」

『……まさか無料ただとは言いませんよね?』

「池袋にいいカレー屋がある。温泉たまごものせていい」

『本気で言ってますかそれ?』


 栗山はかなり渋っていたが、結局ビーフカツものせるという妥協案で手を打った。

 日本ヒーロー界広しといえども、カツカレーで買収できるようなヒーローは他にいないだろう。


『……わかりました。それで、俺はなにをすれば?』

「俺の大事な姪っ子が明日、悪い男と会う約束をしてる。うまくやってくれ・・・・・・・・。やりかたはお前に任せる。死人さえ出なけりゃ多少手荒になってもいい」

『正義のヒーローとは思えない発言なんですけど』

「いいんだよ。これも立派な社会正義ってやつだ」


 あきれる後輩と詳細を詰め、通話を終えると太陽はふうと大きく息を吐いた。



「……これでよし、と」



 後輩を便利屋として使うのはあまり褒められたことではないだろう。


 しかし栗山はヒーローとしての影こそ薄いが、汚い仕事もきっちりこなす男だ。

 なにより傍から見てもわかるほど交友関係に乏しいぼっちである。


 その点においては、多少私用・・をお願いしようとも上から小言を頂戴する心配がないのだ。




 明日はいつきにとっても自分にとっても重要な一日になるだろう。


 そんなことを考えながら、太陽はリビングのソファで一夜を過ごした。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る