お出かけ

 昼休みに仮眠を取ったものの、午後の授業は相変わらず眠かった。でも、それはいつものことだ。教室のあちこちでは顔を伏せている人が見受けられる。恵奈さんの方を覗くと、彼女はうつらうつらしながらも真面目に先生の話を聞いていた。

 放課後になると、清掃の係に割り当てられている生徒は各々担当の清掃場所に移動する。僕は教室の担当であり、ついでに非常に重要なことを忘れていることに気が付いた。恵奈さんも教室の清掃が担当だ。


 清掃は問題なく終わった。清掃中は恵奈さんと会話することも無く、これで帰れるはずだった。しかしながら、事件は清掃が完了すると同時に発生する。ゴミ箱がいっぱいになっているから誰かがゴミを集積所に運ぶことになり、結局じゃんけんで一人負けしてしまった僕がその役を務めるはめになった。そこまではいい。そこまでだったら、運が悪かったなで済む。問題は、恵奈さんが一緒に運ぶよ、と言ってきたことだ。周囲は恵奈さん優しいね、くらいの反応しかないけれども、僕にとってはこの時の彼女が悪魔にさえ思えた。きっとただの厚意でしかないのだろう。それでも、僕の心を揺さぶるには十分過ぎる一撃だった。

 そのまま流れるようにして、僕らは並んでゴミ袋を運び始める。

「恵奈さん。手伝ってくれてありがと」

 言葉の上では感謝を述べてはいるけども、僕の心は呪詛を吐いていた。これ以上僕の心を乱して欲しくなかった。そんなことを僕が思っていることなんて知らないで、彼女も口を開く。

「ううん。一人で抱えるにはゴミ袋が大きいからね。手伝って当然だよ。それに」

 それに? 共にゴミ袋を運んでいる途中、そこでなぜか恵奈さんは言い淀んだ。何を言おうとしたのだろうか。嫌な予感がした。ゲームのラスボスにセーブなしで挑もうとしているような。これ以上進んだら、もう二度とやり直せないほどの大きな変化を受け入れなければならなくなる気がする。

「ねぇ。奏くんってさ、何か部活やってる?」

「してないよ。帰宅部」

「そっか。ならさ、このまま一緒に帰らない?」

「え」

「確か電車を使ってたよね。わたしも、そうなんだ。だからさ」

 駅まで一緒に帰ろうよ、と彼女は僕を誘う。ゴミの集積所はすぐそこだ。このゴミ袋を置いたら、嫌でも答えなければならない。

「いいよ」

 そう頭の中で悩んでいながら、現実の僕の口は僕の意識の反応速度を凌駕するスピードで答えを出していた。

「ふふふ。よかった」

 いたずらっぽく、彼女は嬉しそうに笑った。その笑顔を見ると、あの時と同じように彼女が眩しく思えた。その光は僕に向けられていて、どうしようもなく僕の心を惑わせる。必死になって意識しないように努めていたのに、ついつい彼女を見つめてしまい、甘い香りがフラッシュバックしてきた。いや、これは記憶なのだろうか。今ここに彼女はいる。これは本当に彼女の匂いなんじゃないだろうか。頭がくらくらしてきた。夢? これは夢? 布団に包まって体操着の残り香なんて嗅いでいたから、こんな夢を見ているのか? 違う。現実だ。たぶん。現実なんだ。

「ほら、行こっか」

 僕の隣に恵奈さんがいる。世界は変わり始めていた。

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