「49」おばさんのお家

「あら、太蔵君。大丈夫? 何だか顔色が悪いけれど」

 声を掛けられ、自分の目の前に女性が立っていることに気が付く。恰幅の良い、ほんわかした雰囲気の女性であった。


「いや。なんでもないです……」

 そう自分の口から出した声が余りにも甲高かったので、驚いてしまう。

 部屋の中を見回し、暗転したテレビ画面に顔を近付ける。そこに反射して写った自分の顔を見て、唖然としてしまう。


 子どもだ。しかも、これまでよりももっと幼い──。


 思わず、自分の顔の造形を確かめるために触ってしまった。

──確かに、そこに反射して写っている子どもは俺自身であった。

 声変わりもまだしていない子ども。

 ついにここまで退行してきたかと、驚愕してしまったものである。


「何か悩みがあるなら、おばさんに言ってちょうだいね。なんでも力になりますからね」

 おばさんはそう言って、神妙な顔付きになった。

「あ、いや、本当に大丈夫なんで……」

──おばさん?

 目の前に居るこの人は母親ではないのか。

 だとしても、自分のことを『おばさん』などと形容するであろうか。何だか違和感がある。

 おばさんが何者であるのか分からず、距離感もイマイチ掴めなかった。


 若干、俺は警戒の色を見せてしまったのかもしれない。


「なんだい。そんな怖い顔をして……」

 そう言うおばさんはチラリと背後を振り返り、壁掛けの時計に目を向けた。

「ああ、そうか。お腹減ったのかい? ……そう言えば、もうこんな時間だものね。気付かないで悪かったね。用意するから待っていておくれ」

 おばさんは一人で納得すると、いそいそと台所へ行ってしまった。

 窓の外から夕焼けが見え、日が落ちかけている。

「そんなところに突っ立ってないで、テレビでも見て待っていると良いさ」

 おばさんの優しげな声が、台所から響いてくる。

「あ、はい……」

 俺は反射的に答え、その場に腰を下ろした。


 再び、暗いテレビ画面に反射した自身の顔を見ながら疑問符を浮かべたものだ。

──どういうことだ?

 ここは、俺の家というわけではないのか。

『おばさん』とは一体何者なのだ?

 どういう関係なのだろう──?


 まだ何も状況が掴めておらず、分からないことが多い。


 ふと、部屋の中を見回していると、隅に設置されている仏壇が目に入った。先祖や祖父母を弔うものかと思ったが、そこに置かれている遺影は笑顔を浮かべた大人の男女の写真であった。

──誰だ、これは──?

 何だか無性に気掛かりであった。

 立ち上がって仏壇に近付くと、俺はその男女が写った写真を手に取った。

 思わず見入ってしまう。

 別に何の変哲もない写真だ。それが誰かも俺には分からない。それでも不思議と、懐かしさのようなものを感じたものである。


「太蔵君、出来たわよ」

 背後から声がしたので振り返ると、おばさんが緑色の野菜が乗った皿を片手に持って立っていた。

 おばさんは無言でこちらに近付いて来ると、遺影をパタリと伏せてしまった。

「え……?」

「食べるわよね? サラダ。お腹減っているかと思って、先ずは作ってきちゃった」

 一方的におばさんは捲し立てると、テーブルに野菜の乗った皿を置いた。

「あの、おばさん……」

──口を開き掛けて、ハッとなる。


 おばさんの顔は曇っていた。とても悲しげだ。

 これ以上突けば、おばさんは悲しむかもしれない。

 おばさんを苦しめたくない。

 子どもの俺だったら、素直にそう感じたものだろう。

 おばさんに気を使って話しを打ち切り、野菜に手を付けていたに違いない。

 今後も、目の前の真実から目を背けて忘却の彼方へ──。


「なるほどね……」


 俺は、全てを悟ったものだ。

──だから俺は此処に戻ってきたのだろう。


「どうしたんだい?」

 不思議そうな顔をするおばさんに俺は首を振るう。

「食べるより、教えて欲しいんだ。これが誰なのか……なんで、おばさんが隠そうとするのか……」

 当時の俺には聞き出せなかったであろう真実──。

 それを知るために俺は来たのだ。

 様々な未来を見てきた俺だから、今こそ成し遂げることが出来る。


「そうよね。もう太蔵君も受け入れてくれているかと思ったけど無理な話よね……」

 おばさんはフゥと溜め息を吐く。

「別に隠しているわけじゃないのよ。あなたのお父さんとお母さんが亡くなってからもう随分経ったのだけれど……私自身も、兄を亡くなったショックから立ち直れていないんだよ」


──お父さんとお母さん……?


 俺は伏せられた写真立てに目を向けた。そこに写っていたのが俺の本当の両親であるらしい。


「お父さんとお母さんのこと、憶えているかしら?」

 俺はおばさんの問い掛けに、素直に首を横に振るった。憶えているどころか何一つ両親の記憶などない。

「まぁ、そうよね。太蔵君が生まれてすぐのことだったから……。憶えていなくて、当然よね……」

 ハァとおばさんは溜め息を吐くおばさんはとても苦しそうであった。

「不慮の事故だったのよ。どうすることも出来ないわ。仕事の都合で二人は飛行機に乗らなきゃならなかったの。まだ幼いあなたを連れていくわけにもいかないから、私に預けたの」

 おばさんに預けられた──?

 気になったが、今はおばさんの話しを聞くことにした。

「二人を乗せた飛行機は、無事離陸したみたいなの。……でも、機器のトラブルがあったらしく、そのまま……」

 おばさんはそこで言葉を詰まらせてしまった。

 内なる感情が込み上げてきたようで、目に涙が浮かんでいた。


「本当に、おばさんも残念だったわよ。お父さんは、私の兄でね。お父さんとお母さんが残したあなたのことが放っておけなかったから、私がこうしてそのままあなたを引き取ることにしたの……」

──だから、俺はこうしておばさんと同居しているわけか。

 少しずつだが、話が見えてきた。


 ところが、それに相対しておばさんの顔がみるみる曇っていく。

 おばさんにとっても辛い思い出をほじくっているようなものだから、そうなるのは必然かもしれない。


──ピンポーン!


 まだまだ話しを聞きたいところであったが、おばさんにとっては助け舟か。玄関のインターホンが鳴って、来客があった。

「あら……誰かしら?」

 おばさんは首を傾げて立ち上がり、来客の応対へ玄関に向かった。


 俺はおばさんが部屋から出て行くのを見て、仏壇に伏せてある写真立てに手を伸ばした。

 改めて両親の顔をじっくりと見ておきたい。この目に、焼き付けておきたい──。


『あらまぁ、いらっしゃい!』


 玄関からおばさんの大きな声が響いたので、俺はピタリと動きを止めて注目を玄関の方へと向けた。

 スタスタとおばさんが急いでこちらに戻って来る。

 その顔は、どことなく不思議そうだ。


「誰だったの?」

 戻ってきたおばさんに俺は尋ねた。

 すると、おばさんは首を傾げた。

「ねぇ太蔵君……あの子、誰だったかしら?」

「え……?」

 そう尋ねられ、俺はきょとんとしてしまう。

 この時代のおばさんが分からない人物であるならば、たった今此処に戻って来た俺に心当たりがあるはずがない。


「太蔵君に会いに来たって……お友達みたいよ」

「俺に……?」

 俺は思わず溜め息を吐いてしまった。

 ハズリィーに続き、また名も分からぬ友人でも現れたということか──?


 俺は仕方なしに、名も分からぬ友人に応対するため玄関に向かったのであった。

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