「27」追い詰めた

 森の中を歩いていると、寂れた建物が目に入った。

 恐らく、あそこが五十嵐がアジトとして使っている廃工場なのだろう。


 建物の前に停まっている車のボンネットはまだ温かい。使用されてからまだ時間は経っていないようだ。

 こんなところにわざわざ車を停めに来る人間は早々いない。

 五十嵐がここに居ると見て、間違いないようだ。


 俺は廃工場にゆっくりと近付いていった。細心の注意を払い、扉が軋む音や落ち葉を踏み鳴らす音──音がなるたびに俺は動きを止めて周囲を警戒した。

 耳を澄ましてみるが、辺りは静寂に包まれており人の話し声すら聞こえない。


──此処に居るんじゃないのか?

 あまりにも静か過ぎる。

 此処に五十嵐が──貴美子が拐われて来たのではないかというのは、全部俺の憶測だ。いや、むしろ、何で此処に居ると思ったのだろう──。

 姿が見えないので、段々と不安になってしまう。


 それでも慎重に、廃工場内を進んでいった。


 建物は長らく放置されているのだろう。

 窓ガラスが割られ、そこから入り込んだ枯れ葉や枝木が床に散乱していて埃っぽかった。


 誰かが不法にでも侵入した形跡もあった。

 不釣り合いなテレビや電子レンジなどの電化製品家や布団なんぞも置かれてあった。


「……あ?」

 思わず声を出してしまう。

 半開きになっている扉の先に誰かが倒れている姿が見えた。白のヒラヒラのレースのスカートにカーディガンを羽織ったその姿は──。

「おいっ、しかっりしろ!」

──貴美子だった。


 俺は慌てて倒れた貴美子に駆け寄ると、その体を抱き起こして声を掛けた。

「おい、大丈夫か!?」

 体を揺すってみると貴美子は顔を顰めて呻いた。

「うぅ〜ん……」

──どうやら、ただ眠っているだけのようだ。

 呼吸はしているし、外見的に傷付いた箇所もない。

 貴美子の無事を確認できたので、俺はホッと胸を撫で下ろしたものだ。


「オラァァアアッ!」

 突如、背後の物陰からの怒声と共に誰かが飛び出してきた。相

 手を認識する間もなく後頭部に痛みが走る。

 俺は頭を抱え、前のめりに俯いた。

──誰かに、頭を殴られた。

「クソッ……」

 完全に油断をしていた──。


 貴美子がここに居るならば当然、それを拐ってきた相手──犯人もこの場のどこかに潜んでいたはずである。

 貴美子に気を取られ、奴の存在に気が付かなかった。

 物陰に隠れ、隙を伺っていたのだろう。


「はぁ……。太蔵君、君には失望したよ」

 ため息まじりの声が聞こえてきた──。

「僕の愛しい彼女と親しくしようだなんてさぁ……」

 顔を上げると、ガタイの良い角刈り頭が目に入った。

 喫茶店で火花を散らした──五十嵐だ。


 五十嵐は、見た目と違ってナヨナヨと体を動かしながら自身の胸に手を当てた。

「彼女はさぁ……僕が狙っているんだね。近付くのはやめて貰えないかね」

「うぅ……っ!」

 何やらブツブツとねちっこく五十嵐に言われていたが、俺は後頭部の痛みに堪えることで精一杯で、それどころではなかった。

 五十嵐の言葉は何一つ、僕の耳には入っていない。


 それでもお構いなしに、五十嵐は言葉を続けた。

「本当に邪魔な奴だよね、君は……。こんなところまで来ちゃってさぁ。……彼女の周りをうろちょろするなよ。目障りだからさ!」

 忌々しげに五十嵐は言うと、貴美子に顔を向けた。

「可哀想に……。お前のせいで、彼女はこんな怖い目にあう羽目になってしまったじゃないか……。酷い男だよ、君は……」

 自分のしたことを棚に上げて、なんという言い草であろうか。此処に貴美子を拐って来たのも、彼女を眠らせのも全部五十嵐の仕業ではないか。


 五十嵐は哀れんだ目で貴美子を見詰め、その頬を撫でた。完全に俺など、眼中にはないと言った様子だ。

──だがそれは、俺にとっても好都合だ。

 五十嵐に隙が生まれたので、ある意味チャンスであった。


「うぉおぉおぉおぉおっ!」

 俺は勢い良く駆け出し、五十嵐に向かってタックルをした。身構えていなかった五十嵐は吹っ飛び、手にしていた金属棒から手を放して床に転げた。


「ぐぅっ!」

 怯んでいる五十嵐に、俺は馬乗りになった。

「やっていいことと悪いことがあるだろうが! 彼女を傷つけるんじゃねぇ!」

 怒りが込み上げてきた俺は、感情に任せて五十嵐を怒鳴り付けた。


 五十嵐は──怯えた表情を見せる。

 必死に体を捩って逃げ出そうとするが、身動きが取れず「ひぃいいっ!」と情けない声を上げた。

 ここまで大掛かりで大変なことを仕出かした割りに、案外五十嵐は小心者であるらしい。

 追い詰められて自分が危うい立場におかれると、途端に小動物のように震えた。


「や、やめてくれ……!」

 五十嵐は涙目になって、懇願するように言った。

──まるで被害者である。

 一番、辛いのは巻き込まれた貴美子であろう。


「お前が被害者面をするなっ!」

 五十嵐の顔面を殴ってやった。

 口の中が切れたようで、唇から血が垂れた。


 それでも俺の怒りは晴れない。

 握った拳を振り上げた──。


「やめてください!」


 廃工場の中に女性の声が響き渡る。

 意識を取り戻したらしい貴美子は──ギロリと鋭い目つきで俺を睨んできた。

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