第5話 平御側の津田日向守信之は将軍・家治に意知遭難を伝える。

 そのころ中奥なかおくにある休息之間きゅうそくのまにおいてはとき将軍しょうぐん家治いえはる側近そっきん御側おそば御用ごよう取次とりつぎ相手あいて政務せいむっていた。


 意知おきともおそわれた現場げんばでもある表向おもてむき政庁せいちょうならば、ここ中奥なかおく将軍しょうぐん居所きょしょ、さしずめプライベートエリアに相当そうとうする。


 もっとも、将軍しょうぐん政務せいむるのもまた、ここ中奥なかおくであるために、表向おもてむき同様どうよう政庁せいちょうとしての機能きのうをもたしていた。


 その中奥なかおくにおいて将軍しょうぐん政務せいむるのは休息之間きゅうそくのまであり、よるともなればその上段じょうだんにおいて睡眠すいみんるものの、いまのような日中にっちゅう下段げだんにおいて政務せいむし、そのとは裏腹うらはらに、休息きゅうそくする場所ばしょではなかった。


 さて、家治いえはる下段げだんにて稲葉いなば越中守えっちゅうのかみ正明まさあきら横田よこた筑後守ちくごのかみ準松のりとし、そして本郷ほんごう伊勢守いせのかみ泰行やすゆきの3人の御側おそば御用ごよう取次とりつぎ相手あいて政務せいむっている最中さなかひらそば津田つだ日向守ひゅうがのかみ信之のぶゆきがそこへ駆込かけこんでた。


 稲葉いなば正明まさあきらたち御側おそば御用ごよう取次とりつぎにしろ、ひらそば津田つだ信之のぶゆきにしろともに、将軍しょうぐん家治いえはる側近そっきんたるそばしゅうであり、しかし、そのなかでも将軍しょうぐん政務せいむたすける稲葉いなば正明まさあきたち御側おそば御用ごよう取次とりつぎはその筆頭ひっとうであるのにたいして、津田つだ信之のぶゆきつとめるひらそばとはそのとおり、ヒラにぎず、津田つだ信之のぶゆきほかにも3人ほどそんしていた。


 当然とうぜんそばしゅうなかでも筆頭ひっとうである御側おそば御用ごよう取次とりつぎほうがヒラにぎないひらそばよりも格上かくうえ噛砕かみくだけばえらいわけで、それゆえこうして将軍しょうぐん政務せいむたすけていたわけだが、しかし、ひらそばなかでもこと津田つだ信之のぶゆき御側おそば御用ごよう取次とりつぎなみ将軍しょうぐん家治いえはる寵愛ちょうあいあつく、それゆえ政務せいむにもかおせることが将軍しょうぐん家治いえはるより直々じきじきゆるされていた。


 その津田つだ信之のぶゆきまさに、


いきせきって…」


 ここ休息之間きゅうそくのまのそれも下段げだんめんした入側いりがわ…、廊下ろうか駆込かけこんでたのであった。


 もっとも、廊下ろうかとは言え、板敷いたじきのそれではなく、ちゃんとたたみかれており、下段げだんに将軍・家治いえはる鎮座ちんざしていれば、その下段げだんめんした廊下ろうかたる入側いりがわ稲葉いなば正明まさあきらたち御側おそば御用ごよう取次とりつぎひかえていたのだ。


「いっ、一大事いちだいじでござりまするっ」


 津田つだ信之のぶゆき稲葉いなば正明まさあきらたち御側おそば御用ごよう取次とりつぎ格好かっこうでその入側いりがわ乱入らんにゅうしたかとおもうと、下段げだんにて鎮座ちんざする将軍・家治いえはるたいしてまずは平伏へいふくしたのち、そうさけんだのであった。


「これっ、はしたないではないかっ」


 津田つだ信之のぶゆきたいしてそう叱責しっせきびせる稲葉いなば正明まさあきら将軍しょうぐん家治いえはるせいすると、


如何いかがいたしたのだ?」


 平伏へいふくしたままの津田つだ信之のぶゆきさきうながしたのであった。


「ははっ、さればいましがた若年寄わかどしより田沼たぬま山城やましろ何者なにものかにおそわれましてござりまするっ」


 津田つだ信之のぶゆき意知おきとも襲撃しゅうげきしたものを、「何者なにものか」と表現ひょうげんすることにより、意知おきともおそわれた事実じじつともに、その襲撃者しゅうげきしゃ身許みもといまだに不明ふめいであることを示唆しさしたのであった。


 家治いえはるもそうとさっすると、意知おきともおそった下手人げしゅにん身許みもとについては穿鑿せんさくせず、そのわりに意知おきとも怪我けが具合ぐあいについてたずねた。


「されば、山城やましろみずからのあし医師いしだまりへとかいましたそうで、されば大事だいじなきものかと…」


 津田つだ信之のぶゆきがそうこたえると、家治いえはるはまずは安堵あんど表情ひょうじょうかべた。


「して、それは何処どこからのしらせぞ?」


 もう一人ひとり御側おそば御用ごよう取次とりつぎである横田よこた準松のりとし津田つだ信之のぶゆきにその「情報源じょうほうげん」をたずねた。


 すると津田つだ信之のぶゆきは「情報源じょうほうげん」をかすことに内心ないしんいささ躊躇ちゅうちょしたものの、しかし、かさぬわけにもゆかず、


「されば中奥なかおく小姓こしょう壱岐いきめよりのしらせにて…」


 中奥なかおく小姓こしょうとはそのとは裏腹うらはらに、ここ中奥なかおくめる小姓こしょうではなく、表向おもてむきめては儀式ぎしき配膳はいぜんなどをつかさどる。


 そしてこの中奥なかおく小姓こしょうだが、


壱岐いき


 すなわち、壱岐守いきのかみなる官職かんしょくめいものはたった一人ひとりしかいなかった。


津田つだ壱岐守いきのかみ信久のぶひさ


 そのものであり、だれあろう、津田つだ信之のぶゆきであった。


 それゆえ津田つだ信之のぶゆきは「情報源じょうほうげん」が信久のぶひさであったために、そのかすことにいささ躊躇ちゅうちょしたのであった。


 一方いっぽう家治いえはるたちも「壱岐いき」がほかならぬ津田つだ信之のぶゆきそく信久のぶひさしていることにぐに気付きづくと、


「されば…、山城やましろおそわれたは山吹之間やまぶきのまか、そのちかくか?」


 横田よこた準松のりとしかさねてそうたずねた。


 横田よこた準松のりとしのそのとい至当しとうであった。


 それと言うのも中奥なかおく小姓こしょう平素へいそめる部屋へや所謂いわゆる殿中でんちゅうせき山吹之間やまぶきのまであるからだ。


 しかもいまうまこく、それもひるの九つ半(午後1時頃)を四半しはんとき(約30分)もぎようかというころであり、中奥なかおく小姓こしょう津田つだ信久のぶひさ若年寄わかどしより田沼たぬま意知おきとも襲撃しゅうげきの「情報源じょうほうげん」、すなわち、意知おきともおそわれる現場げんば居合いあわせたとなれば、あるいはその目撃もくげきしていたとなればそれよりもまえということになる。


 そしてそれよりもまえということになれば畢竟ひっきょう意知おきともおそわれたのはひるの九つ半(午後1時頃)前後ぜんごということになる。


 いやひるの九つ半(午後1時頃)をすこぎたころ断言だんげん出来できた。


 何故なぜなら昼九つ(正午頃)から九つ半(午後1時頃)にかけてはちょうど老中ろうじゅうによる「まわり」がおこなわれるためであった。


 今日きょうのような平日へいじつにおいてはひるともなると、老中ろうじゅうによる「まわり」がおこなわれる。これは老中ろうじゅう表向おもてむき各部屋かくへや見廻みまわることからこの名称めいしょうされた。


 その「まわり」だが、昼九つ(正午頃)に老中ろうじゅうみなそろって執務室しつむしつであるうえ御用ごよう部屋べやると、時斗之間とけいのまから見廻みまわりをはじめ、新番所しんばんしょまえ廊下ろうかとおり、中之間なかのま羽目之間はめのま山吹之間やまぶきのま、それから山吹之間やまぶきのま雁之間がんのま菊之間きくのまつなひも廊下ろうかとおってまずは菊之間きくのまへとあしれて見廻みまわったのちとなり雁之間がんのまへとあしれて見廻みまわる。


 そうして雁之間がんのま見廻みまわった老中ろうじゅう一行いっこうとなり部屋へやである芙蓉之間ふようのまへと、雁之間がんのま芙蓉之間ふようのまとをつな入側いりがわ所謂いわゆる縁頬えんがわつたってあしれ、見廻みまわりをおこなう。


 そして芙蓉之間ふようのま見廻みまわえた老中ろうじゅう一行いっこう芙蓉之間ふようのまとそのとなりおもて右筆ゆうひつ部屋べやとのあいだにある廊下ろうか所謂いわゆるわき廊下ろうかつたって一気いっき中之間なかのまへとけ、ふたた中之間なかのまへとあしれた老中ろうじゅう一行いっこう中之間なかのまからはぎゃく道順コース辿たどって、すなわち、新番所しんばんしょまえ廊下ろうか時斗之間とけいのまとおってその執務室しつむしつであるうえ御用ごよう部屋べやへともどるのだ。


 この「まわり」には半刻はんとき(約1時間)ほどかかり、そのかん老中ろうじゅうによる「まわり」のコース上に殿中でんちゅうせきつ、つまりは老中ろうじゅう見廻みまわりをおこな部屋へや殿中でんちゅうせき諸役人しょやくにんはその殿中でんちゅうせきからうごいてはならなかったのだ。


 中奥なかおく小姓こしょう津田つだ信久のぶひさまさにそうであり、中奥なかおく小姓こしょう殿中でんちゅうせきである山吹之間やまぶきのままさしく老中ろうじゅう見廻みまわ部屋へやであり、それゆえ信久のぶひさたち中奥なかおく小姓こしょう昼前ひるまえともなると中奥なかおく番士ばんしともにそこにひかえ、老中ろうじゅう一行いっこう待受まちうけねばならなかった。ちなみにこの中奥なかおく番士ばんしにしても中奥なかおく小姓こしょう同様どうよう中奥なかおくという名称めいしょうこそかんせられてはいるものの、実際じっさいには中奥なかおく小姓こしょう補助ほじょおもたる職掌しょくしょうとしており、それゆえ中奥なかおく番士ばんし中奥なかおく小姓こしょうおなじく、山吹之間やまぶきのま殿中でんちゅうせきとしてはいせられていた。


 そして老中ろうじゅう見廻みまわりをえたのちも、老中ろうじゅう執務室しつむしつであるうえ御用ごよう部屋べやへともどるまではその部屋へやからうごいてはならない仕来しきたりであった。それは老中ろうじゅうによる「まわり」のコース上にない殿中でんちゅうせきめているものも、すなわち、老中ろうじゅう見廻みまわりをおこなわない部屋へや殿中でんちゅうせきとする諸役人しょやくにんにしても同様どうようであり、


老中ろうじゅうまわりのさまたげになってはならない…」


 というわけで、彼等かれらもまた、老中ろうじゅうはばかり、つまりは遠慮えんりょして部屋へやからないのがこれまた仕来しきたりであった。


 もっとも、実際じっさいには老中ろうじゅう執務室しつむしつであるうえ御用ごよう部屋べやもど頃合ころあい正確せいかく把握はあくすることは不可能ふかのうであり、そこで若年寄わかどしより出番でばんとなる。


 すなわち、若年寄わかどしよりもまた、老中ろうじゅうひるの「まわり」をおこなっている最中さなか老中ろうじゅうはばかり、その執務室しつむしつであるつぎ御用ごよう部屋べやからはず、「まわり」をえた老中ろうじゅう執務室しつむしつであるうえ御用ごよう部屋べやへとはいるのを見届みとどけたのち若年寄わかどしよりようやくにひる休憩きゅうけいがてら昼飯ひるめしるべく、それも若年寄わかどしより専用せんよう下部屋したべやへとかうべく、執務室しつむしつであるつぎ御用ごよう部屋べやからるのだ。


 なにしろ老中ろうじゅう執務室しつむしつであるうえ御用ごよう部屋べや若年寄わかどしよりのそれであるつぎ御用ごよう部屋べやとは廊下ろうかへだてた隣同士となりどうしであり、それゆえ老中ろうじゅう若年寄わかどしよりたがいにその出入ではいりを、


「リアルタイムで…」


 把握はあくすることが出来できたので、それゆえ若年寄わかどしよりには「まわり」をえた老中ろうじゅうがその執務室しつむしつであるうえ御用ごよう部屋べやへともどってればぐにそれを把握はあく出来でき立場たちばであった。


 そうして老中ろうじゅうが「まわり」をえてその執務室しつむしつであるうえ御用ごよう部屋べやへともどったのを見届みとどけた若年寄わかどしよりした部屋べやへとかうにさいして、時斗之間とけいのま新番所しんばんしょまえ廊下ろうか、そして中之間なかのま辿たどる。


 これらはみな老中ろうじゅうが「まわり」にさいして辿たどった場所ばしょであり、こと中之間なかのまには留守居るすい大目付おおめつけ町奉行まちぶぎょう勘定かんじょう奉行ぶぎょう、それにぞくに、


下三したさん奉行《ぶぎょう」


 ともしょうせられる作事さくじ普請ふしん小普請こぶしんさん奉行ぶぎょう所謂いわゆる顕職けんしょくものめており、若年寄わかどしよりはその中之間なかのまあしれることで、彼等かれら老中ろうじゅうがその執務室しつむしつであるうえ御用ごよう部屋べやもどった合図あいずとした。


 それにたいして中之間なかのまめていた留守居るすいらも若年寄わかどしより登場とうじょう老中ろうじゅうがその執務室しつむしつであるうえ御用ごよう部屋べやへともどったのをさとると、各々おのおの自由じゆう行動こうどうとなる。たとえば激職げきしょく町奉行まちぶぎょう勘定かんじょう奉行ぶぎょうであればその執務室しつむしつである奉行ぶぎょうしょや、あるいは御殿ごてん勘定かんじょうしょへともどり、ぎゃく閑職かんしょく留守居るすい大目付おおめつけなどは中之間なかのまにて引続ひきつづ雑談ざつだんきょうじるか、あるいは殿中でんちゅうせきである芙蓉之間ふようのまへともどり、そこで引続ひきつづ雑談ざつだんきょうじたりする。


 留守居るすい大目付おおめつけ、それに町奉行まちぶぎょう勘定かんじょう奉行ぶぎょう、そして作事さくじ奉行ぶぎょう普請ふしん奉行ぶぎょう本来ほんらい芙蓉之間ふようのま殿中でんちゅうせきであるものの、しかし、老中ろうじゅうの「まわり」にさいしては彼等かれらはその殿中でんちゅうせきである芙蓉之間ふようのまではなく、中之間なかのまにて老中ろうじゅうの「まわり」をけるのが、つまりは老中ろうじゅう出迎でむかえるのが仕来しきたりであり、それゆえ彼等かれら老中ろうじゅうの「まわり」がはじまる昼前ひるまえともなると、中之間なかのまへと移動いどうして、そこにめていた小普請こぶしん奉行ぶぎょうらと合流ごうりゅうし、そうして老中ろうじゅう出迎でむかえるのであった。


 ともあれ留守居るすい大目付おおめつけ場合ばあい閑職かんしょくであるために、町奉行まちぶぎょう勘定かんじょう奉行ぶぎょうのように殿中でんちゅうせきほか執務室しつむしつあたえられているわけではないので、それゆえ老中ろうじゅうの「まわり」をえた留守居るすい大目付おおめつけ引続ひきつづ中之間なかのまにて雑談ざつだんきょうずるか、あるいは芙蓉之間ふようのまもどって雑談ざつだんきょうずるかした。


 そして中之間なかのまめていた彼等かれら顕職けんしょくにあるものたちがうごはじめたのをしおに、ほかものたちもうごはじめるのであった。

 

 御側おそば御用ごよう取次とりつぎ横田よこた準松のりとし勿論もちろん、これらの事情じじょう把握はあくしており、それゆえ意知おきともおそわれたのは老中ろうじゅうが「まわり」をえたひるの九つ半(午後1時頃)をぎたころさっし、それも津田つだ信久のぶひさめていた山吹之間やまぶきのまか、あるいはそのちかくが兇行きょうこう現場げんばではないかと、そう看做みなしたのであった。


 津田つだ信之のぶゆきもそうとさっして、


「されば山城やましろ最初さいしょにどこでおそわれたかはさだかではござりませぬが…」


 信之のぶゆきはまずはそうことわったのち


中之間なかのまから羽目之間はめのまへとかけて山城やましろ狼藉者ろうぜきもの応戦おうせんとなり…」


 するとそこで稲葉いなば正明まさあきらってはいった。津田つだ信之のぶゆきくちにした、


応戦おうせん…」


 その言葉ことば反応はんのうしたのであった。


「されば山城やましろさやいたか?」


 意知おきとも襲撃者しゅうげきしゃわせたのか、つまりは喧嘩けんかになったのかと、正明まさあきらはそのてんただしたのだ。仮に意知おきともあわせたならば、つまりはさやはらって白刃しらはにて襲撃者しゅうげきしゃ応戦おうせんしたならば、こと是非ぜひにかかわらず、喧嘩けんか看做みなされ、その場合ばあい


喧嘩けんか両成敗りょうせいばい


 幕府ばくふ祖法そほうたるその大原則だいげんそく適用てきようされ、意知おきとも襲撃者しゅうげきしゃ諸共もろともばっせられなければならないことになる。


 津田つだ信之のぶゆき幕府ばくふ役人やくにんなにより武士さむらいである以上いじょう稲葉いなば正明まさあきのそのとい趣旨しゅし即座そくざ理解りかい出来できたので、


「いえ、さやはらってはいないとのことにて…」


 信之のぶゆき意知おきとものためにもまずはそう否定ひていしたうえで、


「されば山城やましろさやにて応戦おうせんいたしましたそうで…」


 意知おきとも名誉めいよのためにそう付加つけくわえるのをわすれなかった。

 

 かり意知おきともさやはらわず、襲撃者しゅうげきしゃわさなかった場合ばあいには成程なるほど喧嘩けんか両成敗りょうせいばい大原則だいげんそく適用てきようされないが、しかし、さや応戦おうせんすることもなく、


「ただうろうろと…」


 襲撃者しゅうげきしゃからまどうばかりであったならば、それはそれで、


士道しどう覚悟かくご…」


 武士さむらいにあるまじき振舞ふるまいとして、やはり処罰しょばつ対象たいしょうになりた。たと処罰しょばつされずとも士道しどう覚悟かくごそしり、嘲笑ちょうしょうけるのはまぬがれない。


 そこで津田つだ信之のぶゆき意知おきともさやにて応戦おうせんしたことを付加つけくわえるのをわすれなかったのだ。これならば喧嘩けんか両成敗りょうせいばい大原則だいげんそく適用てきようされず、つ、士道しどう覚悟かくごそしりをけずにもむというものであるからだ。


 だが稲葉いなば正明まさあきらは、


壱岐いきめが左様さようもうしているだけではあるまいか…」


 意知おきともたしてまことさやはしらせなかったのかうたがっている様子ようすであった。いや、それ以前いぜんに、意知おきともさや応戦おうせんするどころか、


「ただうろうろと…」


 まどうばかりではなかったのかと、それさえもうたがっている様子ようすであった。


 当然とうぜん津田つだ信之のぶゆき意知おきとも名誉めいよのために、そしてそく信久のぶひさ名誉めいよのためにも正明まさあきら反論はんろんしかけたものの、しかしそれを将軍しょうぐん家治いえはるせいしたのであった。


正明まさあきらもうじょうもっともである…」


 家治いえはるはまずは正明まさあきら言分いいぶんみとめ、正明まさあきら満足まんぞくさせた。


 だがそれもつか


「されば直々じきじき見定みさだめようぞ」


 家治いえはるはそう宣言せんげんして正明まさあきらもとより、津田つだ信之のぶゆきも、そして横田よこた準松のりとし本郷ほんごう泰行やすゆきらそのにてひかえていたものたちをすべ驚愕きょうがくさせた。

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