06 東寺合戦

 京の都にひときわ目立つ、五重塔。

 教王護国寺きょうおうごこくじ、通称・東寺。

 足利直冬ただふゆは、そこに本陣を構えていた。


「山名は何をしているか」


 その直冬の問いに誰も答えない。

 無視しているのではない。

 忙しく、慌ただしくしているからだ。


 直冬の入京により南朝復興かと思われたが、しかし今度は逆に、播磨に釘付けにしておいた足利義詮よしあきらが反転攻勢に出て、摂津の神南こうないにまで進出し陣を構えたのだ。

 ともすれば京だけでなく、南朝の行宮あんぐうる河内の金剛寺すらにらむこの布陣に、後村上帝が悲鳴を上げた。


く、討つべし」


 直冬としては尊氏がいつ来るか分からないため、兵力を温存しておきたいところである。

 逆に南朝の将、楠木正儀の出陣を求めた。


「……応」


 当時の正儀は、京の近く、石清水八幡宮に在陣していた。

 正儀は直冬の要請に応じたものの、さすがに寄騎を要求し、それが山名だった。

 正儀と山名は摂津へ向けて進軍し、そこで義詮の軍勢と遭遇、衝突した。


 世に言う神南の戦いである。


 激戦を繰り広げた正儀と山名だったが、義詮の方には、佐々木道誉、赤松則祐といった将領が揃っており、押しに押され、やむなく石清水八幡宮へ向けて撤退した。


「何ということだ」


 直冬は歯噛みして悔しがったが、そういう自身の耳にも、東から足利尊氏が率いる軍勢が迫っているとの一報が入った。


「上等だ。返り討ちにしてくれる」


 麾下の赤松氏範が止める暇もなく、直冬は東寺を飛び出していく。

 一三五五年二月六日。

 年明けを終えた京において、史上、「東寺合戦」と称される、市中での戦いが勃発した。

 足利尊氏率いる北朝の軍を相手に、直冬は善戦したが、いかんせん、頼みの綱の楠木正儀が援軍を出せず決定打に欠け、そして二月の末には、義詮の軍が京の北から攻め入り、ついに直冬は北から義詮、東から尊氏という二正面作戦を強いられることになった。



「……もう退け」


「うるさい」


 楠木正儀は、単身密かに、東寺の五重塔にこもる足利直冬を訪ね、逃走を勧めていた。

 正儀によれば、京は琵琶湖方面からの物流が抑えられ、兵站がままならぬという。


「だから、帰れ」


「帰らぬ」


 直冬は頑是ない駄々っ子のような表情をして拒絶したが、彼もまた、京の南朝軍が限界であることを察していた。


「だが、退けぬ。今こそ、養父ちち直義の仇を討たん」


 直冬は五重塔の上から、東を望んだ。

 そこには、丸に二つ引の足利家ののぼり翩翻へんぽんとひるがえらせ、足利尊氏の軍勢が迫って来る姿が見えた。


「……好機ぞ。敵は首魁たるおれを討たんと迫っているようだ」


 そう言って笑う直冬の目に、もはや正儀は映っていない。

 映っているのは尊氏、いやさ直義である。


亡者に憑かれたか」


 だがその呟きは直冬に聞かれることもなく、また正儀も敢えてこれ以上言うこともなく、ただ一礼して別れを告げた。

 正儀は歎息たんそくした。


亡者のためのいくさは、無益だ」


 後醍醐帝なり北畠親房なり、生きてあるうちならば今後の展望が望めようが、彼らはもはや鬼籍にいる。

 展望など、ありやしない。


「だからこのような無名のすいが通るのだ」


 無名の帥とは、大義名分や理由のない戦のことである。

 正儀はその虚しさを痛感し、五重塔を背に、石清水八幡宮へと戻っていった。

 楠木正儀。

 やがて南北朝合一への展望をひらく男ではあるが、それにはまだ時が足りなかった。

 細川頼之という盟友を得るまでの、時が。



 ……京の市中の戦いは熾烈を極めた。

 直冬は、いつしか東寺に戻っていた。

 五重塔を仰ぐ。


「ここより眺むれば、尊氏の所在を」


「その必要は無いぞ」


 直冬がゆっくりと振り向くと、そこには壮年の武者が立っていた。


「足利、尊氏……」


「今さらだが、敢えて父とは名乗らん。叛賊・足利直冬、予が直々に成敗してくれる」


「抜かせ」


 直冬は嬉々として刀を抜いた。

 一方の尊氏は、薙刀を構えた。

 その薙刀は――足利家重代の宝刀・骨喰ほねかみである。


「参る!」


「来い!」


 勝負は、一瞬。


 直冬が跳ぶ。


 骨喰が舞う。


 ……気がつくと、直冬の刀は、骨喰に叩き折られていた。


「……くっ」


「終わりだ、直冬」


 こんな時に限って、直視をするな。

 今まで――今まで、避けて来たくせに。


「ケエエエエッ」


 直冬の奇声。

 直冬は、折れた刀を投げつけた。

 たまらず、尊氏が骨喰で弾くと――直冬はいなくなっていた。


「消えたか」


 だがそれでいい。

 その生を全うしたくなったのなら、それでいい。

 尊氏は、膝をついた。


「……うっ」


 だがそのまま倒れそうになるところを、支える者がいた。


「義詮……」


「大儀です、父君」


「言いよるわ」


 尊氏は義詮に肩を支えられながら、何気なく、手にした骨喰を見た。


「……いるか、骨喰これ


「ご臨終のときには」


 までは、足利家の当主として戦え――ということか。

 息子の言外の励ましに、尊氏は笑い、義詮もまた笑った。


 一三五五年三月。

 年明けこそ鬼笑う――という、北畠親房の言葉どおりにはなったが、最後に笑ったのは、生者たちであった。



 時は流れ、一三五八年四月三十日。

 京にて。

 足利尊氏、薨去こうきょ

 その死の直前まで、争乱の芽を摘むため九州へ下向せんとしていたが、最後には義詮と基氏に後事を託し、その生を終えた。

 巨大な才能と勢力に恵まれながらも、矛盾多き人生であったが、生者に後を任せることができたことは、この時代にしては稀であり、彼の人生に花を持たせたと言えよう。


 そして――尊氏の死から百日後。

 義詮に一子が生まれる。

 幼名、春王。

 のちの足利義満である。


【了】

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年明けこそ鬼笑う ―東寺合戦始末記― ~足利尊氏、その最後の戦い~ 四谷軒 @gyro

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