第21話 立夏

  季節は梅雨に入っていた。湿りがちの曇り空が一面に広がり、街を行く人は傘を手放すことが出来ない。今年は例年に無く雨の日が続き、誰もが少々うんざりしていた頃だった。

 綾川志野は廃校になった都立蔵前総合高校から、近隣の都立浅草東高校へと編入を済ませていた。

「一緒に東都に通いたかったのに…」という阪上燐の恨み言?には少しだけ済まないと思いながらも、自分はあのお嬢様学校の空気は似合わないと思ってしまう。

「まったく、今日もよく降るわね」

 東武浅草駅から赤い傘を開いた志野は、夏服の上に紺色のカーデガンを合わせた梅雨寒時季の格好で少しだけ早足で学校へ急ぐ。まわりには志野と同じように水溜りを派手に踏みながら小走りする生徒たちが少なくない。

 そんな景色の後ろをふっと、奇妙な姿の生き物が横切る。あるいは電柱の影から志野や歩く生徒たちをじっと見ている輩もいた。

「あんたたち、無闇にちょっかい出すなら…わかっているわね」

 志野がそうつぶやくと、連中はさっさと退散するのだが、懲りずにまた出て来るので始末が悪い。目に付いて何かをしでかしたならともかく、ただ傍観しているだけでは警告くらいしか出来ることはない。

 あの日、江戸、いや東京中にある置塚や止石が片っ端から壊されて以来、封印されていた異界の住人モウリョウどもが街中にあふれ、未だその全てを捕まえてもう一度封印することはかなわぬまま、はやひと月近くが過ぎていた。

「あんなところを我が物顔で…何とかしなきゃいけないんだろうけどね…」

 2年C組、自分の教室にたどり着き、窓際の自席に座った志野は、業平橋電波塔の近辺を悠々と飛ぶ怪鳥の姿を目にして独りごちする。

「空に向かって何をつぶやいているの、綾川さん」

 志野の前に座る朝倉詩織というクラスメートが声をかけてきた。今の今まで、志野は前の席に座る詩織がこちらを向いていたことに気がついていなかった。

 編入してひと月ちょっとで、しかもあの謎の事件が起きた蔵前高校からの生き残りとあれば、誰であれ話しかけることをためらいがちになるのは当然であり、志野もそんな理由からこのクラスでは浮いた状態でいるのだが、何故かこの詩織という娘はそういうことにはまるで関係ないようで、少なくとも学校にいる限りは席順の前後ということもあってか、気安く話しかけてくることが多かった。

「あ、いえその、毎日雨ばかりで嫌だなーとか」

 志野は当たり障りのない言葉で濁す。

「うーん、そうだよねぇ。こんな天気ばかりじゃどこにも遊びにもいけやしないしさ。ねえねえ、綾川さんは何時もどこらあたりで遊んでいるの」

 いたって普通に詩織は志野に尋ねた。

「ええーえーえーええとお、そうだね…新宿や池袋かなあ…」

 突然の質問に何をどう答えていいやらと混乱する志野だが、そういえばそんな話を普通に振られるのも随分と久しぶりだと考える。それだけこのひと月ちょっとの間に目まぐるしく身の回りに起きたことが複雑すぎて、物凄い時間が経ってしまったような錯覚にも陥るのだ。

「そか、私もそんな感じかな。じゃ、良ければさ今度、一緒に服とか見に行かない」

 詩織はニコリと笑って志野を見つめる。

 普通の女子高生が普通に友達と話す何気ないの会話のひとつであるのだが、志野には少しだけ違和感を覚えるのは何故だと自問してしまう。別の世界を見て、知り、その渦中に身を投じることになってしまったからというのが理由だとわかっていても、そう決め付けたくないのは他にどんな原因があるのだというのだろう。

「あーでも、あの朝倉さん。私のこと知ってるでしょ…」

「え、何?ああ、もしかしてあの高校からの編入生がどうとかいう、そういう話」

 何でそんなことを気にするのだ、という表情で詩織は志野を見た。

「気にしないの?何だか事情が事情だから怖いとかさ、そういうの嫌でも耳に聞こえてくるし」と志野は真っ当な問いを返す。

「うーん、そういうのかぁ。まあ一通りというか事の内容はさ、ニュースでやっていたことしか知らないけど、早い話いろいろ大変だったわけでしょ。なのにさ、噂だけで決め付けたりするのどうかと思うけどな。私、綾川さんがこのクラス来てから見てるけど、別に普通じゃない。まあ時々、空とかぼーっと眺めてたりして憂いを見せることもあるけど」

 そんなに観察されていたのかと志野は少し驚く。転校生が話題になるのは当然だが曰くつきでは敬遠されて当然と自覚していただけに。こういう子もいるんだと思い直す。

 蔵前高校で仲の良かった箕輪百合子は結局、行方不明で彼女の家ではまだ死亡したと思い切れないのか、葬儀などは当分するつもりは無いらしいと聞いていた。

 麻里子や燐には、志野がいろは組やモウリョウと関わることになったせいで、友人や知人を亡くしてしまうことに罪の意識を重ねていたら身が持たないと言われていても、こと親友と呼べる存在の百合子に関してだけは、まだ割り切れない気持ちが大きかった。

 そう考えると志野はこの編入してきた新しい高校で、親しい友人を作ることは同じ悲しみを味わうことになりかねないと考え、事件の関係者という理由から敬遠され気味な状況もあって、あえて誰と話をするでもなく友人を作ろうとはしなかったのである。

「綾川さんてさ、何だか不思議なオーラみたいの、持ってるんだよね。ぽわーっとあふれているのが見える感じがするんだもん」

「え、え、え…」

 突然の発言に志野はドキリとする。この詩織と言う娘は何を言いたいのだ。

「あーごめん。その何て言えばいいんだろ。そんなに親しく話しているわけじゃにけどさ、綾川さんてさ、気になるんだよね。こう人を誘う魅力があると言うか…」

 ぷっと噴いた志野は続けて「あのさ、もしそれを男の子が言ったら告ってるのと同じだよね…」と言って笑い出した。

「あ、そうか。そうだねぇ。でも綾川さんってそんな魅力あると思う。わかるでしょ」

 あまりにも真剣に話す詩織に、志野は何故か可笑しくてたまらなかった。

「あはは、そう、私そんな風に見えてるんだ…」

 何時以来かは思い出せないが、志野は久しぶりに大きな声で笑い出した。その笑い声がホームルーム前の教室に響くと、他のクラスメートたちの視線が一斉に二人に向けられる。あの怪しい転校生がどうしたのだ、妙に朝倉と仲が良いなというところだろうか。

「そ、そんなに笑わなくてもいいじゃん、本当にそんな気がするだもん…」

 詩織は少し頬を膨らませて志野を睨む。笑われたのは想定外だったということらしい。

「ごめん、ごめん。でもやっぱりおかしなことを言うからさ、笑っちゃったよ」

 まだおかしくて仕方が無い志野だったが、強き覇力の持ち主はそこにいるだけで絶対的な存在感を持って人を圧倒することも出来る、という麻里子の言葉を思い出して、もしかしたらこれがそういうことなのかもしれないと考えてみる。確か燐も学校では超がつくほどの人気者で有名人らしい。でも彼女の言わば良識人の代表みたいな性格や頭の良さを考えれば、それも当然かと思えなくはないが、自分はそれとは違うだろう。

 ならばこれは抜きん出た四神瑞獣としての覇力を持ったが故の顛末なのだろうか。

「ま、いいじゃない、告白ならそういうことでもさ。ね、志野って呼んでもいいかな」

 事情を知らないとはいえ、真っ直ぐに飛び込んでくる詩織の気持ちは悪い気はしない。

 そう考えれば志野もまた、何となく久しぶりに愉快な気分になれるのは心地よかった。

「え、まあ構わないけど。じゃ、えーと私も詩織って呼んでいいわけ」

 そう尋ねる志野の気持ちは少しだけためらうものもあったが、上向いた気分がそれを押し切っていた。確かに先のことなど今考えても仕方がないだろう。

「あーもちろん。あ、私らさ二人ともイニシャルS・Aだよね。これも偶然?」

「さあ、どうなのかな…」と笑って答える志野。

 ほぼ同時に予鈴が鳴り、がらりと教室の扉が開かれ担任の木崎裕子が入ってくる。

「はあい、ホームルーム始めるわよ、さっさと席に着く」と言いながらバンバンと出席簿を叩き彼女は教壇に立つ。

「あーいいから入りなさい」

 開け放たれている教室の扉に向かって叫ぶ裕子の声に、クラス全員の視線が教室の入り口に向かう。

 一息おいて、廊下から少し難しそうな表情を浮かべた男子生徒が無言で入ってきた。

 裕子は黒板に向かうと、入ってきた男子生徒の名前を書いた。

「久慈陸、くじ りく君。今日からみんなのクラスメートになります。彼は訳あって東雲高校からここにくることになったの。みんなよろしくね。さ、久慈君、一言」

 裕子に促され、久慈陸は教壇のすぐ横にやってきて軽く頭を下げる。

「久慈です、よろしく」

 無愛想な男子生徒に何を期待していたわけではないが、それを裏切らないあいさつはこの上なくそっけないものだった。

 2Cクラスの男女どちらもが、値踏みというには語弊があるにせよ,そんな目で久慈陸という新しい転校生を見たのは言うまでもない。

「あ、何かありそうだなーあいつ…」と志野に振り向き詩織が小声でつぶやく。

 志野としては自分も転校初日はこんな目で見られていたのかと思っていたのだが、ちらと久慈に向けた視線が彼のそれと重なったのには少し驚いた。

 むしろ教室に入った最初から自分を見ていたのでは思える視線は、それだけに強くて鋭いものが感じられた。

「ま、まさかねぇ…」と思い直す志野だが、頭の中の別な部分では間違いないともつぶやいている気がしなくもない。

 彼は何者だというのか。志野には答えを想像できる材料があまりにもなさ過ぎていた。


 淡々とその日の学校生活をこなし、帰りのホームルームも終わる。

「じゃ、志野また明日ね…」

 本日付?をもって浅草東高校2年C組における綾川志野の友達第一号になったということらしい、朝倉詩織が志野の前の自席から立ち上がって振り向きざまに手を振り、忙しそうに教室を出ていった。聞けば写真部で副部長だということだ。

「それが面倒見の良い性格ということなのかな」

 志野はそんな風につぶやきながら、ノートなどをスクールバッグに詰めていた。

 部活といえば蔵前高校では陸上部のエース的な存在の志野であったが、ここでは帰宅部に徹するつもりでいた。未練がないのは嘘だったが、モウリョウの力を得た今では、跳ねればひと飛び三十メートル、走れば百メートル五秒を切り、片手で重さ1トンを持ち上げられるとあっては、何をしてもまさに超人でしかない。それでは人間のスポーツにはならない故に、いろは組専用の特別ジムで体を鍛えることはしてもそれ以上は出来ないというのが本音だった。

「まあ、文化部とかにすればいいのかな、そういえば燐さんは華道部って聞いたけど」

 そんなことをぼんやり考えながら席を立とうとしたときだった。スカートのポケットにある携帯電話がジジと鳴り、相手を確かめると急いで出る。

「え、あ、燐さん」

「あ、志野さん、もう学校は終わった」

「ええ、もう帰るところですけど」

 燐の声はどことなく慌てているようにも聞こえなくない。

「麻里子さんが、麻里子さんが目を覚ましたから。大丈夫ならすぐに月光館へ」

「ええ、本当ですか、本当に目を覚ましたんですね」

 なるほど、そういうことならば燐の声がうわずるのもわかるというものだ。

「わかりました、すぐに向かいます」

「ええ、あちらでおち合いましょうね」

 燐の答えを聞き、志野はスクールバックを肩にかけ、早足で教室を出て行った。この浅草界隈からならば、東駒形にある月光館はすぐそこに等しかった。


 降り続く雨の中、目立つ赤い傘を左手に志野は小走りで浅草を駆け、吾妻橋から隅田川を渡る。このあたりは先の事件でかなり被害を受け、その跡はまだかなり生々しいものがあったが、今の志野の目には一切入ってこなかった。首都高をくぐって少し行けばもう地名は東駒形であり、目指す月光館もすぐそこだった。

 和洋折衷の、周りの雰囲気からは間違いなく浮いた存在の白い建物は、志野が初めてここを訪れた時と一つも変わるところはない。『閉店しました』という看板のかけられた玄関で一度、深呼吸をしてから重厚感のあるマホガニー色の扉を開け中に入った。

「あ、志野さん」

 ちょうど二階から降りてきたという感じのそのみに志野は出くわす。

「おそのさん、麻里子さん目覚めたって燐さんから聞いて…」

 志野ははやる気持ちを抑えられない。

「二階の奥の部屋に、起きたばかりなの。行ってあげて」と言うそのみの声に頷いた志野は、店のカウンター横から上がって廊下の先にある階段を駆け上る。二階の突き当たりに麻里子の部屋はあった。ドアの前で呼吸を落ち着け、ドアをノックする。

「どうぞ…」という声に促され、志野はドアノブを回し麻里子の部屋に入った。

 マホガニー色のフローリング部屋には所狭しと色々な本が山積みになっていた。その中でやや窓際に置かれたローベッドの上で上半身を起こし、肩に生成りのカーデガンを羽織っている麻里子の姿を志野は見た。少しだけ開かれた屋根裏部屋風の斜め窓から雨雲で覆われている空を所在なさげに眺めている。

「麻里子さん…」という志野の声に麻里子はゆっくりと振り向く。

「ああ、志野」と静かに小声で麻里子は返した。

「何を見ていたのですか」

「え、あ、業平橋電波塔。あれさ、私は好かないんだよね…」

「そうなんですか、ここからだと近すぎてちょっとしか見えませんね」

 ぼそっとした声で話す麻里子はまだ本調子ではないということなのだろうか。心ここにあらずな様子に見えるのは気になるが。

 しかし、こうして生きていたのだ、目を覚ましたのだ。それでいいではないかと思う。

「ま、麻里子さん、よかった、目を覚ましてくれて。本当に本当に心配したんですよ」

 ローベッドのすぐ横に座るなと、志野は多少の文句も込めてそう言った。何故か分からないが目元が緩み、そんなつもりはなくても涙がこぼれてくるのを抑えられない。こうして誰かを心配して気持ちが動くことが自分にもあるものなのかと考えてしまう。

「ああよしよし、悪かったね心配をかけて…」

 泣き崩れた志野を受け止め、麻里子は彼女の頭をなでながら静かに答えた。

 事情はどうあれ志野に心配をかけたことに代わりはないと麻里子は思う。おそのさんや燐、譲之介はこうなる経緯を知っているからまだしも、志野は初めてということもある。それだけに『すまない…』という気持ちは別格だった。

「譲之介や燐に聞いたかどうかは知らないけど、ああやって一度に相当量の覇力を使ってしまうと、いわば電池切れみたいなことになるのよ。それでその状態から回復するのにまたかなりの時間を要するのだけど」

「これまでも何度かあったと聞きました」

「うん、命を賭けてでもやらなければならない時は、ためらうわけにはいかないからね。お陰でそういう時はみんなに心配をかけるわ」

 何時になく優しい表情を浮かべて麻里子は話す。

「ただ、その度に目覚めるのが段々と時間がかかるようになって、それって相当に麻里子さんの覇力と体に負担をかけていることになるとも聞きました」

 志野が聞いていた麻里子への不安はそこだった。

「そうだね、知っての通り私はもうかなりの歳だ。今の志野なら一日寝れば回復できる程度のことでも私には相当に時間がかかる。それは仕方が無いことだよ」

「だ、だったらあんな無理はもう…」

 麻里子から体を起こし、彼女の目を見据えて志野は言った。

「だが志野、今も言ったとおり、出来る力が自分にあるのにやらないで済ませることなど一番避けなければならないことだ。決断すべき時を見誤ってはいけない。そしてその時は常に持てる力をすべてつぎ込んでも達成しなければ必ず悔いが残る。そうならないために私たちは命を賭けているのだろう」

「そ、それはそうなのでしょうけど…」

 麻里子のいうことはキズキビトとしてあるべき道を問うならばその通りなのだろうが、志野にはそれとは違う単純に人を思う気持ちから言いたいのだと思った。

「あ、そういう顔はしない志野」

 そんなに変な表情をしていたのかと志野は思うが、それで麻里子は察したのだろうかと考える。

「コタローは大丈夫でしょうか」そのことも志野はとても気になっていた。

 麻里子を助けるためにコタローがとった行動も、またかなりの無茶振りが見えたからだ。四神瑞獣の作り出した結界を外から突き崩す覇力を吐き出しておいて無事に済むものなのか。

「私を助けるためといってもあんな無茶なことしたからねぇ。妙義での治療がうまくいけばよいのだけど」

 心配そうな表情で顔をしかめる麻里子だが、こればかりはどうなるものでもない。彼の強い覇力、生命力と治癒力に望みを賭けるしかないのだ。

「そうですよね」と答える志野の言葉にも力はない。

「こういうことはこれから何度でもある。慣れるわけないだろうし、慣れても欲しくはない。そういうものだと感情を切り捨ててしまうことがあるならば、そんな振る舞いは我邪と変わらなくなってしまう」

 麻里子は志野の瞳をのぞきこむようにしていった。志野は頷く。

「だから今日の志野の気持ちは本当に嬉しい。この先もその気持ちを忘れることなく、仲間を信じて自分の出来ることに力を尽くして欲しいと思うよ」

 普段では見せることもない笑顔を浮かべ麻里子は答えた。

 これもまたキズキビトになってしまった故の避けられぬ問題なのだろうが、麻里子がそういう言い方でまとめてくれるならば、志野もまた安心できた。これでいいのだと。

「多分、先は長すぎるくらいに長い。ゆっくりと自分で考えていけばいいさ」

 そんな風に付け足す麻里子の言葉は多くの実体験を含むだけに重いものがあるが、それだけにまた信用出来る一言であると言えた。

 本当に大変な人たちの仲間になってしまったものだと志野は改めて思い直す。

 だがこの世界を知ったことによって、未来に苦難の道が続くとしても、必ず自分にとって必ず糧となることがあると思えるような気もしてならない。だから余計に麻里子の話には共感できるのだと志野は考えた。

「私は自分の出来ることを自分なりに、自分の道で進んで行こうと思います」

「うん、それでいいさ。初心貫徹、いつも通りの志野でいればいい」

 もう一度見せる麻里子の笑顔に、志野の気持ちは心底晴れ晴れとした。

「あ、麻里子さん、気分はどう」

 半開きになっていた部屋のドアをお尻でこじ開け、お茶の用意を載せたトレーをもってそのみが入ってきた。

「具合はどうですか、麻里子さん」という声と共に燐も続く。

「や、まあねぇ。志野の顔も見れたことだし,悪くない…」

 ニカッと笑った麻里子は二人の顔を交互に見て答えた。

「ああ、そうね、そういう雰囲気ならもう大丈夫かもね」

 長い付き合い故なのか、そのみはそんな麻里子を見てもう安心だと分かるようだ。

「毎度毎度、本当に心配させてばっかりなんですもの」

 燐の言葉にきつい口調はあっても、怒っている様子は微塵もない。

 そんな二人を見て志野もまた、自分が思っていることへの確信が持てた気がする。信じ合える仲間とはそういうもであると。

 ベッド横のローデスクの上にお茶の用意を載せたトレーを置き、そのみは熱いアールグレイを注いだティーカップを麻里子に渡す。燐と志野にもそれぞれ振舞って、最後に自分の分もカップに注いだ。ささやかな回復祝いというところで、乾杯する四人の楽しげな話し声と笑い声は、それからしばらく途切れることはなかった。


 少々遅くなってしまった月光館からの帰り道。志野は途中で燐と別れ、吾妻橋を渡って東武浅草駅へと早歩きで急ぐ。帰りがこんな時間ではまた母の小言をねちねちと聞く羽目になりそうだと考えてしまうが、まあ、いつものことであると開き直るかしかない。雨はすっかり上がり、このところの雨空が嘘のように晴れ渡っていた。

「あ、あれは…」

 何気に、いや志野の持つ強い覇力が気がつかせたのかもしれない。橋の途中で立ち止まって振り返り、見上げた業平橋電波塔の展望台付近には四足の獣らしい姿がそこにあった。こちらをじっと見下ろし、まるで志野を値踏みしているように見えなくない。

「白いモウリョウ…」

 志野の印象はそういうところであろうか。一見して怪物や妖怪といった姿ではなく、むしろ猛獣のように見えなくもない。今や人並みはずれた志野の視力でもつかめるのはそんな感じでしかない。

 次の瞬間、白い獣は展望台を蹴って空に踊りだす。まるでそこに地面があるかのように走り出すとやがて全身が光り輝き体全体が光点となって崩れ散華していった。

 志野は全身に痛いほど感じる大きな覇力の流れを受け、鳥肌が立つのを実感した。

「こんな桁外れの覇力なんて、青龍蒼牙以外に感じたのは麻里子さんの朱雀が現れた時くらいじゃないかな…」

 にじみ出る汗に志野は畏怖したが、これが次の、何かの前触れなのかと自問する。

 麻里子さんの話にあったように都内の主だった危険なモウリョウたちが、この間の一件で野に放たれてしまったことと関係があるのかもしれないと考える。

「右にも左にも、頭の上にも…」

 志野はそうつぶやいて自分の周りをぐるりと見回す。

 奇怪な姿をした怪物や妖怪、正にチミモウリョウ。そういう奴らが我が物顔でここらを闊歩している。

 志野を眺め、隙あらば飛び掛ろうと構える輩もいるが、大抵は彼女の背後に控える四神瑞獣青龍蒼牙の姿に恐れおののき退散する。

「あんたたち、覚悟があるならかかってきなさい!」

 右手を振り上げて叫ぶ志野から放たれた覇力は渦を巻いて夜空に伸び、それを追って姿を見せた青龍が舞い上がる。雄たけびを上げすべてのモウリョウを威嚇する姿には、有無を言わせぬ絶対的な迫力があった。

 

 綾川志野と青龍蒼牙の天下覇道はここに、始まったばかりなのである。

                                             〈了〉

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蒼キ龍ノ覇道 とうがけい @foxfrog98

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