第9話 聖域

 数日が過ぎて志野の下にも蔵前総合高校が休校扱いになるという知らせが届いた。状況を考えれば当然と言える処置だが、二年生に進級しこれからと思っていただけに志野としては残念でならなかった。編入が可能な学校の候補と共に今後の予定についての書類が郵送で届いた翌日、志野は母親に心苦しくも「軽井沢で他校の陸上部合宿に混ぜてもらう」という嘘をついて、大型連休の初日に泊りがけの荷物を持ち、麻里子に知らされていた上野駅の集合場所に出向いていた。

「大丈夫、そこの近所に東都の研修施設があって、そこでうちの陸上部が同じ日程で合宿だし、名簿に混ぜといたから、志野さんの名前」

 燐はあっさりと言い切ったが、そんなに簡単に事が済むものかと志野は思う。

「そ、そんなことしてあっさりとばれたりしないのですか。そもそも、燐さんとこ私立でうち都立高ですよ」

「他校との交流合宿はしょっちゅうだし、公立高校ともやったことあるし大丈夫よ」

 そこまで燐が言うなら信じるしかないと志野は思ったが、それでも嘘である以上は一抹の不安は拭えない。

「あ、待った?」

 そこへかなり気の抜けた声で麻里子が姿を現した。近所にでもお買い物に、と言う感じの軽装で、小さなショルダーバッグ以外に荷物は持っていない。

「ま、麻里子さん身軽なんですね」

「ん?ああ、譲之介に荷物持たせて車で昨日、先に向かわせたし、それでね」

「木戸譲之介さんですか。玄武なんですよね、四神瑞獣の」

「そうか、志野はまだ会ってなかったわね。相応にイケメンだから期待しなさい」

 と言ってにやけた顔を志野に向ける。

「それより麻里子さん、その後ろに隠したコンビニ袋、何ですか・・・」

 燐は呆れた目つきで麻里子を見る。実は分かりきっているのだが。

「へ?は?ま、いいじゃない。志野もさ、チーカマとかさきイカとか柿ピー食べる?」

「え、は?」事情が飲み込めない志野には何のことか分からない。

「あのですねー軽井沢までそんなに時間かかりませんよ」

 物凄いため息をついて燐は呆れた声で言った。

「いいじゃないのー列車に乗ったらビールよビール。あ、未成年はコーラだからね、コーラ」

 開き直った麻里子が持ち出したコンビニ袋には缶ビールとおつまみがたっぷりと詰まっていた。

「な、何だかなこの人・・・」志野は麻里子の性格に多少の疑問が芽生えたのを感じていた。

  

 新幹線で軽井沢駅に着いた一行は、ベンツのSUVで駅に迎えにきていた譲之介に合流した。

「譲之介、彼女が綾川志野よ」という麻里子の紹介に志野は「よろしくお願いします」とお辞儀する。

「ん、木戸譲之介だ。よろしくな」

 譲之介はどちらと言えば愛想のない返事を返す。

 そういう人なのかなと志野は思うが、こと外見に関する限り麻里子の言う通りに、彫りの深い顔立ちのイケメンと思えなくもないわけで、事前に聞いていた印象とは若干異なるものを感じたというところだろうか。もっともそれで全てを判断できるわけないのだが。

「じゃ、いきましょうか」

 一行を乗せた譲之介が運転するSUVは、碓氷峠方面に向けて走り出した。

 上越自動車道に沿って走る国道を峠方面に進み、途中から山に登る地元道を抜け、さらに林道と思しき道を走っていく。つまりはどんどん山深い中に入っているわけで、もはやこのあたりがどこであるかなど分かりかねるような緑の森にSUVは迷うことなく向かっていた。

「あの、どこへ向かっているのですか」

 さすがに少し不安になった志野は声を出した。

「裏妙義とよばれているあたりの近所かな、その山中にある神社が目的地」

 前を向いたまま麻里子が答えた。

「妙義総社と呼ばれているのだけど、異界にかかわりのある人にしか知られてない場所なのよ」

 燐が補足するもの、志野としては初めてのことだけにもやもやとした気持ちが持ち上がらないわけではない。

「大丈夫よ心配しなくても。坂東のキズキビトにとっては安全な場所のひとつだから」

 察してか燐が気遣ってくれるものの、志野の中の不安は消えない。さらに林道を小一時間ほど進み、SUVは停車した。

「着いたわ、と言ってももう少し歩くけどね」

  麻里子はそう言ってドアを開き降り立つ。燐、譲之介と、最後に志野も車を降りる。

 まさに緑の海に飲み込まれたと呼ぶに相応しい森の中に志野はいた。そこは車が切り返して方向転換できる最低限のスペースがあるだけだった。振り返ればここまで来た道さえ草木に覆われて森の一部と見分けがつかないほどである。

「ま、実は林道の途中からもう結界の中にあるんだけどね」麻里子が言う。

「ここを他者に知られるのを防ぐためには仕方がないの」

 燐の言う他者とは、我邪という連中のことかなと志野は思うが口には出さなかった。

 止めたSUVの先に続くまさに獣道を一行は麻里子を先頭に歩く。進むにつれて緩やかな坂道は段々ときつくなり、怪しげな霧が森に満ちてくる。何となく根を上げそうになった頃、志野は行く手にに大きな総門を見つけた。

「おつかれ、ここが妙義総社、板東江戸いろは組の秘密基地よ」

「あ、秘密基地って・・・」麻里子の時代錯誤も甚だしい例えに志野は噴いたが、山奥の中に人知れず存在するこの場所がそうした名前で呼ばれてもまあ、あながち的外れでないと思えるのは、こんな緑の園の中にあるからだと思えなくもない。

 むしろ先ほどから無性に感じるぴりぴりとした覇力の流れは、やはりここが只ならぬ場所であると教えてくれる。

「志野にも感じるかな、何か」

 自分が思っていたことを見透かされたような麻里子の問いに、志野は若干焦った。

「あ、何ていうかその全身の感覚にぴりぴりとするものが・・・」

 志野は先ほどからずっと感じたままに答える。

「そう、ならいいわ。そういう兆候は」

 麻里子はそう答え総門からさらに上に続く石の階段を見上げる。

 総門とあたり一帯を覆い隠すような靄、と言うよりは白い霧が漂う中、志野には人影がしだいに近づいてくるのが見えた。さらにその人の後ろにもう一人、小柄な人影がひとつ。

「お早いお着きでしたな」霧の中から現れた狩衣の男が、人の良さそうな笑みを浮かべ麻里子たちを迎えた。直ぐ隣りには後からついてきた巫女装束の少女と思しき娘がひとり。

「またしばらくお世話になります、榊さん。宮司殿御自らのお迎え、恐れ入ります」

 麻里子が深々と頭を下げる。

 それを見た志野が驚くのに気がついたのか、「ここを取り仕切る宮司さまですから、ちょっといい加減なところがあっても、意外に麻里子さんって、礼儀はわきまえている人なんですよ」と燐がそっと耳打ちした。

「何か言った?燐」

 地獄耳と噂される麻里子はそんな囁きも逃さない。

「あ、いえ、別に・・・」

 すまし顔でやり過ごす燐の直ぐ後ろでは、譲之介が笑いをかみ殺すのに必死だった。

「ここで無粋な挨拶は無しとしましょう、麻里子殿」と榊宮司は言い、

「ほう、この娘ですか青龍と契ったのは」と志野に顔を向け笑った。

「やはり、わかりますか」

「あの際立って特徴のある覇力の感じは、何も変わっていませんな」

 榊宮司はどこか懐かしむ表情を浮かべて答えた。

「あ、綾川志野と申します。縁あってみなさんの仲間に入れていただくことになりました。よろしくお願いします」

 志野はそう言って頭を下げる。麻里子に倣ったわけはないが、何となく体が反応して言葉が出たというほうが正しい。

「よく、参られた。ここでの修行はきついものになると思われるが、是非乗り越えて、ご自身のために精進していって頂きたい」榊宮司は笑って答え、後ろに控えている巫女の少女を前に出した。

「当総社の巫女の一人で野々宮神楽と申します。志野殿が若き御仁と伺い、何かと年が近き者の方が話もしやすいかと思ましてな、勝手な采配で世話役を申し付けました」

「野々宮神楽と申します。ここでのことで何かございましたら、遠慮なくお申し付けください」

 そう言って頭を下げる長い黒髪を束ねた少女は、見る限り年の頃は志野と大して変わりそうもない。ただ、以前、燐の話を聞いた志野としては、この色白で華奢な美少女にはどんな秘密があるのかと想像してしまう。

「いえ、こちらこそよろしくです、神楽さん」志野は答えて神楽を見るが、本当にどこか人離れした雰囲気を持つこの少女に、多少なりとも怖れに似た感情を受けたのは嘘ではなかった。

  

 一行は社務所裏の宿泊所に一度入り、とんぼ返りする譲之介を見送った。

「四神瑞獣が三体も江戸を留守にするわけいかないからね」というのが麻里子の説明だったが、その意味を志野はまだ理解していない。

 志野は燐と共に神楽の案内で総社の中を一通り見学して、日暮れまでには宿泊所に戻った。ここに来てから何となく全身に感じるぴりぴりとした感覚は、神楽に総社の中を案内されている時も変わらず、むしろ次第に顕著になっていった。我慢できないとか不快に感じるというよりは、むしろ自分が敏感になっているから感じている、ということではないかと思えるのだがもうひとつはっきりしない。

「青龍の覇力と志野さんの覇力が引き合ったり、反発しあったりしているのではないのかしら。ここは多種多様な覇力が満ちている場所ですし、感覚が敏感になるのはやむを得ないことですよ」という燐はいたって平然と構えている。

 大先輩といえる彼女がそうしていられるのは当然だろうから、比較できないのは分かるとしても初めて来た志野には全てが未体験である。取りあえずは我慢ということだろうか。

「明日からいろいろやるからね」と夕食の席で麻里子が言った。大宴会でも出来そうな広間の真ん中に三人だけでの食事とは、少し落ち着かない気もしたが、総社を守る神職者たちを除けば志野たちは客とはいえ部外者であるから、こういうことになるのだろう。

「えと、具体的に何をするのですか麻里子さん」

 基本的には精進料理と言える夕食を終えた後で志野は尋ねた。

「んーまずは基礎体力づくり、そして覇力の扱い方、得物の基本的な取り回しの習得・・・かな」コップに注いであった飲み残しのビールを一気に空けて麻里子は答える。

 そういわれても基礎体力作りくらいしか想像出来ない志野だが、むしろ後ろの二つの方がメーンだと言えるのだろう。

「まあ、そんなに考えなくても、無理なことはしないし追々レベルを上げていけばいいわけで、」と麻里子は付け加えた。

「ここはその、どういう場所なのですか。単に合宿所だけみたいな所とは、何かひとつ違う気もしますし」

「ふふん、察しがいいね志野。妙義総社は、板東の覇力をコントロールするまあ、パワースポットの元締めみたいな場所のひとつだね。異界との接点がここにはあるから、常時並外れた覇力が渦を巻いている。故に契ったモウリョウどもがほぼ消耗しきった覇力を回復させるための癒しの場所でもあると言えるかな」

「ええと、温泉みたいに覇力を治癒回復させる場所なのですか」と志野。

「うーん、まあ当たらずとも遠からず、かな。さっきも言ったけど、異界と現界をつないでいる裂け目みたいなものがあるから、そこに総社という置石をして周囲に結界を作り無用に異界からの干渉を防ぐのがもともとの狙い。そんな裂け目、放置したらとんでもないことになるでしょ」麻里子はそういって天井を見上げる。

「だからここにはありとあらゆる覇力が存在する。志野がぴりぴりと感じている感覚がそうだ」

 志野は意識を集中させようとしている麻里子に倣い、自分も試してみる。ほんの少し感覚を鋭くさせてみようと思うだけで、濁流のように幾つもの覇力が志野の感覚の中に入り込もうとしてくる。

「あまり急にはしないでね、志野さん。ここにはそれだけのモウリョウもいるのですから」と燐は大袈裟な口調でそう言う

 燐の忠告に志野は意識を集中させるのを中断した。彼女の言う通りいかに四神瑞獣の青龍と契ったとはいえ、まだまだ未熟な力ではどんなことが起きるか分からない。

「青龍の力を自分のものにして使えるようにする。まずはそういうところだね。焦らない焦らない」

 麻里子はニヤリと笑い、彼女なりに志野を気遣ってそう言った。

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