第4話 小夜姫

 京都の北、奥座敷と呼ばれる鞍馬山の近辺は、平安の時代より天狗を始めとする数多のモウリョウが跳梁跋扈していたといわれるいわくつきの地域である。源義経を持ち出すまでもなく、仏門に身を寄せる者にとっては厳しい修行の地であることに変わりはない。時がどれだけ過ぎようとも観光コースを外れれば、鬱蒼とした木々が幾重にも連なる深い山々が重なり合い、ここが何時の時代のどこであるのかを忘れさせてしまうほどの険しさが残っていた。

 そんな山中に人知れず作られた一本道が伸びていた。修験者のような風体をした男が一人、その道のありかを確かめるように進んでいく。容易に見つけることは困難で、誰が何のために作ったものなのか知る由もないが、その道はとある場所に向けて迷うことなく一直線に続いているようだった。

 真昼でも薄暗い木立の中に伸びる小道を歩き続けること半日あまり。突然に木々が切れて視界が開けた目の前に、桁外れに広大な敷地を持っていると思われる大屋敷が姿を現す。左右にどこまで続いているのか解らない塀と観音開きの巨大な門を構えたここは、もはや屋敷という範疇を大きく越えてそこに鎮座していた。

「あいも変わらず、ここへ来るのは面倒であるな」

 もはや愚痴に等しい言葉を吐き、男は門前に立った。

「西国上方難波歌留多会、堂島真衛門」男が大声でそう名乗ると、巨大な門がギシギシと軋ませて左右に開いていく。

 一歩足を踏み入れた真衛門の眼前には、真っ直ぐに母屋まで伸びた白い敷石と白洲が広がっている。左右に配置された見事な植木が広がっているのを見て、自分が御所にでも迷い込んだような錯覚を覚えてしまう。

「お待ちしておりました」

 母屋の玄関付近でようやく屋敷の者に出迎えられてようやく真衛門は安堵したが、この先に待っている人物との対面を考えるに、また憂鬱な気分が噴き上がって来るのを抑えられずにはいられなかった。

 有に百畳はあろうかと思われる広間の下座に控え、真衛門はこの館の主を待っていた。到着して小一時間余り。放置されていると思わざるを得ない扱いに気分が滅入ったが、この程度でくじけていてはとてもここの主と話すことなど出来はしない。真衛門はそう思いなおすが、深いため息が漏れてしまうのは止められなかった。

 ふと衣擦れの音が背後の廊下から聞こえ、広間へと近づいている気配を感じた真衛門は畳に平伏する。全身がざわつくような覇力を感じ、背中に汗がしたたる。これまでもこの先も決して変わることはないと思われる黒い覇力の強さに、真衛門は心のそこから畏怖を感じていた。

「小夜姫さま、御成りでございます」

 お付きの女官が声をあげ、三人分の足音が真衛門の耳を打つ。すぐ横を通り過ぎ、一段高い上座へ上がった小夜姫が主の場所に収まると、女官も段下に控えた。

「西国上方難波歌留多会、堂島真衛門、まかりこしてございます」

 間髪いれず口上した真衛門だが、反応がない。また、からかわれているのかと思った時、すっと息を吸い込んだような音が耳に届いた。

「面を上げよ、真衛門」

 凛とした甲高い、それでいて澄んだ声色が広間に響く。

 遠慮する素振りを見せながら、真衛門は少しだけ顔を上げる。

「それではそなたの顔は見えぬな。構わぬ、わらわに正面から顔を見せよ」

「は、」答えながら真衛門は顔を上げた。正面に座る十二単を纏う若い女性、いやまだ少女と呼んで等しい年頃の姫は、何とも端整な顔立ちに切れ長の目と長い睫毛、抜けるような白雪の肌に赤みを差して口元に微笑を浮かべていた。

 漆黒の髪は畳まで届き、絹糸のような艶やかさを見せている。その際立った容姿端麗さは何をもって例えればいいのか。思いつくものがあれば、是非とも教えてほしいというところであろうか。

「何じゃ、その険しい表情は。わらわと会うは新年の挨拶以来であろう。嬉しゅうないとでも申すのか」

 またも小夜姫は真衛門を挑発するような言葉を投げかける。

「いえ、決してそのようなことはござりませぬ。ご無沙汰でございます」

 真衛門はそう言い、また平伏する。

「よいよい、戯言じゃ、久しいな、面をあげよ。それでは話も出来ぬ」

 クククと笑い、小夜姫は言った。

「は、」

 顔を上げた真衛門は、取りあえず今日の小夜姫の機嫌は別段悪いということでないと思い安堵する。

「ところでじゃ、板東では少々厄介が持ち上がっているようじゃな」

「は、御気づきではあると思いましたが、左様でございます」

 前置きはなしか、と真衛門思う。

「かように大きく強い覇力を感じたのは何時以来であろうか。さしものわらわも身が震えたぞえ」

「姫様をそこまでさせる覇力とは、信じられませぬな」

「見え透いたことは申すな、これほどの覇力は四神瑞獣か、はたまた四凶死獣か。いずれかのモウリョウのほかにあるまい、そうであろう真衛門」

 小夜姫は鋭い視線で真衛門を見据えるが、彼は動じず平静を装った。

「さしずめ青龍あたりが妥当なところであろう。わらわはあのモウリョウの覇力はよう存じておる」

「仰せの通りにございます、姫様」

 隠しても何ら意味がない以上、答えておくほうが無難と思い、真衛門は肯定する。

「ほほう、否定はせぬのか。話をはぐらかすかと思うたぞ」

「何を姫様に隠しておきましょう。事は歌留多会でも重視しております」

「左様か。まあ、当然といえばそれまでじゃな、青龍の復活は覇力のバランスを大きく変えるかも知れぬ」

 小夜姫は右手に持った扇子を広げてもて遊びながら、真衛門を見据えていた。

「仰せの通りです。故にいろは組とて扱いは慎重であるはずですが」

「それよ、それ、そこのところが気にはなるな。何せいろはを仕切るは朱雀の麻里。あの者の考えることなど、所詮、わららには理解出来ぬ」

 小夜姫はまたもクククと笑う。

「瑞獣ならば、板東のお二人が揃ってお力にしたいと思うのは当然と思いますが」

「理屈ではそうじゃな。四神瑞獣は四つそろっての四神。ひとつでも欠けていては本来の姿には程遠い」

「しかしな、事はそう簡単に済まぬのは、そなたとて理解しておろう。四つ揃って困るのは誰か、と」と小夜姫は上目遣いで真衛門を見る。

 答えを解っているのに、もったいぶった口調だと真衛門は思ったが、答えておく。

「我邪衆・・・ですか」と言う真衛門の答えを聞き、小夜姫の口元が少し緩む。

「そうよのう、全くもって困り果てた連中よ、己の邪心のままにモウリョウどもの力を振るい、さりとてこの国の天下を取るというまでもなく、ただ破壊と混乱をもたらすだけの輩じゃ。人とは、あれほど非情になれるものか、そこらのモウリョウとてあそこまでは落ちておらぬぞ」

 のうのうと話す小夜姫だが、洛中に連中が拠点を置くことを見て見ぬふりをし、あまつさえ傍若無人の振る舞いをも見過ごしているのはどなたか、と真衛門は思う。

「我邪は今回のこと、見逃しはぜぬぞ。必要とあらば坂東へ攻め込むやもしれん。己らに不利な事態を招くやも知れぬ出来事は、これまでもすべからく摘み取ってきた連中だけにな。ま、配下に加わるというのであらば別やも知れぬがのう」

「では、是が非でも姫様のお力添えをもって、かような事が無きようお取り計らいくださいませ。さすれば歌留多会、いろは組共々、姫さまに大きな貸りといたしますでしょう」

 凛と背筋を伸ばして間髪入れず、小夜姫の目を見据えて真衛門は言った。

「ほほう、今日来た用向きはそういうことか?わらわに我邪との仲立ちをせよ、と」

 小夜姫の目が細くなって、そして光る。意外なというよりもそこには他の意図があるようにも見える。

「いけませぬか?。いろは組、歌留多会、我邪衆。この三つの間に揉め事が起これば、姫様率いる洛中御伽衆をおいて他に誰がとりなすことが出来ましょう」

 一瞬たりとも小夜姫の視線を外すことなく真衛門は言った。

「戯言もここに極まれり、か?真衛門。そんなことをして、わらわに何の利があろう」

「無益な殺生は止められまする」と真衛門は言い切った。

 その答えに驚いたのか、小夜姫はほんの少しだけ口を開いたまま、しばらく呆けていた。

「な、何を申すかと思ってみれば、無益な殺生ときたか。浅ましい人間の考えそうなことじゃな…」

 あまりに可笑しかったのか、小夜姫にしては珍しく声を上げて笑う。真衛門はそれに答えることなく、ただこの大広間に響く怪しげな美少女の笑い声を聞き流していた。

「残念だが、今はそのようなことあり得ぬのう。考えてもみよ、青龍が復活してどちらについたにせよ、潰しあうのはその三者。わらわと御伽衆は痛くも痒くもない。わざわざ出向いて行く価値など到底ないわ。もっともこの洛中に影響を及ぼうそうなどと画策するのであるならば、話は別であろうがな」と話す

 心底に怒りを込めた小夜姫の言葉は冷たく手厳しい。

「姫様は御伽衆以外はどうなろうと構わぬと、」

「くどいぞ真衛門、わらわたちはこの洛中の安泰がただ唯一の願い。他者など構う気は毛頭ない。何度同じ事を言わせる気じゃ」

 少しだけ声を荒げて小夜姫は言った。

「承知しました」

 ここらが潮時と察し、真衛門はそう言って平伏する。元より期待していたわけではないが、小夜姫自身の口から板東の問題には関わらぬという言葉を引き出すのが目的とあれば、こういう展開も悪いというわけではない。

「話は済んだようじゃな、真衛門」

 小夜姫はそう言うと上座をすっと立ち歩き出す。

 真衛門のすぐ隣りにきた小夜姫は「帰って板東のあばずれに伝えよ。せいぜい張り切って痛い目を見ぬようにと、もはや決して若くはない故、御身大切に、とな」

 ククと笑い声を上げた小夜姫は、そのまま大広間を出て行く。それに使える女官共々足音が聞こえなくなるまで真衛門は平伏していた。

 身を起こした真衛門は、主のいなくなった上座を見つめる。床の間には多尾を持つ狐が描かれた掛け軸があった。

「またも騒乱は避けられぬか…」

 否応なしに己の無力感を実感せずにはいられない真衛門だった。しかし、表向きに小夜姫が動かないと言ったものの、果たしてそれは事実かといえばかなり怪しいというのが本音であろう。狡猾な女狐は己が出て行く場面を事態の展開を見て図ろうと考えているに違いない。

 真衛門の心中は少しも晴れぬまま、さらにどんよりとした雲が広がるのを放置していくしかなかった。

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