迫りくる二連風

 千晶の忠告は、すぐに千迅の行動となって表れていた。と言っても、それをすぐに紅音が気付けたかと言えばそうでもないのだが。

 最初はそう……何となく……であった。


(……? 何かしら?)


 先ほどまでと違い、紅音自身が疑問に思う程……のだ。

 状況が何か大きく変わった訳では無い。千迅は相変わらず前走者を抜こうと隙を伺っている。

 千迅のアタックに合わせて、紅音もまたそのマシンを抜く為にその選手の癖を見つけ様と観察しながら、後方にも気をやらなければならない。

 それでも、何か先ほどと違う、妙なを感じ取っていた。


(一体何が……? ……あ!)


 千迅の前方のライダーを見ていると、千迅のにも漸く気付く事が出来たのだ。

 と言っても、別段気にする様な事ではない。

 千迅はコーナーをクリアする度に、時折ちらりと後方を……紅音を見るようになっていた。

 ただそれだけにも関わらず、紅音は妙に走りやすくなっていたのだった。


 そうはいっても、別に紅音が千迅の視線に気付いて安心したと言う訳では無い。それどころか、それに勘付いた直後の紅音は「この子、何やってるの?」と訝しんだ程だった。

 ただ千迅のその行為は、如実に彼女自身のライディングに影響していた。

 スタートを切ってから5周目まで、千迅はただ前だけを見てアタックを続けていた。只管前を見つめて、ただ前走者を抜く事だけを考えていたのだ。

 その行為は、対となる紅音にも影響する。

 千迅が紅音の事を顧みなかろうとも、紅音はそうはいかない。どれほど無茶な追い抜きであろうとも、そしてどれだけ難しい追い抜きであったとしても、紅音は千迅に離されまいと食らいついていたのだった。


 しかし、千迅が時々後方を見るという行為を取る事で、彼女の走りに微妙な変化が訪れていた。

 そうは言っても、何も千迅が紅音に気を掛けてペースダウンしている訳では無い。それに、千晶からの指示も「後方を気にしろ」というものではなかった。

 千晶が千迅に告げた事は至極簡単、「コーナー毎に余裕があれば後ろを見る」ただこれだけなのだ。そして千迅自身も、千晶に言われた通りにしただけであった。

 ただそれだけにも拘らず、千迅の走りが紅音にとって走りやすくなった理由は、千迅が無意識下で紅音の姿を視界に捉え、その位置を確認していたからに他ならなかった。

 もしも千迅に紅音との協調を強いていたならば、恐らく千迅のペースはグッと下がってしまうだろう。

 そもそも千迅にその様に器用な真似が出来る訳もなくまた、そんな事を考えて走るタイプでもないのだ。

 そう言った意味で千迅は、この様なタッグレースに向いているライダーとは言い難い。


 だが現状は練習であり、また人数の兼ね合いもあってスプリントレースを行わせてやる余裕がない。だからこそ2人同時に参加出来るタッグレースを行わせているのだが。

 そして練習と言えどもレースに参加している以上、勝つ為の算段をしなければならず、千迅もその様に取り組まねばならないのだ。

 千晶の助言は、そんな状況を見事に見抜いたアドバイスだと言って良かった。





 千迅の走りが僅かに変わり、俄然2人のコンビはペースを上げる事が出来る様になった。

 7週目には千迅が、そして8週目には紅音が、それぞれ前を行くライダーを抜き、共に順位を1つずつ上げて4位5位となっていた。

 更に彼女たちは、3位の選手に襲い掛かろうとしている……その矢先。


『一ノ瀬、速水。後ろから追い上げてるチームがある。注意しなさい』


 美里の声が、2人のインカムから流れたのだった。


『『っ!?』』


 それを聞いた千迅と紅音は、ほとんど同時に後方に目をやっていた。

 これはレースなのだ。後ろから追い上げてくるチームがいても、それは一向に不思議な話ではない。

 レースも半分を過ぎて、動き出してくるチームは少なくないだろう。それを考えれば、後方から他のチームが追い上げて来るなど、今更驚くべき事態ではなかった。

 2人が慌てて後方を確認したのは、そんな当たり前の事を美里がわざわざ告げる訳もなく、齎された忠告には何か意味があると瞬時に悟ったからだった。


 そして、千迅と紅音はその考えを補完する事となる。


『……速っ!』


『な……何っ!? あの2台っ!?』


 千迅と紅音の眼には、先ほどまでは感じる事の無かった存在感を放つ2台のマシンが飛び込んで来たのだ。


 まだ、4台は後方にいるその2台のマシン……チームは、前方のマシンを何の躊躇もなく抜き去っていた。

 そして、その抜き方が何とも異質であり……鮮やかだったのだ。

 2台のマシンで、ターゲットとしたライダーに、殆ど同時に襲い掛かる。

 一方がイン側を突き、もう一方がアウト側から被せて来るその攻撃を受けては、襲われている側のライダーもどうする事も出来ない。

 瞬間的に3台がカウルを並べてコーナーへと突入したかと思えば、その立ち上がりですでに抜き去られていたのだった。

 これは、ラップタイムに大きな差がなければ出来ない芸当でもあるが、何よりも抜く側のライダーたちに余程息の合ったコンビネーションが出来なければ無理な芸当でもあった。

 それはまるで2匹の蛇が……いや、双頭の蛇が獲物へと一気に襲い掛かり、瞬く間に蹂躙する様に似ていた。


『一ノ瀬、速水。無理をする事ないからね。恐らく彼女たちは、熟練者かも知れない。今のあなた達よりも速いかも知れないんだから、無理だと思ったら道を譲って行かせるのよ』


 後方で異彩を放つライダーたちのインパクトに声を失くしていた千迅と紅音だったが、美里の言葉に漸く我を取り戻していた。

 彼女達も、ライダーとしての経験は少なくないのだ。如何に脅威の追い上げを見せるチームが出現したとは言え、いつまでもその事に心を囚われている訳はなかった。

 もっとも、その動揺を抑えろというのは無理な事なのだが。





「あの2人、どう考えても『ローグレードクラス』を走るライダーじゃないわね」


 モニターで状況を見つめていた美里が、隣にいる千晶に向けてそう呟いていた。

 勿論、その声は現在レースを走る千迅と紅音には聞こえないよう、マイクはカットされている。


「ええ。参加条件は1年生である事。……でもだからと言って、全ての参加者がマシンに不慣れとは限らない。中には信じられないくらいの適性を見せて、短い期間でバイクを手足のように扱う子もいるわ。……それに」


 その問いに、どこか不敵とも思える笑みを浮かべて、千晶はそう話し出した。


「……もしかすると何かしらのツテで、すでに250CCのレーシングマシンに慣れているか……ね」


 腕組みをしながら様子を観察する千晶の瞳は、どこか面白い事を見つけた様に輝いていた。


「……それで? 千晶はどっちだと思ってるの?」


 意外な所で興味を示しだした千晶に、美里は僅かな驚きを何とか隠して問いを重ねた。

 千晶が1年生のレースにこれほど興味を示すのを、美里は初めて見たのだ。

 去年、現在2年生の新条帆乃夏がこのVRレースで、そして新人戦でセンセーショナルな走りを見せた際にも、千晶はこれほどの興味を見せなかった。

 その千晶が、1年生の練習風景を様子見に来たとはいえ、足を止めて長くレースを観察している。これは非常に珍しく、美里にとっても驚かされる事であった。


どちらか・・・・……じゃなくて、どっちも・・・・かも知れないわね」


 そして千晶の答えは、自身の呟いた可能性をどちらも肯定するものであった。


 このVRレースでは、所属する学校や個人の氏名を登録する必要はない。それは、練習とはいえレース中に起こる様々な事柄に対して、禍根を残さない処置であった。

 禍根……とはやや大げさな言い回しかも知れないが、レースの場で転倒などに巻き込まれれば、巻き添えを食った方にしてみればそれは簡単に忘れられる様な事ではない。ましてやその時に調子がよく、好成績が狙える様な状況ならば尚更だ。

 上級生が下級生のクラッシュに巻き込まれる程度ならば、ある程度は許せるだろう。VRレースであれば、直接の怪我も考えなくて良いのだから。

 しかし同級生同士のレースならば、それは一種の遺恨……とまではいかなくとも、そのライダーに対して嫌なイメージを抱き続けるだろう。

 だからこのVRレースでは氏名は勿論、所属する学校や団体を登録する事は出来ないのだ。

 もっとも、練習を主としたこの機材の特性を考えれば、実名を登録して名を売る様な真似をする必要もないのだが。


 瞬く間に紅音の後続を平らげた2台は、そのターゲットを彼女へと向けたのだった。

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