第2話 プロローグ②

 人間の侵入を阻むスクアミナ守護山脈。

 剣のように切り立った標高5000m級の連峰が屹立し、世界樹を擁する禁足地と人間界を隔て、世界を二分していた。

 山脈の麓、人間界側には隆起した白い岩棚が広大な台地となり広がる。

 真っ白な台地は今、戦禍を帯び赤く染められていた。

 スクアミナ守護山脈の冠雪が太陽に輝き、白刃の如く冷たくそびえる。

 上昇気流に乗り空高く舞う雪トビが一羽、空に向かって鳴く。

 空を見上げ、悲し気に鳴く雪トビの声に笑顔を見せる少女、戦姫ヒルド・ロインセリカ。真っ白な肌に美しい金髪とサファイアの瞳。非の打ちどころの無い容姿には幼さを残るが、彼女は見た目通りの人間ではなかった。

 返り血で染まる黄金の甲冑と白銀のサーベル。

 綿毛のように細く軽い金髪には、べっとりと血が着き鎧に張り付いている。

 その眼前には、彼女のサーベルで斬殺されたアウルカ兵の死体が見渡す限り地に伏し、無数の血だまりを生んでいた。

 彼女は亀裂のような笑みを浮かべ歩くと、うつ伏せに倒れる男の横で足を止めた。

「血潮に染まる風が頬をなでる。存外、心地よいものだ」

 男は背と脇腹に深い傷を負っていた。彼は血だまりの中で震え、必死で息を殺すと、目を瞑り神に祈る。

 ヒルドは震える男の体で微かに揺れる赤い水面を見て冷ややかに笑う。

「祈りか、絶望か。無力な様は、どちらも同じことよ」

 白銀のサーベルを振り下ろす。無情の刃が心臓を貫き、男は小さく呻き絶命する。

「下国の民でも、血は赤いのだな」

 サーベルを振るい血を払う戦姫は、再び白い台地に歩を進める。

 真っ白な地面に、赤い足跡が続く。

 広大な台地に、微かに聞こえるエンジン音。

 顔を上げ、ヒルドは2kmほど離れた正面の森を見据える。スクアミナ守護山脈とは真逆にあるその森には、台地へ訪れるための一本道があった。

 背後に聳えるスクアミナ守護山脈から雲が流れ、台地の空へ広がりはじめる。

 森の一本道から、グエンの運転するモービルが姿を飛び出す。まるで舗装路を走るような高速で台地へ進入し、夥しい数の死体を回避しながら駆け抜けた。

 ヒルドは薄ら笑みを浮かべて歩く。

 アウルカ兵の死体を蹴り飛ばし、踏み潰して一直線に。

「動かぬ者ならば、蹴散らせばよいものを」

 猛スピードで1km、500mとヒルドまでの距離を縮めていくモービル。

 見事な運転技術で全開のまま走っていたグエンだが、血だまりにタイヤを取られスリップした。暴れる車体を必死に制御しながら、急ブレーキをかけたまま車体は真横に滑る。

 赤いタイヤ痕を残し、モービルはヒルドの約20m手前で停車。

「やっと追い詰めた。カガリの……皆の仇を……!」

 モービルから降り、グエンは怒りに震える手で胸ポケットから一束の黒い髪の毛を手に取る。抑えきれない憤怒に揺れる彼の赤い髪は、まるで怒りの炎のようだった。

 ヒルドは血に濡れた金髪を掻き上げて冷笑する。

「下国の民共が、数に任せればエンブラ王家に勝てると思ったか」

 グエンの遥か後方、森の一本道からトラックが姿を見せる。

 トラックは20mほどある砲身を持つ榴弾砲を牽引し、5台のモービルを従えて台地に進入した。

 牽引式榴弾砲の一団は台地に入りすぐさま展開、榴弾砲を固定し戦闘準備に入る。

 台地への侵入者を一瞥するヒルドだが、約2kmは離れた位置にいる一団を脅威とは見なさなかった。

 真っすぐグエンを見たままアウルカの兵の亡骸を蹴り飛ばして歩く。

「千か? 二千か? 何匹死んだ? 貴様が斬った我がエンブラ兵の何十倍だ?」

 グエンは髪の房をしまうと、刀を引き抜く。アラベスクにも似た銀炎の装飾を施された黒拵えの刀から、蒼氷の如きクリアブルーの刀身が露わになる。

 刀を頭上に掲げて怒気を放つグエン。

「化け物め! 報いを受けろ!」

 少女は、サファイア色の目を細めて笑う。

 人の熱を感じさせない目つきに、グエンは寒気に襲われ思わず刀を降し身構えた。

 降りた刀を合図に、牽引式榴弾砲の砲身が火を噴く。

 轟音と共に曲線の軌道を描いて放たれた榴弾が、グエンの遥か頭上を越えてヒルドへ飛来する。

 着弾の瞬間、ヒルドは愉悦の笑みを浮かべた。

 素早く身を伏せたグエンは、モービルの車体を盾にうずくまり広がる爆風を凌ぐ。

 榴弾の衝撃で吹き飛ばされた死体の破片がモービルに当たり弾かれていく。

(遺体を傷つけてすまない……あとで必ず回収するからな皆……)

 数秒の祈りを捧げるグエン。その右手でクリアブルーの刀が振動し、甲高い共鳴音を微かに放っていたが、哀悼を捧げる彼は気づかない。

「その剣ならばまだしも、こんな玩具で我が命を断とうとはな」

 耳元付近で聞こえた少女の声に、グエンは慌てて刀を手に立ち上がる。

 上方から突風。風が着弾点の煙と炎を霧散し、モービルをなぎ倒した。

 180cmを越える筋肉質なグエンの体が軽々と飛ばされた。しかし彼は空中で体勢を整えて難なく着地し、目にかかる赤い前髪をかき上げる。

 周囲を見渡し警戒するも、彼の赤い瞳に敵影は映らない。

「風か爆発か……? 今の声……それに、あいつはどこへ……?」

 彼女がいた場所を注視するグエン。

 そこにあるのは、爆風と突風で飛ばされた血だまりの赤い跡。

 そして、外れて転がる黄金の鎧、小手、具足のみ。

「……甲冑だけ? どういうことだ?」

 グエン、手にした刀が振動していることに気付く。

(何かに反応しているのか?)

 ドスンッと後方で重い音がなり、地面から振動が伝わる。

 クリアブルーの刀を構えて振り向くグエン。振り向いた先、30mほどの距離を開けた場所に半人半獣の女が背を向け立っていた。

 四本の脚と尾をもつ金色こんじきの獅子のような体躯から、新雪を思わせる白い肌の女性の上半身が生えている。その一糸纏わぬ人の背には、金色に輝く八枚の翼。

 背を向けて羽ばたき飛び上がる人外の姿に、グエンは呆気に取られてしまった。

「金色の……あの化け物女が本物の化け物になりやがったのか……」

 赤髪の戦士は、鳴りやまぬ刀が何に反応したのかを直感した。

 翼を得た戦姫は2kmある間を、文字通り空を駆け渡る。

 神代かみよの獣を顕現する乙女に仇なす愚者を屠るために。

 ほどなくして、森の入り口に布陣した部隊に火の手が上がった。

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