エピローグ

 お祭りを終え、彩花とおしゃべりをしながら宿舎へと帰還する。使用人が通る裏口へと向かう途中、人の気配に気付いた私は足を止めた。


「レティシア、どうかしたの?」

「うん、ちょっと用事を思いだしたから、先に戻っててくれる?」

「いいけど……一人で大丈夫? 用事なら手伝おっか?」


 気を使ってくれる彩花に、私は必要ないと首を横に振った。


「今日は誘ってくれてありがとうね。すごく嬉しかったよ!」

「喜んでくれたのなら私も嬉しいよ。また来年も一緒にお祭りに行こうね」

「……うん、もちろんだよっ!」


 魔王軍との戦いを続けていた頃の私には、来年の予定を立てる余裕なんてなかった。それどころか、明日生きているかだって分からなかった。

 そんな私が、来年もお祭りを見ようねって、友達と約束するなんて夢みたいだ。

 私はその幸せを噛みしめて、彩花が宿舎に戻るのを見送った。


 そうして、私は敷地内の裏手へと歩き出す。

 紅蓮さん達と剣術の訓練をしていた、空き地の隅っこにある大木の近く。月明かりに照らされたその場所に、雨宮様が静かにたたずんでいた。

 艶のある彼の黒髪が、月明かりを受けて淡く輝いて見える。


「こんばんは、雨宮様。よい夜ですね」

「ああ、よい夜だな。レティシア、祭は楽しめたか?」


 私は少しだけ目を見張る。お祭りに行くことは話していない。紅蓮さんやアーネストくんから聞くにしても、タイミング的にまだのはずだ。


 そのとき、脳裏をよぎったのは雨音様の言葉。

 憶測に過ぎないけれど、雨宮様は私に利用価値を見出しているかもしれない。もしそうなら、私に監視の一つや二つ、付いていてもなんらおかしなことはない。


「どうして私がお祭りに行ったことをご存じなのですか?」

「……あん? その恰好でなにを言ってるんだ?」

「恰好、ですか?」

「おまえはいままで、私服はすべて故郷のファッションだった。だが、今日はハイカラさんスタイルで、髪型にもこだわりを感じる。誰かとお祭りに行っていたのだろう?」


 今度は違う意味で目を見張る。まさか、雨宮様が私のファッションに気を掛けてくれているなんて思ってもみなかった。


「それで、誰と出かけていたのだ? 紅蓮とアーネストは見回りのはずだが」

「彩花です。同じ女中のお友達なんです」

「そうか、女中の友達か」


 雨宮様の表情がふっと柔らかくなった。そう思った次の瞬間、雨宮様の手が私に向かって伸ばされる。私がそれを見守っていると、彼の手が私の髪に触れた。


「……雨宮様は、私との政略結婚を考えておいでなのですか?」


 ふと疑問に思ったことを尋ねると、雨宮様は思いっ切り咳き込んで、それから一拍おいて、「なにを言い出すんだ、おまえは?」と私を睨みつけた。

 次いで、物凄く怒った顔で私の頬を摘まむ。


「いひゃいです」

「どうしてそのような発想になったのか説明しろ」

「いえ、その……雨音様にお招きを受けまして」


 会うのは内緒にしろと言われたが、会ったことを内緒にしろとは言われてない。私は雨音様にお招きされて、色々と聞かされたことを打ち明けた。

 雨宮様は手で顔を覆って溜め息をついた。


「雨音姉さんにも言いたいことはあるが……まずはレティシア、おまえだ。百歩譲って、俺がおまえを利用しようとしていると危惧することは理解できるが、なぜ政略結婚に話が飛ぶ?」

「なぜって……だって、色々と都合がいいでしょう?」


 私が聖女である事実は雨宮様も知らないはずだ。でも、巫女と同質の力を持っていることには気付いている。であれば、私を欲しがってもおかしくはない。

 そして、私を得る手段としてもっとも有効な手段は婚姻だ。私と結婚すれば、その力を手に入れるだけでなく、子孫にまでその力を引き継ぐことが出来るのだから。


「あぁ……そういえば、おまえは元の世界で王太子とやらに利用されていたんだったな。おまえはなにか? 俺とその男が同レベルだとでも言いたいのか?」

「いえ、そんなことはありませんが……」

「ありませんが、なんだ?」


 彼の顔には不服だと書いてある。

 でも私は、自分にどれだけの利用価値があるかよく知っている。王太子の婚約者になった後ですらも、聖女である私を手に入れようとする者は後を絶たなかった。


「……雨宮様は、私が欲しくないのですか?」


 上目遣いで問い掛けると、雨宮様はぐらりと上半身を揺らした。それからきつく目を閉じて、こめかみを指で揉みほぐす。なんだかとっても頭が痛そうだ。


「雨宮様、頭痛ですか?」

「違う」

「頭痛なら、回復魔術で緩和できますよ?」

「違うと言っているだろう。それより、さっきの質問だが、俺は、おまえになにかを無理強いするつもりはない。よって、政略結婚目当てなどで庇ったわけでもない」

「そう、なのですか?」

「そうだ。だから……。だから、おまえはなにも心配するな」


 頭をくしゃりと撫でられる。

 雨宮様は私を利用しようとしている訳じゃなかった。それを理解すると同時、私は顔をくしゃりと歪ませ、涙が零れそうになるのを我慢する。


「……おい、なぜそんな顔をする」

「私が、雨宮様に助けられてばかりだからです」


 雨宮様は、素性の怪しい私を雇ってくれた。

 彼がいなければ、私は罪人として牢に入れられていたかもしれない。それに、軍に所属したくないと言えば理解を示してくれたし、軍に所属させようとする動きからも守ってくれた。


 困っている人は放っておけないけど、軍には縛られたくない。やりたいことをして、やりたくないことはしない。自由を求める私の行動を理解して、後押しすらしてくれた。

 それなのに、私は雨宮様に迷惑を掛けてばかりだ。


「雨宮様、私はどうお詫びすればいいのでしょう?」

「……そうか、雨音姉さんから聞いたのだったな」

「私を庇うために、自分の功績を投げ出したと聞きました」

「気にするな。俺がそうしたくてしたまでのことだ」

「ですが……」


 きゅっと唇を噛む。

 ここでなにも返さなければ、恩を仇で返すような真似をしてしまえば、私も王太子と同じになってしまう。そんなのは私のプライドが許さない。


「決めました。私は雨宮様のお手伝いをします」

「手伝い、だと?」

「はい。雨宮様が雨宮家の当主になれるように協力いたします」

「……おまえは、人に利用されるのが嫌だったのではないのか?」

「一方的に利用されるのは嫌なだけで、誰かに協力するのが嫌なのではありません。そもそも、これは恩返しや罪滅ぼしであって、利用するとかされるとかではありません」

「だが、おまえは目立ちたくないのだろう?」


 雨宮様の問いに、私は自嘲気味た笑みを浮かべる。

 それを見た雨宮様の表情が剣呑になった。


「……おい、まさかとは思うが……ときどきやらかしていたのは、わざと、か?」


 私はすっと視線を逸らした。


「やはりか! さては、こちらの反応を見るために、わざと無防備を晒していたのだな!?」

「いえ、まぁ、なんと言いますか……」


 私は信じていた人達に裏切られた。

 いつかまた騙されるかも知れないと、この先も怯えて暮らすなんて絶対に嫌だ。


 なら、どうしたらいい?

 私の出した答えはこうだ。

 自分が無防備を晒して、相手の出方をたしかめればいい。騙しやすそうな相手として、無防備に付け込んでくるのなら信頼できないし、護ろうとしてくれるのなら信頼できる。

 とはいえ――


「えっと、その……試したのはちょっとだけ、ですよ?」


 困っている人を放っておけないのは私の本質だ。


「おまえというヤツは……っ」

「あ、痛い、雨宮様、痛いですっ。ごめんなさい、もうしません!」


 頭をわしづかみにされて悲鳴を上げる。だけど、その手のひらはほどなく、私の頭を締め付けるのではなく、撫でるように動き始めた。


「まあ、おまえの協力には助けられたのは事実だからな」

「そう言ってくださると助かりますが……」


 雨宮様達は私の協力を得られ、私は彼らを信頼することが出来る。そんな思惑だったから、雨宮様に迷惑を掛けるのは私にとって計算外だった。


「お詫びの意味も兼ねて、雨宮様に協力させてください」

「さっきも言ったが、こちらは損をしていない。よって詫びは必要ない」

「ではお礼の意味で」

「それは、ありがたいが……おまえは何処まで本気なのだ?」

「何処まで、とは?」


 私はこてりと首を傾けた。


「さきほど、政略結婚がどうとか言っていたようだが……?」

「雨宮様は、政略結婚をお望みなのですか?」

「いいや、俺が望むのは政略結婚ではない。それとも、それがおまえの望みなのか?」

「え? いえ、そんなことはありませんよ」

「そうか、先日の責任を取れという話かと思ったが……」


 先日の責任とはなんだろうと首を傾げた私は、雨宮様の視線が私の目元より少し下。口元に向けられていることに気付いた。

 先日の責任って、まさか――


「雨宮様、あのとき、意識が――」


 あったのかと問い掛けようとした直前。

 一瞬だけ空が明るくなり、ほぼ同時に爆発音が響いた。


「……いまのは、なんでしょう?」

「爆発音だな。方角は……特務第一大隊の方か」


 雨宮様が険しい顔で光の見えた空を睨みつける。


「おそらく、特務第一大隊の施設だな。手薄になった本部を狙われたか」

「裏をかかれたという訳ですか……」

「レティシアの言うとおり、一筋縄では行かぬ妖魔がいるようだな」


 巫女ではなく手薄な本部を狙った。特務第一大隊はまんまと裏をかかれたと言うことだ。そしてそれは、今回の事件がまだ終わっていないことを示している。

 雨宮様が「ついてこい」と歩き始める。


「どこへ向かうのですか?」

「司令室だ。必要なら救援がいるし、特務第一大隊が狙われた以上、こちらにも襲撃があるかもしれん。どちらにせよ情報が必要だ」

「分かりました」


 急いで司令室に移動すると、既に笹木大佐様が慌ただしく命令を飛ばしていた。無線機によって、すぐに各方面の情報が集まる

 幸いなことに、巫女はもちろん、特務第一大隊にも大きな被害はなかったそうだ。建物には多少の被害が出たものの、既に妖魔は撃退済みで、事態は済みとのこと。

 その事実に安堵する。

 だけど――


 特務第一大隊に預けた男の子。私が護ると約束した蓮くんが、拘束されていたはずの高倉隊長と共に姿をくらませたことを、このときの私はまだ知らなかった。

 

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