エピソード 2ー7
蓮くんと面会してから数日が過ぎた。
彼は無事に特務第一大隊の開発局に引き取られ、私は再び女中として働く日々を過ごしている。そんなある日、私は再び特務第八大隊の開発局に呼び出された。
前回と同じ手続きを経て、研究所へと訪れた。
そうして周囲を見回すと、窓際の席に水瀬さんが座っていた。皆が慌ただしく働く中、彼だけは窓から差し込む柔らかな光を浴びて、気怠げな表情で虚空を見つめている。
彼は、今日も書生スタイルを貫いていた。
他の人達は白衣なのに、相変わらず自由な人だなぁ……と眺めていると、彼の瞳が私を捉え、次の瞬間にはキラリと光を宿した。
彼は物凄い勢いで詰め寄ってくる。
「待っていましたよ、レティシア嬢」
「こんにちは、水瀬さん。手枷を破壊する機材が手に入ったのですが?」
「はい、専用の工具が届きました。ただ、先に別件をお願いしてもよろしいでしょか」
「かまいませんが、別件とはなんのことですか?」
「実は、これを見てください」
水瀬さんが指差したのは、机の上に置かれていたプランター。そこには、私が譲渡した薬草が植えられていたが……なにやら萎れ始めている。
「ずいぶんと元気がありませんね?」
「ええ。いくつかの環境で栽培してみたのですが、残念ながらすべてこれと同様の状態になっています。あらゆる想定をしてみましたが、解決策を思い付きません。このままではそう日を待たずして、すべての薬草が枯れてしまうでしょう」
「それは……困りましたね」
薬草の在庫はたくさん残っている。
だからこれが失敗しても、また次のチャンスを得ることは出来る。だけど、枯れた原因が分からなければ、何度繰り返しても意味がない。
「レティシア嬢はなにか心当たりがありませんか?」
「……と、言われましても。聖水や魔石は入手方法が限られていますが、薬草自体はわりとどこでも栽培出来るものなので、枯れるとは思っていませんでした」
「ふむ。わりと、という部分について正確に教えてください。僕とレティシア嬢のあいだには、思いもよらぬ常識の違いがあるかもしれません」
「なるほど、分かりました」
最初、回復ポーションや異空間収納がないとは思いもよらなかった。私が知っていて当然と思うことでも、彼らは知らない可能性もあるだろう。
そう思った私は、栽培が出来ない環境を思い浮かべる。
「まず、枯れた大地では栽培出来ません。水がまったくなければ枯れますし、海水でも枯れます。後は……あぁ、瘴気に侵された土地では毒草になりますね」
と、そこまで話したところで、彼が私の腕を摑んだ。
「――待ってください、聞き流せない言葉がありました。この薬草は、瘴気に侵された土地で栽培すると毒草に変質するのですか?」
「え? えぇ。そのはず、ですが……?」
それがなにかと首を傾げると、「これはとんでもない発見ですよ!」と詰め寄られた。
近い近い、やっぱり顔が近いよぅ。
私はさり気なく彼の手を振りほどいて距離を取り、「なにがそんなにとんでもない発見なのですか?」と平静を装って聞き返す。
「いいですか? 我々はいま、魔力素子はもちろん、瘴気を感知することも出来ません。ですが、あなたの言葉が事実なら、瘴気溜りを確認出来るではありませんか!」
「え? あぁ……なるほど、たしかにその通りですね」
私の世界には、瘴気を確認する魔導具や魔術があった。
だから、薬草を栽培して気長に確認するなんて方法、思いつきもしなかったけど、瘴気を確認する方法が存在しないこの世界では、たしかに有効な検査手段かもしれない。
「すぐにでも実験を始めたいところですが……それには、薬草の栽培を成功させなくてはなりませんね。まずは、なぜ枯れるのかを突き止めなくては」
「水はほどほどにやっていますよね?」
「それはもちろん。後は、肥料を加えた土でも試しています」
「……肥料、ですか?」
聞き慣れない言葉に首を傾げる。
「食物に必要な栄養を土に加える肥料――自然の物でいえば、腐葉土などのことです。レティシア嬢の世界にはなかったのですか?」
この世界では、作物の収穫量を増やすのに肥料を混ぜていると聞いて驚く。やっぱり、この世界は、元の世界よりもずっと発展しているようだ。
「腐葉土を混ぜるというのは聞いたことがありますが、土を遠くから運ぶのは大変なので、森が近い土地でしかおこなわれていません」
「そうなのですか? では、作物の育ちが悪かったのでは?」
「いえ、育ちが悪くなると、魔術師が豊作の儀式をおこなっていましたから。干ばつなんかが発生しても魔術師が雨を降らせますし、不作になることは滅多にありません」
被害が発生するのは、大雨が続いて洪水になったりなど、大災害が発生したときくらいだろう。そう説明すると、彼は信じられないと目を見張った。
「作物の収穫量を魔術でコントロールするのですか……凄まじい技術ですね」
「私は肥料の方が凄いと思いますけど……」
魔術は誰でも使える訳じゃないし、それなりに不便もあるのだ――と、そんな感想を洩らす私の前で、水瀬さんが不意になにかを考え始めた。
「レティシア嬢、薬草を栽培するのに、その儀式はおこなうのですか?」
「そうですね、薬草園なんかでは定期的におこなっていました。ですが、自然にも多く自生していたので、儀式が必須という訳ではないはずですよ?」
「いいえ、それが鍵かも知れません」
水瀬さんはペンを手に取って、薬草の育つ条件をノートに書き込んでいく。
「レティシアさんはその魔術を使えないのですか?」
「いまは不可能です。魔封じの手枷があるので……」
「なるほど、魔封じの手枷を外すのは急務ですね。その件は手枷を外してから考えましょう」
私の手首に填められた魔封じの手枷に視線を向け、小さな溜め息をついた。彼はノートに書き込んだ情報に視線を向けながら考えを纏めていく。
「儀式が有効と言うことは、なんらかの養分が消費されている証拠です。ですが、肥料を入れても枯れると言うことは、薬草の栽培に必要な養分が土や肥料に含まれていないのでしょう」
「魔術で供給できて、肥料では供給できない栄養、ですか?」
なにかあるのかもしれないけれど、さすがにただの土を異空間収納に入れたりしない。そう言ったら水瀬さんは「その必要はありません、土はこちらで用意しますから」と笑った。
「もしや、なにか思いついたのですか?」
「瘴気に侵された土地では、毒草になるのですよね? それはつまり、瘴気を吸収して育っていると言うことでしょう? そして、瘴気は穢れた魔力素子だとおっしゃいましたね」
彼の言葉で点と点が繋がった。
「――つまり、薬草は魔力素子を吸収している、と言うことですか?」
「その通りです。現段階では仮説でしかありませんが、検証する価値はあると思いますよ」
私は肩口に零れ落ちた髪を指先で弄びながら、彼の言葉を吟味する。
彼の仮説が正しければ、この世界で薬草が栽培できないのは、土に含まれる魔力素子が不足しているから、ということになる。
だけど、大気中に魔力素子が存在するのなら、土にも魔力素子は含まれるはずだ。であるなら、そもそも大気中の魔力素子が希薄である可能性が高い。
その推測に至った私はぞっとした。魔封じの手枷が外れても、魔力素子が――魔力がなければ魔術は使えない。魔術を使えなければ、彩花の傷を消すことも出来ない。
私の計画の大前提が崩れてしまう。
「レティシア嬢、私の仮説をどう思いますか? ……レティシア嬢?」
「え? あ、そ、そうですね……」
我に返った私はあれこれと吟味する。
「……この世界では妖魔化が発生しています。その原因が魔物化と同じであれば、この世界には少なくとも穢れた魔力素子が存在するはずです。であれば……」
「枯れるのではなく、毒草にならなければおかしい、ですか?」
私はこくりと頷いた。
彼はなるほどと呟いて、新たな疑問を口にする。
「ですが、妖魔化の原因が瘴気であると言うのは仮説でしかありません。妖魔化と魔物化が似ているだけで、まったく別の現象である可能性もあるのでは?」
「たしかにそうかも知れませんね。ですがその場合……」
いままでの仮説がすべて崩れてしまう。
その可能性は否定できない。
だけど、その仮説が様々な辻褄を合わせていたのもまた事実だ。可能性で言うのなら、薬草が育たないのは別の理由で、そのなにかを見落としている可能性の方が高いだろう。
「水瀬さん、ひとまず、薬草には魔力素子が必要であり、妖魔化の原因は瘴気であると仮定してみましょう。その場合、どのような可能性が考えられますか?」
「そのような可能性は……っ! そうか、ありますよ。妖魔化した人が瘴気に触れ、薬草が魔力素子や瘴気に触れていない可能性が」
「……それは?」
私の思い付かなかった可能性。
それを示された私は、思わず身を乗り出して問い掛けた。
「それは――魔力素子や瘴気の有無、あるいは濃度が場所によってまったく違う可能性です」
「……あ、そっか」
最近になって妖魔化する人間が現れるようになったという情報から、最近、魔力素子が瘴気に侵されるなにかがあったのだと思い込んでいた。
だけど、魔力素子そのものが、最近になって発生したとしたらどうだろう?
魔力素子の濃い地域と、薄い地域があるのは当然だ。その上で、魔力素子が瘴気に侵された地域と、そうでない地域もある。そう仮定すれば、妖魔化の原因が瘴気だとしても、薬草が毒草になるでもなく、魔力素子不足で枯れそうになっているという仮説が成立する。
「水瀬さんの言うとおりですね。検証する価値は十分にあると思います」
「決まりですね。さっそく実験してみましょう」
「と言いましても、魔力素子が多く含まれた土なんて、どこで用意するのですか?」
「なにを言っているのですか? レティシア嬢が教えてくれたのではありませんか。ポーションを作るには、薬草を砕いた魔石や聖水と一緒に煮詰める、と」
「たしかに言いましたが、それはポーションの作り方ですよ?」
いま話し合っているのは、そもそも薬草を栽培する方法だったはずだ。どうしてそこに話が行くのか分からなくて、私は顎に指を添えて首を傾げた。
「魔物から得た魔石は瘴気に侵されていて、聖水は瘴気を浄化するのでしょう? つまり、砕いた魔石と聖水を合わせて煮詰めるのは、高濃度の魔力素子を得るためではありませんか?」
「それは、言われてみるとそうかもしれませんが……」
私はレシピ通りに回復ポーションを作っただけで、開発をした訳ではない。なぜそんな組み合わせをするのかと言われても、いままで考えたことはなかった。
だから、その方法で、本当に土中の魔力素子の含有量が増えるかは分からない。困惑する私に、水瀬さんは人差し指を立ててイタズラっぽく笑った。
「当てて見せましょう。毒薬を作るときは、毒草と、砕いた魔石を、普通の水で煮詰めるのではありませんか?」
「――っ」
私は息を呑んだ。
まさしく、そうやって作る毒ポーションが存在するからだ。
「その表情はアタリのようですね」
「は、はい、たしかに、そうやって作る毒は存在します」
回復ポーションの作り方を聞いて、毒のポーションの作り方まで理解してしまった。凄い、さすがは若くして開発局の局長を任せられるだけのことはあると感心する。
でも、私が驚くのは少しだけ早かった。
「では、砕いた魔石と聖水。それに砕いた妖石と聖水。煮詰めた後に冷やしたそれらを水やりに使ってみましょう。それで両方とも栽培に成功すれば、魔力素子の含有量が関係していると分かるだけでなく、魔石と妖石が同じものかどうかも分かりますから」
理解が追いつかない。
一呼吸ほど考えて、魔石と妖石が同じ性質を持つか確認することが出来ると気付いた。だけど、そんな私を置き去りにして、水瀬さんは更に言葉を続ける。
「それが成功したなら、聖水の代わりを巫女様に用意していただきましょう。まだ机上の空論ですが、この世界でポーションを作る可能性が見えてきましたね」
わずかなヒントでそこまで至る彼の発想力に戦慄する。彼ならば、魔封じの手枷を外すことはもちろん、元の世界でも作れなかったような魔術の道具を生み出せるかもしれない。
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